第二百六十話自分の原点を知る
かやぶき屋根の古民家を改造したこの美術館は、秋田出身のある芸術家の功績をたたえて造られました。
その芸術家とは、暗黒舞踏の創始者、土方巽(ひじかた・たつみ)。
1950年代後半に土方が提唱した暗黒舞踏とは、日本古来の風土や伝統と前衛的なパフォーマンスを融合させたもの。
舞踏の踏の字は、踊るではなく、踏む。
バレエなどとは一線を画したこのダンスは、白塗りに、剃髪、裸体。アングラ芸術の代名詞にもなりましたが、世界的に、アルファベットでButoh、ブトーと賞賛され、日本では、三島由紀夫や澁澤龍彦、埴谷雄高など多くの作家たちを魅了しました。
1965年、まるでカマイタチのように田代地区にやってきた土方は、住民らを驚かし、触れ合い、攪乱し、村を舞台に駆け抜けます。
子どもたちの前で飛んでみせ、田んぼを疾走する。
その様子を写真家がフィルムにおさめたのです。
写真集『鎌鼬(かまいたち)』は、日本のみならず世界に衝撃を与えました。
土着と芸術。
その融合がこれほど見事になされた写真がなかったからです。
田代地区は、土方の父の実家があった場所。
彼にとっての原風景が、画面からあふれています。
同じ東北出身の寺山修司と同時代を生きた土方もまた、自分の出自を見つめ続けたのです。
日本人が日本人である証は、いったい何処にあるのか?
誰かから与えられ押し付けられた美しさだけを、求めていないか?
土方の問いかけは、今の私たちに響いてきます。
戦後を代表する舞踏家・土方巽が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
暗黒舞踏の創始者・土方巽は、1928年3月9日、南秋田郡旭川村、現在の秋田県秋田市に生まれた。
繁華街まで歩いて20分ほどだったが、目の前には田んぼが拡がっていた。
11人兄弟の10番目。
幼い頃からやんちゃだったが、彼を決定的に異端に変えたのは、秋田県師範学校 附属小学校に入学したことだった。
県内随一の進学校。
エリート、ブルジョアの子息だけが集まった。
土方の父の実家は確かに豪農だったが、遠く及ばない。
半農で蕎麦屋を営む家から通うのは、土方ただひとり。
どうせ体制側に入れないのであれば、せいぜい異端を突き詰める。
そんな気概を育んだ。
番長といきがる相手は早々に叩きのめし、気がつけば彼に逆らう者は誰一人いない。
天下をとったはずなのに、虚しかった。
国の情勢は戦争に傾いていく。
軍事訓練は、嫌だった。
しかし、ある日、秋田市内でヒトラー・ユーゲントの一糸乱れぬ行進を見たとき、意味の分からぬ高揚感を覚えた。
同じ頃、秋田出身の舞踏家、石井漠(いしい・ばく)のダンスを見る。
石井は、ドイツ・ベルリンで修業を積んでいた。
「すごい…ダンスってすごい、手足がピンと伸びて、カッコいい…」
ダンスの凄さとドイツの凄さが、少年の心に刻まれた。
舞踏家のレジェンド・土方巽は、幼い頃から運動神経がずば抜けていた。
高校はラグビーの名門、秋田工業学校、現在の県立秋田工業高校に入学。
ラグビー部に入り、将来を嘱望されるが、過酷な練習と軍隊式な上下関係が嫌で、あっという間に離脱。
学校も不祥事で留年。
喧嘩にあけくれる中、なんとか卒業すると、秋田製鋼に入社。サラリーマンになる。
もとより異端な性格が消えるわけもなく、何かしたい。
宮仕えだけでない、何か体を使うことをやりたい…。
駅前にダンス教室を見つける。
「増村克子モダンダンス研究所」。
増村はドイツに留学経験を持つ、ノイエ・タンツの流派だった。
土方は、ダンスにのめり込んだ。
身体表現に新しい境地を見た。
ただ…ドイツ流でいいのか?
その疑問が沸く。
「オレは、日本人だ…日本人にしかできないことをやりたい」
土方は増村に同行する形で、上京。
1947年、昭和22年の東京は…まだ一面、焼野原だった。
上京した土方巽は、貧しさと戦いながら生活した。
その日暮らし。
ときに路上で眠り、寺で休んだ。
川沿いの簡易宿泊所での生活は、みじめ、そのものだった。
「毎朝起きると、まず、その日の食べ物の心配をしなければならなかった」
でも、ダンス、踊ることはやめなかった。
貧しい暮らしが、肉体とは、ダンスとは何かを教えてくれる。
ドイツの踊りでは表現できない何か…。
ふるさと秋田と東京を行き来するうちに、思い出した。
幼い頃見た農家のひとたちの生き様、農作業をする動き、家に帰って眠るときの姿勢…。
ピンと手足が張り詰めているのは、ほんとうに綺麗だろうか。
自分が見た農家のひとは、ガニ股だった。
寒さで手足が縮こまり、猫背だった。
そこで気づいた。
「オレは、ほんとうに自分の意志で歩いているか? 誰かに歩かされてはいないか? おのれの肉体に梯子(はしご)をかけ、深く深く降りていっているか?」
一世一代の写真集を撮影する場所に、ふるさと秋田を選んだ。
そこにしか、自分の踊りの原点はない。
ひとは土地によって育まれる。
ひとは、幼い頃みた風景に、幼い頃受けた風に、命の尊さを知る。
【ON AIR LIST】
EVEN AFTER ALL / Finley Quaye
NEUE TANZ / YMO
夜の踊り子 / サカナクション
UP FROM THE SKIES / RICKIE LEE JONES
【協力】
細江英公
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