第二百十七話弱さを愛し、優しさを愛する
国内外からの多くの来訪者で賑わった2019年秋の会期が、11月4日で終わろうとしています。
瀬戸内海はかつて、近畿中央文化の源であり、豊かな資源に守られ、北前船の母港として日本列島全体を活性化しました。
そんな海の復権をも担う、芸術祭。
その中心にある島のひとつ、香川県の小豆島で欠かせない観光名所が「二十四の瞳映画村」です。
壷井栄の不朽の名作が映画化されたのは、1954年、昭和29年でした。
昭和3年から終戦の翌年までの激動の時代を描き、大石先生と教え子たちの師弟愛、美しい小豆島の自然と、貧しさや古い家族制度と戦争によってもたらされる悲劇を、対照的に映し出した心温まる感動作です。
主演は、高峰秀子。
そして、この映画を監督したのが、木下惠介(きのした・けいすけ)。
監督デビューは黒澤明と同じ年ですが、世間的な認知度や評価は対照的です。
叙情的で女性的な語り口。
人間の強さより弱さに焦点をあてた作風は、ともすれば地味で派手さがなく、ひとびとの関心を集めるのに不向きでした。
のちにテレビに転身し、山田太一など、優れたドラマ作家を輩出する礎を作りました。
穏やかな作風とは違い、人物はいたって頑固。
好きと嫌いの中間がありませんでした。
スタッフに「先生」と呼ぶことを禁じ、それを守らず「木下先生」と呼んだが最後、烈火のごとく怒ったと言います。
彼が大切にしたのは、人間の弱さでした。
「強いから優しくなれるというけどねえ、それは違うよ。弱いから、自分の弱さを知っているから、優しくなれるんだよ」
松竹にヒューマニズムを根付かせた天才映画監督、木下惠介が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『二十四の瞳』の映画監督、木下惠介は、1912年12月5日、静岡県浜松市に生まれた。
惠介の祖父、治兵衛は、裕福な家系に生まれたが、「仏の治兵衛」と呼ばれるほど、お人よし。
ひとに金を用立てているうちに財産を失った。
惠介の父は、そのせいで小学校もろくにいけず、肉体労働。
歯を食いしばって、お金を稼ぐ。
やがて「木下商店」という漬物屋を開業。細々と商売を始めた。
惠介の姉と兄は、生まれてすぐに亡くなった。
貧乏と忙しさのせいだった。
「漬物がいいのはなあ、金持ちも貧乏人も食べるんだ。しかもなあ、漬物ひとつあれば、あとは米さえあれば、なんとかなるもんだ」
そう言いながら、父は、がむしゃらに働いた。
惠介が幼い頃、母は言った。
「お父さんが、食べているときに泣いたような顔になるだろう。あれはねえ、お父さん、若い時に苦労しすぎて、食事するときは、つい泣き顔になってしまうんだよ」
底抜けにお人好しな祖父と、どんな状況でもへこたれずに前に進む父。
二人の性質を、木下惠介は引き継いだ。
映画監督、木下惠介の父は、なんとか商売を軌道に乗せた。
使用人を雇うまでになっても、苦労時代の慣習が消えない。
使用人がまだ寝ている朝5時に起きる。
大きな竈(かまど)に火をくべ、煮物や佃煮を作った。
幼い惠介は、父に言った。
「そんなことは、使用人にやらせればいいんじゃない?」
父は静かに、でも厳しく諭した。
「いいか、惠介、ひとを使うには、自分がいちばん先頭に立たなくちゃいけないんだ。使用人は雇い主を見ている。いい使用人になって欲しかったら、自分がいい雇い主になるしかないんだよ」
ある日、炊事の手伝いをしているおばさんが、お勝手口のゴミ箱の影に何かを隠すのを、惠介は見た。
確かめてみると、醤油瓶だった。
きっと仕事が終わったあと、盗んで持ち帰るのだろうと見当をつけた惠介は、その醤油瓶を元の台所に戻しておいた。
夕方。
お勝手口にいっておばさんを待つ。
出てきたおばさんは、必死にゴミ箱のあたりを探し始めた。
その姿が滑稽に見える。
それを父に報告すると、父は怒った。
「そんな罪なことをするもんじゃない!」
そのときはまだ、父がなにゆえそこまで怒るのか、理解できなかった。
のちに惠介は、気づく。
ひとにはひとの事情がある。
それをわかってあげることこそ、人間関係の始まりだということに。
木下惠介は、両親の深い愛に包まれて育った。
幼子を二人亡くした経験を持つ両親にとって、惠介は宝物だった。
ひとには、たったいっときでも、誰かに無償の愛を注がれた経験が必要だ。
惠介は、深く愛されていることを肌身で感じた。
祖父がお人好しのせいで苦労したにも関わらず、父は、誰にでも優しかった。
「今月もつけを払えません」と言いにきた主婦には、「かまいませんよ、お金があるときで」と言いながら、佃煮の土産まで持たせた。
従業員には、漬物や佃煮を包むときは、「目方を多めにしなさい」と注意した。
「包んだ経木(きょうぎ)に水分が奪われてしまうんだよ」
味にもこだわり、戦時中、砂糖が配給制になって思うように使えなくなっても、採算度外視で砂糖を手に入れ、品質を落とすことを嫌った。
そんな父の背中を見て育った惠介は、二つのことを学ぶ。
優しさが全て。
それが弱さに裏打ちされていようが構わない。
優しくないものは、全て悪である。
もうひとつは、ものを作るうえでの覚悟。
自分がつくるものの品質を落としてはいけない。
どんな理由があろうとも。
映画監督、木下惠介は、弱さを撮った。
優しさにこだわった。
「映画は、漬物のようだ。お金持ちも貧乏人も、等しく心を潤す」
彼は生涯忘れなかった。
あの食卓で見た、父の泣き顔を。
【ON AIR LIST】
WHO NEEDS SHELTER / Jason Mraz
WORK TO DO / The Isley Brothers
TENDERNESS / Paul Simon
SHOWER THE PEOPLE / James Taylor
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