第百四十六話野心に忠実であれ!
世界遺産に含まれる大浦天主堂の隣に、長崎の観光スポットの定番のひとつ、「グラバー園」があります。
長崎港を見下ろす高台にある、優雅な庭園。その広さは、三万平方メートル。
あたりには季節の花々が咲き誇り、さっと吹き抜ける風が心地よく頬をなでていきます。
ここは、かつて長崎に暮らしたある外国人の敷地でした。
その外国人とは、日本の近代化の礎を築いた、トーマス・ブレイク・グラバー。
スコットランド出身の商人だったグラバーの身辺には、さまざまな風評が渦巻いています。
「金の亡者、冷酷無比の武器商人」「日本の夜明けのために尽力した文明開化の功労者」「秘密結社のスパイ」「坂本龍馬の後ろ盾になった人情派」
それらを全て差し引いても、グラバーの功績は歴史が証明しています。
日本で初めて蒸気機関車を走らせた男、長崎を造船の街として知らしめるために造った西洋式ドック。
炭鉱の経営に、お茶の貿易や国産ビールの開発。
150年前の日本になくてはならない「挑戦」という二文字を、計画、実践したのです。
彼は日本人の女性と結婚、外国人としては異例の勲章を受け取り、文字通り、日本に骨をうずめたのです。
弱冠21歳で日本にやってきた異国の若者が、なにゆえそこまで日本にのめり込んだのか…。
そこには、彼の野心がありました。
幼い頃、いつも眺めていた、海。
「あの海の向こうには、いったいどんな世界があるんだろう。たった一回の人生、ボクはここから飛びだして、全部知りたい」
野心を持ち続けることができた、幕末の偉人、グラバーが人生でつかんだ明日へのyes!とは?
幕末の偉人、トーマス・ブレイク・グラバーは、1838年6月6日、スコットランドに生まれた。
父は沿岸警備隊の一等航海士。グラバーは、父が大好きだった。
いつも威厳をもって子どもと接する姿を見て、幼いながらに「このひとに認められたい」という思いを強く持った。
グラバーが生まれたフレーザーバラ(Fraserburgh)という漁村は、厳しい自然環境だった。
1年のうち半分は、いつも冷たい風が吹き荒れる。北海の身を切るような風は、一瞬で体温を奪った。
よそ者がやってきても、1か月ももたない。みんな風にやられて去っていく。
でも、グラバーは海を見るのが好きだった。
吹きすさぶ風を一身に受けながら、いつまでも海を眺める彼の姿を、村人たちは不思議そうに見ていた。
「あの先には、ボクが知らない世界がある」
それを空想するだけで、ワクワクした。
海や港は彼にとって、野心という種を育てる最上の畑になった。
兄弟の中で群を抜いていた、グラバーの卓越した鑑識眼や知能に父もまた、驚いていた。
「この子はもしかしたら、とんでもなくでかいことをやってのけるかもしれない」……密かに思っていたという。
ただ、その「とんでもなくでかいこと」が何なのか、想像はつかなかった。
長崎の観光スポット、グラバー園のトーマス・ブレイク・グラバー。彼の父は海軍大尉で沿岸警備隊の司令官だった。
転勤が多く、港々を転々とした。
そのたびに、子どもたちは転校。
あるとき、グラバーは父に初めて反抗した。
「ボク、今の学校を移りたくない!」珍しく、大声を出してあばれた。
理由は簡単だ。好きなクラスメートがいた。名前はエリザベート。初恋だった。
「あの子に逢えなくなるなんて、考えられない!」
でも、父は諭した。
「それでも、家族は移る。トーマス、いいか、それが人生だ」
翌日、グラバーは父に言った。
「パパ、昨日は取り乱してごめんなさい。わかりました。ボクは転校します。きっと大人の世界では、こんな理不尽なことが当たり前なんだよね。いま、ボクはそれを学んでいるんだ。この世は、道理が通らないことがまかりとおる。早くに学べてよかったよ。ありがとう」
父は驚いた。10歳ほどの子どもが言うセリフではなかった。
そのとき、グラバーの心にある思いがしっかり刻まれた。
「人生がそもそも理不尽なら、ボクは、道理を越える生き方をする!」
日本の近代化の礎を築いた、トーマス・ブレイク・グラバー。子どもの頃、引っ越した先のアバディーンという港町が、たいそう気に入った。
小さな造船所がいくつもある。
漁船や蒸気船、貨物船など、さまざまな船が停泊していた。活気があった。
船から降りてくる船乗りが話す異国の物語に高揚した。
港に通う。学校で習った旋盤技術で、造船所を手伝ったりした。
一方で、海難事故も目撃。無残に座礁して、めちゃくちゃになった船を見て、自然の脅威に身震いした。
港は最大にして最良の学校だった。
そして、いつも思った。
「この海の先の異国に、行ってみたい。そこでボクは、生きる。一生、ここに帰ってこなくてもいい」。
ギムナジウムを卒業すると、兄たちが営む商社に就職。
念願かなって海を越え、上海に赴任した。でも、肌が合わない。仕事も雑務ばかり。
そんなとき、上海店の上司がこんな話をした。
「グラバー君、日本という国を知ってるかい?これから、間違いなく発展する国になるよ。ウチの会社が今度長崎に進出するんだが、どうだろう、長崎に人生を賭けてみないか?」
フツウであれば、断ったに違いない。
でも、グラバーは、二つ返事でOKした。
「行かせてください!ボクは、もっともっと異国を知りたい。港を見るたびに、ボクの心がうずくんです。ボクの野心が頭をもたげるんです」。
トーマス・ブレイク・グラバーは、幼い頃、体で浴びていた北海の冷たい風を常に忘れなかった。
この先には何があるだろう、この海の向こうで父に褒められるような仕事がしたい。
彼の野心の始まりには、邪念がなかった。
だから続く。
心に港を持った人間は、いつでも船出できる。
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遠い空 響く声 / カーネーション
ドック・オブ・ザ・ベイ / Sergio Mendes & Brasil '66
High Hopes / Paolo Nutini
The Whole of the Moon / The Waterboys
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