yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二百四十一話 諦めない -【海外レジェンド篇②】作曲家 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二百四十一話諦めない

今年、生誕180周年を迎える、ロシアの大作曲家がいます。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。
6つの交響曲やヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲など、数多くの名曲がありますが、特に彼の名声を確実なものにしたのがバレエ音楽です。
『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』。
この3曲は現代に至っても、全世界で大人気の演目になっています。
チャイコフスキーの経歴は、他の有名なクラシックの作曲家とは、大きく異なっています。
彼は10歳から法律学校で学び、19歳で法務省の役人になりました。
幼い頃から特別な音楽教育を受けずに役人になった彼は、どうしても作曲家への夢を諦めきれず、21歳で初めて音楽学校の門を叩いたのです。
英才教育を受けた、年下の同級生たち。
先生の話すことが、思うように理解できない焦りと苦しみに苛まれる日々が続きました。
さらに働きながらの二足のわらじ。
音楽だけに時間を使えたらと思いながら、眠気と闘ったのです。
作曲家としてデビューしても、正当な評価が得られず、苦悶の連続。
繊細で壊れやすい心を持つ彼は、手紙や日記を書くことで、なんとか自分を保ちました。
あまりにメランコリックだと、彼の作風を揶揄するひともいました。
どうにも曲調が暗いと、敬遠する風潮もありました。
それでも彼は、己の信じた音楽を追及し、決して挑戦の姿勢を変えませんでした。
チャイコフスキーは、知っていたのです。
音楽には、力がある。
ひとを癒し、ひとの苦しみを和らげる魔法がある。
だから一生を賭けるのにふさわしいものである、と。
53年の生涯を作曲に捧げたレジェンド、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

クラシック界のレジェンド、偉大な作曲家、チャイコフスキーは、1840年5月7日にロシア帝国 ヴィトキンスクで生まれた。
ヴィトキンスクは、ロシア中部の鉱山の街。
父は、製材所の所長で、地元の名士だった。
チャイコフスキーの母は、後妻。
父とは18歳、歳が離れていた。
母は、貴族女学校を卒業した才女でドイツ語にフランス語、ピアノができた。
チャイコフスキーは、母からの期待を一身に受ける。
母方から神経過敏な性格を受け継ぎ、ささいなことに心揺れる子どもだった。
雨が降っているのを見ては泣き、風が窓を叩くだけで怯えた。
4歳の時、父がモスクワ出張のお土産に、小型の手回しオルガンを買ってきた。
母を喜ばすためのオルケストリオン。
夢中になったのは、息子のほうだった。
初めて指を触れ、音が鳴り響いたときの感動は、生涯、彼の心に残った。
音が風のように部屋を舞い、やがて窓の外に消えていく。
天使が通ったあとのような余韻。
「これが、音楽よ」
母が言った。
「これが、奏でる、ということよ」
チャイコフスキーは、野山を歩き、自然の中にも音楽を探した。
川のせせらぎ、鳥のさえずり。
幼くして、世界が音楽であふれていることを知った。

チャイコフスキーの音楽についての才能は誰もが認めることだった。にもかかわらず、両親に、彼を音楽の道に進ませるという発想は微塵もなかった。
芸術は教養として身に着けるものであって、仕事にするものではないというのが、彼等の常識だったからだ。
チャイコフスキー自身、モスクワの法律学校に進むことが当然だと思っていた。
成績は優秀。
母の期待に応えたかった。
寄宿舎での暮らしは、孤独だった。
故郷に手紙を書くことで、なんとかしのぐ。
1年生の夏。
芸術鑑賞会で、グリンカのオペラ『皇帝に捧げし命』を見て、体中に電気が走るような感動を覚えた。
幼い頃の記憶がよみがえる。
母と聴いたモーツァルト、ロッシーニ、ドニゼッティ。
自分の生活に何が欠けているか、わかった。
「そうだ、音楽だ」。
暇さえあれば音楽室に通い、ピアノを弾くようになる。
一度聴いた曲は、すぐに即興で演奏できた。
校舎の中庭を歩いているとき、ふと、音符が降ってきた。
メロディが浮かぶ。
音符をひとつもこぼさぬように、音楽室に駆け込んだ。
夢中で鍵盤に音符を置く。
「作曲…僕は…自分で音楽を作っても…いいんだ」
14歳の時、最愛の母が流行していたコレラで亡くなった。
まだ42歳。
失意のどん底のときも、結局、ピアノの前に座った。
涙を流しながら、母が愛したモーツァルトを奏でた。

チャイコフスキーは、法律学校を出たあと、法務省に就職。
生真面目で内気な青年は、きっちり仕事をこなし、上司から評価された。
でも、退屈で仕方がない。
そのストレスを劇場通いで発散した。
オペラ、バレエ、シンフォニー、演目に関わらず、片っ端から見てまわる。
後にこの時間が、彼の作曲の栄養になるとは思わずに。
ある日、法律学校の同級生が、帝室ロシア音楽協会が生徒を募集していることを教えてくれた。
さっそく入学する。
役所と学校の二足のわらじ。
体はきつかったが、毎日が充実したものになった。
理論を教えるザレンバという教師は、チャイコフスキーの才能にいち早く、気がついた。
英才教育を受けてこなかったおかげで、ベートーヴェンの洗礼や当時の流行りの旋律とは無縁。
自由なオーケストレーションと社会人を経験したことで得た常識が、ほどよく混ざり合っていた。
それでも焦るチャイコフスキーを、ザレンバは叱咤激励した。
「諦めるな! 好きなもの、やりたいことを見つけたら、とにかく諦めないことだ。諦めなければ、いつか、きっと花開く」
音楽学校を卒業すると、当時、最もお金にならないと言われた「作曲家」を志望。
役所も辞め、自ら背水の陣を敷いた。
生涯、お金には恵まれなかったが、作曲を続けた。
初演が不評でも、新聞に悪口を書かれても、音楽を手放すことはなかった。
最後の作品になった交響曲第6番『悲愴』も、さんざんな反応だった。
前代未聞の消え入るように終わる第四楽章。
でも、彼は胸を張って言った。
「この曲は、我が人生で最高の一曲である」

【ON AIR LIST】
情景(バレエ組曲『白鳥の湖』より) / チャイコフスキー(作曲)、モスクワ放送交響楽団
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 / チャイコフスキー(作曲)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、シャルル・デュトワ(指揮)
君の喜びは我が喜び(歌劇『ドン・ジョヴァンニ』より) / モーツァルト(作曲)、オランダ管楽アンサンブル
交響曲第6番 ロ短調「悲愴」(第4楽章途中から) / チャイコフスキー(作曲)、モスクワ放送交響楽団、ウラジーミル・フェドセーエフ(指揮)

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけとじゃがいものバター炒め

今回は、ロシア料理に欠かせない食材、じゃがいもを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけとじゃがいものバター炒め
カロリー
172kcal (1人分)
調理時間
10分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • じゃがいも
  • 小1個
  • ピーマン
  • 1/2個
  • ベーコン
  • 2枚
  • バター
  • 10g
  • 小さじ1/4
  • 黒こしょう
  • 適量
  • パセリ
  • 適量
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは食べやすくほぐす。
  • 2.
  • ベーコンは2cm幅に、ピーマンは輪切りにする。じゃがいもはよく洗い、皮ごとくし形に切る。
  • 3.
  • フライパンにバターの半量を熱し、じゃがいもを炒め、蓋をして5分程蒸し焼きにする。
  • 4.
  • 火が通れば、残りのバターを加えて、ベーコン、霜降りひらたけ、ピーマンの順に炒める。塩、黒こしょうで味を調え、刻んだパセリをちらす。
  • recipe LIST

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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