第四十八話マイナスをプラスに転じる
袴、羽織姿のその人物は、ジョン万次郎こと、中濱万次郎。
手には、コンパスと三角定規を持っています。
彼が見つめるのは、太平洋。海の先には、アメリカ大陸があります。
もともと彼は、好き好んで大好きな母がいる土佐を離れ、アメリカに渡りたいとは思っていませんでした。
海での漁を許される満14歳、初めての航海に出て、いきなり遭難してしまったのです。
無人島に流れ着き、なんとか生き延びた万次郎。
彼を救ったのが、アメリカ合衆国の捕鯨船『ジョン・ハウランド号』でした。
土佐では貧しさゆえに、ろくな教育も受けることができなかった万次郎は、アメリカに渡り、猛勉強の結果、日本に戻ると英語の教授職を得るまでになりました。
さらに、幕末から明治への「日本の夜明け」に、大いなる貢献をしたのです。
万次郎を翻弄する数々のアクシデント。
では、彼はただ運命に身を任せていただけだったのでしょうか?
いいえ、彼は、じっと待つだけの男ではありませんでした。
今やれることは何かを考え、瞬時に行動する。
決して諦めない心を持つ。
そんな彼の気質は、生まれ育った土佐清水の風土が培ってくれました。
どんなときも「生きること」に賭けた男、ジョン万次郎が、生涯でつかんだ、明日へのyesとは?
ジョン万次郎こと、中濱万次郎は、1827年1月、土佐清水の中濱に生まれた。
父は、海の男。腕の良い漁師だった。
母は、裏山をせっせと耕し、家計を助けた。
半農半漁。
万次郎は、決して裕福とはいえないが、なんとか毎日が暮らしていける、そんな家の次男として生まれた。
姉が2人、兄が1人、妹が1人の7人家族。
その仲の良さは、地元でも評判だった。
父の跡を継ぐべき兄は、生まれながら体が弱かった。
土佐沖の海は荒い。とても漁師には、なれない。
反対に万次郎は快活で元気。病気ひとつしなかった。
父は、心のどこかで思ったに違いない。
「俺の跡を継ぐのは、万次郎をおいて他には、いない」
父は万次郎に泳ぎを教えるために、海に放り込んだ。
砂浜で相撲をとった。
釣りを教え、どんなときも考える癖をつけさせた。
「いいか、万次郎、黙っていても、獲物は獲れん!潮の流れ、おてんとうさまの位置、魚は自然とともに動く。何事にも理由があるんじゃ。それを見極めろ!」
網の編み方、紐のなえ方、雲や風、潮の読み方を教えた。
でも、万次郎が満7歳になるとき、昼飯を終えた父が、
「ちょっと気分が悪かけん、少し寝るぜよ」
と言って床につき、そのまま帰らぬひとになってしまった。
母は言った。
「おっとうは、空の上からみんなを見守っとるけん、家族で力を合わせ、頑張らねばいかん」
こうして、万次郎に最初の苦難がやってくる。
でも、彼はその苦難から逃げることはなかった。
父が教えてくれた。
「いいか、万次郎、どんなに波が荒れようが、前に進むことをやめてはいかん!」
ジョン万次郎の家は、日に日に貧しくなっていった。
母も体が弱く、稼げるのは万次郎しかいなかった。
近所を回って、子守り、米つき、薪割り、草取り、なんでもやった。
仕事をするとき、彼は必ず工夫をした。
少しでも効率をあげるにはどうしたらいいか、考えた。
それは父に教わったことだ。
たとえば子守り。おんぶしても泣き止まない子も、魚を獲る網を木陰に張ってハンモックにして休ませれば、スヤスヤと眠った。
米つき。こねるとき、浜辺で拾った石を入れると、精米のスピードが速くなることを発見した。
でも、村人は、万次郎のやり方を非難した。
「手抜きだ、邪道だ!」
どうして誰も認めてくれないんだろう。納得がいかない。
早く漁に出たい。父のように海に出たい。
土佐では満14歳にならなければ、漁に出ることは許されなかった。
そうしていよいよ、そのときがきた。
中濱万次郎、満14歳。
しかし、この航海が彼の運命を大きく変えることになる。
ジョン万次郎こと、中濱万次郎を乗せたマグロ漁船は、暴風雨に巻き込まれ、遭難してしまった。
数人の乗組員とたどり着いたのは、無人島。
アホウドリが生息する、通称、鳥島だった。
絶望的な飢えとの闘い。負傷しているものもいた。
万次郎は、いちばん下っ端の料理係としての任務をなんとか遂行しようと試みた。
飲み水がない。
雨を貝殻に貯め、傷ついた仲間にふるまう。
なけなしの道具で魚を捕まえる。
いよいよ水がないと誰もが諦めても、彼だけは必死に水源を探し続けた。
そうして見つけた湧き水。
みんなの命を救った。
5か月にも及ぶサバイバル生活の果て、1隻のアメリカの捕鯨船が通りかかった。
日本はまだ鎖国中。救助されたがハワイに強制的に連れていかれる。
でも、船長のホイットフィールドは、万次郎に注目した。
よく気がつく。臨機応変な対応ができる。
何より、黒板とチョークを面白がって、見よう見真似で英語を覚えようとする。
万次郎は言った。
「僕を捕鯨の旅に、一緒に連れていってください!」
船長は、万次郎を仲間に加えた。
万次郎は持ち前の機転をきかせて、船の中でやるべき仕事を見つけ、創意工夫で素早くこなした。
みんな、そのたびに笑顔でこう言ってくれた。
「サンキュー」。うれしかった。
ひとに感謝されることがこんなにも生きがいになるのか。
船長はさらに万次郎を気に入り、やがて養子にするまでに至った。
アメリカ本土に渡った万次郎は、オックスフォードで学んだ。
英語はもちろん、数学、測量学、航海術、造船技術、寝食を忘れて勉強に没頭。
バーレット・アカデミーを主席で卒業した。
ここで学んだことが日本の文明開化の助けになるとは、万次郎自身、思わなかったにちがいない。
どんな苦境でも、それを嘆く前に行動し、マイナスをプラスに転じる。
彼が日本人に教えたものは、生き様だった。
【ON AIR LIST】
Accidents Will Happen / Elvis Costello & The Attractions
Don't Stop Me Now / Queen
十四才 / THE HIGH-LOWS
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