yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百九十二話 生まれてきた役割を知る -【福島篇】大山捨松-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百九十二話生まれてきた役割を知る

新しい年号、『令和』がスタートしました。
5年後に発行される予定の新五千円札の肖像は、津田梅子。
その津田とともに、初めての海外留学を果たした女性がいます。
大山捨松。
捨松という名から想像できませんが、「鹿鳴館の華」と賞賛を浴びた、見目麗しい才女です。
大河ドラマ『八重の桜』では、モデルの水原希子が演じ、話題になりました。
福島県の会津若松出身の彼女の父は、会津藩の国家老。
国家老とは、主君が参勤交代で江戸にいっている間、留守をあずかる要職です。
何不自由なく育った捨松は、8歳で会津戦争に遭遇。
家族とともに籠城し、負傷兵の手当をしたり、食事の世話を手伝ったりしました。
そんな彼女は、わずか11歳で岩倉具視使節団の留学生募集を受け、女性として初めてのアメリカ留学に参加します。
当時、アメリカは、鬼が棲んでいると噂が飛び交うほど、未知の世界。
年端も行かぬ娘を留学させるのは、本人もさることながら、家族も、並大抵の覚悟では見送ることができない時代でした。

捨松のもともとの名前は、咲子。
母親は、娘をアメリカに送り出すときにこう言いました。
「もうあなたのことは、一度は捨てたと思います。ただ、あとは、必ず帰ってきてくれると心の底から待つだけです」。
捨てて、待つ。そこから、捨松という名前に改名したのです。
なぜ、11歳で留学という道を選んだのか、そして、捨松がアメリカで得たものとはいったい何だったのか?
そこに、新時代を生き抜くヒントが隠されているかもしれません。

会津藩でありながら、西郷隆盛の従兄弟、薩摩藩の大山巌と結婚したことでも物議をかもした時代の寵児、大山捨松が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

大山捨松は、1860年、安政7年に会津に生まれた。
代々、武士の家柄だった。世は、幕末の混乱の最中。
会津藩は、最後まで官軍側につくことはなく、常に戦火とともにあった。
捨松のふるさとが主戦場になった、会津戦争。
薩摩藩・土佐藩を中心とする新政府軍と、会津藩と奥羽越列藩同盟の旧政府軍の戦いは激しさを増した。
捨松、8歳。
家族とともに、籠城し戦争の厳しさを知る。
「焼き玉押さえ」という作業が、女性たちの仕事だった。
城内に着弾した焼き玉の不発弾に、濡れ雑巾を持っていっせいに駆け寄る。
焼き玉を冷やすことで爆発を防ぐという原始的な対処法。
ときに爆発。
手伝っていた捨松も大けがをした。
兄嫁は、目の前で絶命。
戦争の悲惨さとともに、幼い捨松は悟った。
「死は、いつだってすぐ近くにある。いま来るか、明日来るか、誰にもわからない。だったら私は、今日一日を精一杯生きてみよう。それしか、死に勝てる方法はない」

新政府軍に負けた会津藩は、財政が困窮。
捨松の家も、途端に貧しくなった。
だが、気位の高い武士の家系。
すぐに生活を落とすわけにもいかない。
仕方なく、末っ子の捨松を函館に養子に出すしかなかった。
兄に連れられて、4日かけて新潟まで出る。
そこから船に乗った。
初めて見る、海。
広かった。青かった。
興奮して甲板を歩き回る。
ただ、函館に着く頃、圧倒的な不安が捨松を襲った。
「こんな遠くまで来て、私はこれからどうなっていくんだろう」。
そんなとき、いつも会津戦争で亡くなっていったひとたちのことを思い出した。
「どこに行っても、逃げ回っても、死はついてくる。だったらもう恐がるのはやめよう。どうなってもかまわない。ただ私は、この目でしっかりこの世界を見てやる!」

移住者が暮らす家には、畳もなく、障子には和紙も貼っていない。
吹き付ける冷たい風。
寒さは会津で慣れていると思ったが、11歳の捨松には耐え難いものだった。
毎晩寝る前に思った。
「それでも、自分はまだ生きている…」。

そんなとき、捨松の兄は、北海道開拓のための人材育成の一環として、女性の留学生を募集していることを知る。
留学期間は、10年。
往復の旅費や学費、生活費の全てを政府が支払うというものだった。
捨松の頭脳明晰さや行動力を知っていた兄は、さっそく応募。
当時は、15歳で嫁にいくのが一般的なならわし。
10年も留学してしまえば、婚期を逃すことは目に見えていた。
第一次の公募には誰も名乗りをあげず、第二次の公募でようやく5人の女性が手をあげた。
その中に、津田梅子もいた。
捨松は、「わかった」とだけ言った。
自分に「いやだ」という選択肢はないと思った。

大山捨松の心には、二つの思いがあった。
自分は、家族の中でいらない存在であるという自覚、そして、死がいつも近くにあるという覚悟。
もはやアメリカも怖くはなかった。
留学生活は、1年延長し、11年に及んだ。
そこで見たもの、得たものを日本に持ち込む。
特に彼女が先駆者となったのが、「ボランティア精神」だった。
ホームステイしたニューヘイブンの家に、捨松より2歳年上のアリスという末娘がいた。
アリスは、献身的に捨松の面倒を見た。
中学生の頃から人種差別と闘い、黒人たちの教育にも熱心だった。
アリスに言われた。
「ねえ、捨松、人間はね、一生でひとつ、何か役割を担って生まれてくるんだと私は思う。それを見つけられたひとは、とても幸せだと思う。あなたはときどき、暗い目をするけれど、いつかその役割をちゃんと見つけられるから、負けないで」
多くのひとに出会い、捨松の心にあたたかいものがあふれ出す。
彼女は人生を賭けて証明した。
「そうか、私、生きていていいんだ。生まれてきてよかったんだ」

【ON AIR LIST】
BILINGUAL GIRL Feat.Joe Bataan / Yerba Buena
THROUGH THE FIRE / Chaka Khan
CLOSER TO FINE / Indigo Girls
WHEN LOVE HAS GROWN / Roberta Flack & Donny Hathaway

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけと白菜のバターぽん酢炒め

今回は、会津若松で多く栽培されている野菜、白菜を使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけと白菜のバターぽん酢炒め
カロリー
184kcal (1人分)
調理時間
10分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • 白菜
  • 130g
  • ベーコン
  • 50g
  • 適量
  • バター
  • 15g
  • ぽん酢
  • 大さじ1
  • 塩・こしょう
  • 少々
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけを小房にほぐし、ベーコンは1cm幅に切る。
  • 2.
  • 白菜の葉の方は4~5cm位の大きさに、軸の方は4~5cmの拍子木切りにする。
  • 3.
  • フライパンに油を熱し、ベーコン、霜降りひらたけを中火で炒める。
  • 4.
  • (3)の具材に油が絡まったら、(2)の白菜を入れてさらに炒める。
  • 5.
  • 白菜が少ししんなりしてきたら、バター、ぽん酢、塩・こしょうで味を調える。
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番組へのメッセージ

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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