第九十七話40歳からの生き方
日本女子大学三泉寮。
1906年、明治39年に建てられた、軽井沢初の大学の寮です。
今風に言うならば、セミナーハウス。大学一年次の学生は夏の間、ここで教養特別講義を受けます。
爽やかな風に抱かれ、いにしえの先輩たちと同じように、ノートをとる女子学生たち。
大正5年8月18日午後5時。
特別講師の講演が始まりました。
壇上に立つのは、タゴール。
インドの詩人にして思想家、教育者、そしてアジア人として初めてのノーベル賞の受賞者、ノーベル文学賞に輝いた世界的に有名な賢人です。
『軽井沢高原文庫通信』2003年7月5日発売号に、そのときの講演の内容が掲載されています。
タゴールは、瞑想、メディテーションの大切さを説いています。
「何かを得ようとしてはいけない。大事なのは、宇宙と一体化すること。そうして初めて自由になれる。真の自由は本当の喜びであり、私欲がなくなれば、畏れるものも消え失せる。そこには利己的な活動も差別もない。みんながその境地に立てば、この世から争いは消え、平和が訪れる」。
そう、語りました。
タゴールは、偉大な思想家の家系に育ち、裕福な暮らしの中、自分の思うがまま、生きてきました。
ところが、順風満帆に見えた40歳のとき、突然の災厄が彼を襲います。
その試練に彼はどう立ち向かい、何を思い、何を実行したのでしょうか?
今も世界中のひとから敬愛されている詩人が、40歳でつかんだ明日へのyes!とは?
インドの詩人にして思想家、タゴールは、1861年5月7日に生まれた。
家は、西ベンガル州コルカタの名門。
祖父は実業家で莫大な財産を築き、父は宗教家としてひとびとの信仰の中心にいた。
タゴールは、14番目の子どもで8男。
優秀な兄たちとは違い、厳しいしつけに反抗する、手に負えない子どもだった。
詩作には長けている。でも、どうもパッとしない我が子に、父はイギリス留学をすすめる。
しかし、これもうまくいかず卒業できない。
これは早めに身を固めてしまうしかないと思った父は、タゴールが22歳のときに、結婚話をすすめ、タゴール家の領土のひとつ、シライドホの管理をまかせた。
彼は、自分のやり方で、この仕事に真摯に向き合った。
領地の管理だけではなく、農村開発にまで着手。
村の福祉や教育にまで関心を寄せた。
ひとが暮らしていくということ。
その根幹の障壁や苦悩を理解しようと努めた。
何かあればすぐに駆けつけ、改善しようとする。
そんな地主は、いなかった。
シライドホの河で、船頭をしている老人は、言った。
「あのひとは、神様みたいなひとじゃった。何かあったら、必ず相談するように、言っていたよ。不作に悩む小作人が支払いできないでいると、平気で待ってくれた。いつも、優しい目をしていたよ。全てを包み込むような、優しい目をねえ」。
タゴールは、80歳でこの世を去った。
そのちょうど半分、40歳のときに転機が訪れる。
40歳の彼は、ある意味、全てを手にしていた。
シライドホの領地を守る地主として村人から信頼を集め、詩人としてのキャリアを積み、愛する妻と5人の子どもにも恵まれた。
さらにタゴール家が所有するシャンティニケトンという場所に、理想の教育施設を作る事業も始まっていた。
誰もがうらやむ人生の成功者に見えた。
しかし、天はそんな彼に、容赦ない試練を用意した。
妻が病に倒れる。嫁いだばかりの次女も体調を崩す。
理想の学園建設も、資金がうまく回らず頓挫。
他に手がけていた事業にも失敗。多額の借金を背負う。
資産を全て吐き出した。
やがて、妻が息をひきとる。
次女だけでなく、末の息子までコレラで亡くす。
学園を任せていた後継者も、天然痘で命を落とした。
家族、仕事、何もかもうまくいかない。
タゴールは、天を仰ぐ。
「どうすればいい?私はこの先、どうすればいい?」
初めて味わう孤独。初めて体験する哀しさ。
そのとき彼は、後の人生を決定づける選択をする。
「そうか、わかった。これが私の定めならば、私は真正面から向き合おう。一歩たりとも、逃げたりはしない」。
40歳からのちの、タゴールの創作活動は、冴え渡った。
人生の深淵に手を伸ばし、生きることの哀しさに向き合った。
一歩たりとも、逃げないこと。後ろを振り返らないこと。
彼は失意や絶望を昇華し、詩をつむいだ。
『果物採集』という有名な詩がある。
危険から守ってくださいと祈るのではなく、
危険に勇ましく立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを願うのではなく、
痛みに打ち勝つ心を持てますように。
人生という戦場で味方を探すのではなく、
自分自身の力を見出せますように。
不安と怖れの下で救済を望むのではなく、
自由を勝ち取るために耐えられる心を持てますように。
成功の中にだけ幸せを感じられるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ、全てが自分にゆだねられているのだと
気づけますように。
タゴールは、52歳のときに、ノーベル文学賞を受賞する。
まさしく青天の霹靂だった。
周囲の態度、環境が変わる。
まるでもうひとりのタゴールがいるような感覚に陥った。
でも、彼は自分を見失うことはなかった。
40歳からの10年間。
ひたすら孤独と向き合い、己のなすべきことをなす努力を、日々してきたから。
40歳で人生を見直す。
自分を見つめなおす。
己の本分を、見極める。
そして、自分にしか描けない絵を描く。
それはときに孤独や疎外をともなう。
でも、タゴールは教えてくれる。
「願ったことしか、かなわない」。
そして、
「大地を花で埋めるのは、大地の涙があればこそ」。
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