第九十五話世の中を見る力
彼の座右の銘と言われているのは、『遍界かつて蔵さず』。禅の言葉です。
遍界とは、宇宙、私たちが生きている世の中のこと。
つまり、もし私たちに何か見えていないことがあるとすれば、それは隠されているからではない。
自分がちゃんと見ていない、あるいは、見方がわからないだけだ、という意味です。
この世の出来事には、全てそうなってしまった理由がある。
自分がしてしまったミスや過ちも、あるいは誰かの行動も、ちゃんと見れば、必ず原因や発端がある。
草柳が、その生涯を通じてやろうとしたことは、もしかしたら、我々がきちんと見ていないものを明らかにすること、あるいは、見方を教えることだったのかもしれません。
野球解説者、野村克也は、言葉の大切さを草柳に教わったと言います。
「指導者が部下に思いを伝えるときには、言葉が重要になる。言葉の持っている力を最大限に使わなくてはいけない」。
野村はそう教えられました。
彼が南海ホークスの監督を解任されたとき、現役を退こうと草柳に相談したところ、こう言われました。
「君はまだ若い。人間は、『生涯一書生』だから、ずっと勉強を続けるべきだよ」。
野村克也はその言葉を聞き、『生涯一捕手』一生を野球のポジションのキャッチャーに捧げる覚悟を持ったのです。
言葉をおろそかにしてはいけない。
もっともっと勉強して、自分の言葉を磨くこと。
そうして野村は名監督としてチームを優勝に導いてきました。
週刊誌の草創期に言葉を武器に闘ったジャーナリスト、草柳大蔵が、その人生でつかんだ明日へのyes!とは?
評論家、ジャーナリストの草柳大蔵は、1924年、横浜市に生まれた。
成績は優秀。神奈川県立横浜第二中学校、現在の横浜翠嵐高校を経て、東京帝国大学に入学、在学中に学徒出陣した。
特攻隊に自ら志願。戦争が終わると、大学に戻った。
政治、経済、法律を学んだが、いつも心に言葉の存在の大きさがあった。
「全ての基本は、言葉で伝えるということだ」。
彼の人生の転機になったのが、ジャーナリストの草分け的な存在、大宅壮一(おおやそういち)との出会いだった。
25歳、勤めていた出版社を解雇されたばかりのときだった。
『大宅壮一マスコミ塾』に学び、やがて彼の助手になった。
世は、週刊誌の創刊ラッシュ。
『週刊新潮』『女性自身』などの創刊にたずさわった。
今、起こっている出来事を丁寧に取材して、深く入り込むということ。
「見えないんじゃない、ちゃんと見ていないんだ」。
そんな焦りにも似た戒めが、常に心にあった。
現実を薄切りにしてペロリと口に入れ、食べた気になっていないか。
おまえは、薄味の人生でいいのか。
こんなに情報が多い世の中だからこそ、ひとつのことに執着すべきではないか。
草柳の自問は、生涯続いた。
草柳大蔵は、ジャーナリズムについて勉強をしているとき、文藝春秋出身のあるひとに、菊池寛(きくちかん)が社員に伝えた「新雑誌の編集方針三か条」というのを教えてもらった。
菊池寛が言った三つのこと。
それは、第一に時機に適していること、第二に簡潔であること。第三にわかりやすいこと、だった。
時機に適する、すなわち、チャンスをつかみ、時代に合ったものであること、というのはわかる。
しかし、第二と第三が、簡潔で、わかりやすいこと?
これからジャーナリズムをもっと深く学ぼうと思っていた気分が、削がれる思いになった。
でも、よく考えてみれば、そこに真理があった。
深く学ぶということは、情報をたくさん身につけ、言葉を飾ることではない。
ものごとが的確に見えていないから、装飾にはしる。
心の目でしっかり対象が見えてさえいれば、至極簡単な言葉で表現できるはずだ。
ジャーナリズムの世界に、どんどんひかれていった。
言葉で、世界をひもとく。言葉で、今を切り取る。
草柳は、やがて評論の道にも足を踏み入れた。
彼の関心は、いまある日本がいかにして形づくられたかに移った。
草柳大蔵は、とにかく本を読んだ。
静岡県熱海市の自宅の書斎は、本で埋め尽くされていた。
78歳で亡くなったあと、その一部、7千冊あまりを、妻は静岡県立中央図書館に寄贈。
図書館に「草柳コーナー」ができた。
常日頃、若者たちに「1日に本を27ページ、読みなさい。専門書、教育書、頭が疲れたときに読む本、3つのジャンルをそれぞれ9ページずつ。そうすれば1年間で、1万ページ近く読める計算になる」と言っていた。
教育論について書きたいテーマがあり、亡くなる直前まで書斎で推敲を重ねた。
スクラップブックに、資料の山。
明日の日本を憂いていた。
「ひとづかい」という言葉がある。
あのひとは、ひとづかいが荒い、などという。
「金づかい」という言葉もある。
お父さんは金づかいが下手だねなどという。
草柳は、もうひとつ、「時づかい」と言った。
みんなもっと時間の使い方を考えてもいいはずだ。
人生は限られているのだから。
同じ日に生まれ、同じ日に亡くなったひとがいたとして、彼らの過ごした時間の蓄積量は同じでも、時間の蓄積値は違うはずだ。
習慣というのは恐ろしい。
1日の中にもうこれ以上、何も入らないと思ってしまう。
そのうちに世の中が見えなくなっていく。
たくさんの情報の中に、真実を見つける目が濁ってしまう。
たった1時間、いつもと違うことをしてみる。
それだけで、見える風景が変わり、時づかいがうまくなる。
草柳大蔵は、自らのたくさんの著作を通して、我々に問う。
「君には、世界がちゃんと見えているか?」
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