第二百三十二話積み重ね、また積み重ね
内藤多仲(ないとう・たちゅう)。
1925年に、東京、愛宕山の鉄塔を設計して以来、彼は、全国におよそ60基のラジオ塔を手掛けました。
1954年には、我が国最初のテレビ塔、名古屋テレビ塔を設計。
180メートルは、当時としては破格の高さでした。
1957年春。
早稲田大学の教授を70歳で定年退職した内藤に、あらたな仕事が舞い込みました。
エッフェル塔の324メートルを越える、世界一高い電波塔を設計してほしい、そんな発注。
内藤は、すぐに首を縦に振りません。
それもそのはず、日本には、うかつに高い塔を建てることができない、地震と台風という深刻な天災があります。
フツウであれば断るそのときに、彼はこう答えました。
「日本は、世界のどの国よりも鉄塔建築の条件が悪い。それだけに、独創的な構造を思いつかなければなりません。この大工事は、困難なものになるでしょう。でも、不可能ではありません。やってみましょう」
当時はまだ、パソコンも電子計算機もない時代。
内藤は、計算尺だけを頼りにして、構造計算だけに数か月を費やしました。
作成した設計図の数は、一万枚にも及んだと言われています。
全ての工事が終わったときの気持ちを、彼はこんな言葉で残しました。
「今まで肩にのしかかっていた重荷がほぐれたような安らぎの気持ちで、しばし瞑目して、感激にひたった」
内藤多仲は、特別な人間だったのでしょうか?
おそらく彼は、ただただ自分の仕事にひたむきだったのです。
あなたは、全てが終わったあと、感激にひたれる仕事をしていますか?
あえて困難な仕事を引き受け、常に自らを律した建築家のレジェンド、内藤多仲が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
東京タワーの設計者として知られる建築家、内藤多仲は、1886年6月12日、現在の山梨県南アルプス市に生まれた。
子どもの頃から、手先は器用だったが、勉強の仕方は不器用だった。
ひとつ疑問が解決できないと、先に進めない。
まるで後に志す建築家のように、土台がしっかりしていないと積み上げることができない。
「先生、どうしてですか?」
「先生、なぜそうなるんですか?」
教師を質問攻めにする。
愚直で真っすぐ。
ひとがどう言おうが、自分が納得できないと、その場で立ち止まり、あえて前には進まなかった。
中学生のとき、担任の先生に言われた。
「おい、内藤、そんなんじゃこれから苦労するぞ。もっと柔軟に、あるところは手を抜いていいんだ」
内藤は、先生には反論しなかったが、心の中で思った。
「ボクはおそらく、この真面目さを大切にすることで自分を保つ。そうしたいのではなくて、そうでしか生きられないから」
成績は優秀。
旧制甲府中学から第一高等学校を経て、東京帝国大学、現在の東京大学に進学した。
設計に興味を持った理由は、理系と文系の融合。
地に足がついた斬新な発想が求められること。
そして、世の中のためになる、と思ったから。
「塔博士」「耐震構造の父」と言われる建築家、内藤多仲が大学で学んでいた頃は、まだまだ西洋建築の影響から脱しきれず、鉄骨を使いながらも外壁にはレンガや石を使い、耐震性に優れているとは言えなかった。
「地震が多いこの国で、どうやったら丈夫で長持ちする建築が具現化できるんだろう…」
思案する内藤に朗報が届く。
念願だったアメリカ・ボストン工科大学への留学。
スヴェン博士の力学の講義に、刺激を受けた。
不利益な力を排除するということ。
材は曲げることに適していないため、常に圧力と張力に注意すること。
もっと学びたかったが、タイムアウト。
今ひとつ本質をつかめぬまま、帰国の途についた。
帰りの船で、激しい嵐に遭遇。
船は上へ下へと大きく揺れた。
船内のものはことごとく壊れる。
体をあちらこちらにぶつけながら、内藤はある事実に驚いた。
アメリカから持ち帰ったトランクだけが、揺れにも重みにもびくともしない。
トランクを開け、中を調べる。
「そうか、間仕切りの中蓋があるから、つぶれないのか…さらに外側から縛った、たった一本のロープが強度を増したんだ」
同僚は、嵐の最中、トランクを見て微笑む内藤を見て、気味悪く思った。
「これだ、この技術だ…構造物を強くするヒントがわかった!」
壁のない骨組みだけの建造物は、地震がくればたちまち変形してつぶれてしまう。
しかし、間仕切りに壁を入れれば、エネルギーが均衡化できる。
地震に耐える壁。
内藤多仲は、これを「耐震壁」と命名した。
耐震構造理論の体系化は、簡単にはいかない。
内藤は、辛抱強く、コツコツとデータをまとめ、設計図を画いた。
わずかにでも気になるところがあれば、元に戻り、また積み上げる。
それは、考古学者が小さな刷毛で、大きな古墳を掘りだす作業に似ていた。
「みんなが安心して暮らせる世の中のために、妥協などできない」
内藤はそう心に誓った。
1923年9月1日。
関東大震災が東京を襲った。
悲嘆にくれる暇もなく、内藤は学生たちを引き連れ、現場の調査に乗り出す。
どのビルが倒壊し、どの建物が無事だったか…。
「この大変なときに、何をやっているんだ」と揶揄するものもいた。
でも内藤には、大義があった。
「日本には日本独自の構造物が必要なんだ、俺は、必ずそれをつかんでみせる」
内藤多仲の生まれ故郷、山梨県南アルプス市の櫛形北小学校には、校内に石碑がある。
そこには、内藤多仲のこんな言葉が刻まれている。
「積み重ね 積み重ねても また積み重ね」
内藤の母校とされるこの学校の生徒は、修学旅行で必ず東京タワーを訪れる。
完工式が行われて、62年。
艱難辛苦(かんなんしんく)に耐え抜いた東京タワーは、今も都民の心のシンボルとして輝いている。
【ON AIR LIST】
手のひらの東京タワー / 松任谷由実
SHAKE / Gap Band
SO VERY HARD TO GO / Tower of Power
流星都市 / オリジナル・ラブ
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