第三百七十三話心に革命を
太宰治(だざい・おさむ)。
39歳で亡くなる、1年前に書かれたこの作品は、戦後の日本にとっても、そして太宰治にとっても、世間を揺るがすベストセラーになりました。
「斜陽族」という流行語まで生んだ小説には、チェーホフの『桜の園』を思わせる貴族の没落が描かれています。
執筆75周年を記念して、今月末から11月にかけて『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』という映画が公開されます。
この映画の脚本は、世界的な映画監督・増村保造(ますむら・やすぞう)と、脚本家・白坂依志夫(しらさか・よしお)が、生前残した草稿を元にしています。
日本映画界を牽引した二人の、どうしても映画化したかった積年の想いが、ようやく結実するのです。
太宰は、『斜陽』を東京・三鷹の田辺肉店の離れで完成させました。
三鷹駅周辺には、太宰ゆかりの場所がいくつも点在しています。
よく通った酒屋の跡地には「太宰治文学サロン」があり、旧宅の玄関前にあった百日紅の木も健在です。
2020年12月8日には、三鷹市美術ギャラリー内に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」が開設されました。
『斜陽』他、初版本や直筆原稿も展示され、かつての太宰宅を訪れたような、不思議なトリップ感を味わうことができます。
太宰が、『斜陽』で書きたかったこと…。
それは本編の中にある、こんな一文に集約されるのかもしれません。
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」
わずか39年の生涯でしたが、太宰は多作でした。
それを可能にした一因に、多くの作家が筆を休めた戦時中も、旺盛に書き続けたことがあげられます。
検閲を逃れるために、古いおとぎ話になぞらえて小説を書いたり、自らの体験をベースに世の中を描いたりしました。
戦争が終わり、日本に革命は起きたか?
起きませんでした。
それどころか、戦時中、声高に語っていた常識は崩壊し、手のひらを返すように、体制におもねる大人が散見されたのです。
太宰は、思いました。
「この世の中は嘘つきばかりだ…そして自分もまた、その中のひとりだ」
心の革命を最後のよりどころにした無頼派・太宰治が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
文豪・太宰治は、1909年、明治42年6月19日、青森県津軽に生まれた。
本名・津島修治(つしま・しゅうじ)。
津島家の屋号は、「やまげん」。
県下屈指の大地主で、父は衆議院議員、貴族院議員を歴任した。
六男として生まれた太宰は、乳母に預けられ、家督を継ぐ重責から逃れる。
成績は優秀。
ひとの顔色を見て、裏の心を敏感に察知する少年だった。
津軽人としての誇りと、都会へのコンプレックス。
ブルジョアに生まれた至福と、恥ずかしさ。
二つの相反する思いが、彼を孤独にしていく。
よりどころは、小説だった。
16歳の頃には、自分で小説を書いていた。
一方で、非合法な政治活動に参加。
放蕩三昧を心配した家族が早めに身を固めさせようとしたが、20歳のとき、カフェの女給と最初の自殺未遂。
女給は命を落とし、太宰だけが助かる。
政治活動、女性、そして小説。
どれも命がけだった。
太宰の20代は、小説、酒、自殺未遂に明け暮れる。
30歳のとき、井伏鱒二の口利きで結婚。
東京・三鷹に移り住んでから、ようやく落ち着いて作家生活に没頭できるようになった。
ただ、彼の心の革命は、終わるどころか、新しい始まりを迎えていた。
太宰治が三鷹に暮らして、およそ2年後。
太平洋戦争が勃発。
ものを自由に言えない空気が、世の中を支配する。
多くの作家が不本意ながら口をつぐむ中、太宰は違った。
書いた。書いて書いて書きまくった。
まるで己の人生を早く終わらせるかのように。
『女生徒』『走れメロス』『思い出』『新ハムレット』…。
検閲にひっかかり、特高警察に呼び出されても、あるいは空襲警報の最中、暗闇に閉ざされても、小説を書き続けた。
時代の大きな流れに逆らえないときこそ、小さな物語、小説が必要だ。
民衆が何も言えぬときこそ、作家が呼びかけなくてはいけない。
せめて、心に革命を!
『斜陽』の中に、こんな一節がある。
僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。
生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。
足りないんです。
いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。
太宰治は、『斜陽』という作品に、2つのモチーフを考えていた。
敬愛するチェーホフの『桜の園』。
そしてもうひとつは、自分の実家、津島家に代表される名門旧家の没落。
そこに、3つ目のピースが加わった。
それは、太田静子(おおた・しずこ)という女性の日記。
太宰に小説の手ほどきを受けていた静子は、自分が書いた日記を差し出した。
1947年2月。
静岡県沼津の旅館にこもり、太宰は一気に『斜陽』を書き始める。
新聞の連載は大好評。
本が出版されると、大ベストセラーになった。
小説の語り部、没落貴族の令嬢・かず子は、離婚して母と二人暮らし。
酒びたりの小説家・上原に出会うことで、それまでの価値観を疑い、あらたな人生を歩むことを決断していく…。
太宰治は、戦前、戦中、戦後という目まぐるしく変容する社会の中に、普遍的なもの、変わらないものを探した。
ある価値観が崩壊しようとも、人間には、真理があるはずだ。
いや、一度、己の価値観を疑ってみなくてはいけない。
心の革命。
その先にこそ、きっと、世の中を正常に戻す、一筋の光がある。
『斜陽』の終盤。かず子は、手紙にこう書いた。
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし。
【ON AIR LIST】
斜陽 / Mr.Children
12の練習曲集作品10 第12番ハ短調「革命」 / ショパン(作曲)、小山実稚恵(ピアノ)
意識 / 椎名林檎×斎藤ネコ
ラピスラズリの涙(映画『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』主題歌) / 小椋佳
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