第百九十二話生まれてきた役割を知る
5年後に発行される予定の新五千円札の肖像は、津田梅子。
その津田とともに、初めての海外留学を果たした女性がいます。
大山捨松。
捨松という名から想像できませんが、「鹿鳴館の華」と賞賛を浴びた、見目麗しい才女です。
大河ドラマ『八重の桜』では、モデルの水原希子が演じ、話題になりました。
福島県の会津若松出身の彼女の父は、会津藩の国家老。
国家老とは、主君が参勤交代で江戸にいっている間、留守をあずかる要職です。
何不自由なく育った捨松は、8歳で会津戦争に遭遇。
家族とともに籠城し、負傷兵の手当をしたり、食事の世話を手伝ったりしました。
そんな彼女は、わずか11歳で岩倉具視使節団の留学生募集を受け、女性として初めてのアメリカ留学に参加します。
当時、アメリカは、鬼が棲んでいると噂が飛び交うほど、未知の世界。
年端も行かぬ娘を留学させるのは、本人もさることながら、家族も、並大抵の覚悟では見送ることができない時代でした。
捨松のもともとの名前は、咲子。
母親は、娘をアメリカに送り出すときにこう言いました。
「もうあなたのことは、一度は捨てたと思います。ただ、あとは、必ず帰ってきてくれると心の底から待つだけです」。
捨てて、待つ。そこから、捨松という名前に改名したのです。
なぜ、11歳で留学という道を選んだのか、そして、捨松がアメリカで得たものとはいったい何だったのか?
そこに、新時代を生き抜くヒントが隠されているかもしれません。
会津藩でありながら、西郷隆盛の従兄弟、薩摩藩の大山巌と結婚したことでも物議をかもした時代の寵児、大山捨松が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
大山捨松は、1860年、安政7年に会津に生まれた。
代々、武士の家柄だった。世は、幕末の混乱の最中。
会津藩は、最後まで官軍側につくことはなく、常に戦火とともにあった。
捨松のふるさとが主戦場になった、会津戦争。
薩摩藩・土佐藩を中心とする新政府軍と、会津藩と奥羽越列藩同盟の旧政府軍の戦いは激しさを増した。
捨松、8歳。
家族とともに、籠城し戦争の厳しさを知る。
「焼き玉押さえ」という作業が、女性たちの仕事だった。
城内に着弾した焼き玉の不発弾に、濡れ雑巾を持っていっせいに駆け寄る。
焼き玉を冷やすことで爆発を防ぐという原始的な対処法。
ときに爆発。
手伝っていた捨松も大けがをした。
兄嫁は、目の前で絶命。
戦争の悲惨さとともに、幼い捨松は悟った。
「死は、いつだってすぐ近くにある。いま来るか、明日来るか、誰にもわからない。だったら私は、今日一日を精一杯生きてみよう。それしか、死に勝てる方法はない」
新政府軍に負けた会津藩は、財政が困窮。
捨松の家も、途端に貧しくなった。
だが、気位の高い武士の家系。
すぐに生活を落とすわけにもいかない。
仕方なく、末っ子の捨松を函館に養子に出すしかなかった。
兄に連れられて、4日かけて新潟まで出る。
そこから船に乗った。
初めて見る、海。
広かった。青かった。
興奮して甲板を歩き回る。
ただ、函館に着く頃、圧倒的な不安が捨松を襲った。
「こんな遠くまで来て、私はこれからどうなっていくんだろう」。
そんなとき、いつも会津戦争で亡くなっていったひとたちのことを思い出した。
「どこに行っても、逃げ回っても、死はついてくる。だったらもう恐がるのはやめよう。どうなってもかまわない。ただ私は、この目でしっかりこの世界を見てやる!」
移住者が暮らす家には、畳もなく、障子には和紙も貼っていない。
吹き付ける冷たい風。
寒さは会津で慣れていると思ったが、11歳の捨松には耐え難いものだった。
毎晩寝る前に思った。
「それでも、自分はまだ生きている…」。
そんなとき、捨松の兄は、北海道開拓のための人材育成の一環として、女性の留学生を募集していることを知る。
留学期間は、10年。
往復の旅費や学費、生活費の全てを政府が支払うというものだった。
捨松の頭脳明晰さや行動力を知っていた兄は、さっそく応募。
当時は、15歳で嫁にいくのが一般的なならわし。
10年も留学してしまえば、婚期を逃すことは目に見えていた。
第一次の公募には誰も名乗りをあげず、第二次の公募でようやく5人の女性が手をあげた。
その中に、津田梅子もいた。
捨松は、「わかった」とだけ言った。
自分に「いやだ」という選択肢はないと思った。
大山捨松の心には、二つの思いがあった。
自分は、家族の中でいらない存在であるという自覚、そして、死がいつも近くにあるという覚悟。
もはやアメリカも怖くはなかった。
留学生活は、1年延長し、11年に及んだ。
そこで見たもの、得たものを日本に持ち込む。
特に彼女が先駆者となったのが、「ボランティア精神」だった。
ホームステイしたニューヘイブンの家に、捨松より2歳年上のアリスという末娘がいた。
アリスは、献身的に捨松の面倒を見た。
中学生の頃から人種差別と闘い、黒人たちの教育にも熱心だった。
アリスに言われた。
「ねえ、捨松、人間はね、一生でひとつ、何か役割を担って生まれてくるんだと私は思う。それを見つけられたひとは、とても幸せだと思う。あなたはときどき、暗い目をするけれど、いつかその役割をちゃんと見つけられるから、負けないで」
多くのひとに出会い、捨松の心にあたたかいものがあふれ出す。
彼女は人生を賭けて証明した。
「そうか、私、生きていていいんだ。生まれてきてよかったんだ」
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THROUGH THE FIRE / Chaka Khan
CLOSER TO FINE / Indigo Girls
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