第二百十二話笑顔を絶やさない
三波春夫。
彼は、1964年の東京オリンピックのテーマソング『東京五輪音頭』を生涯、歌い続けました。
この歌に込める思いを、こんなふうに語っています。
「戦後初の日本の大イベントである、この東京オリンピックは、世界に向かって日本が『日本は、日本人は、こんなに頑張って復興しましたよ』と示す、晴れ舞台なんです」
戦争で戦い、シベリアで俘虜(ふりょ)になって、言葉では言い表せない体験をした三波には、特別な思いがあったのです。
さらに1970年に開催された大阪万博のテーマ曲も、彼が歌うことになります。
『世界の国からこんにちは』。
この歌でも、彼がいちばん言いたかったことは、日本ってすごいんだ、日本人はほんとうに頑張って生きているんだ、という強い思いでした。
内面に激しい葛藤を抱えながら、三波春夫は笑顔でした。常に、満面の笑顔でした。
「男の顔には、二種類あると思っています。苦労を刻んだ顔、もうひとつは、苦労を乗り越えた顔。私は、できれば後者を目指したい。顔に苦労を貼り付けて生きるのは、恰好悪いんです。平常心さえ保てていれば、自然と笑顔になる。私は、笑顔でいたい」
シベリアで囚われの身になっているときも、仲間を元気づけるために、喉から血が出るまで浪曲を歌い続けました。
笑顔になってくれさえすれば、それでいい、そう願いながら。
新潟が生んだ希代の演歌歌手、三波春夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
三波春夫は、1923年7月19日、現在の新潟県長岡市に生まれた。
父は、地元の「なんでも屋」。
書籍、文具、瀬戸物、印刷まで請け負う、言葉どおりの、なんでも扱うなんでも屋だった。
家には本があふれている。
三波は、物心がつくと、『少年倶楽部』を読んでいた。
本も好きだったが、外を走り回ることも大好きなガキ大将。天真爛漫な子どもだった。
しかし、7歳の秋、突然母が亡くなる。
哀しさより先に、驚きがきた。
「お母さんがいなくなるって、どういうこと?」
やがてやってくる、絶望的な喪失感。
父は、夜になると子どもを集め、母の仏壇の前で民謡を歌った。
「さあ、おまえたちも歌え。悲しんでいると、お母さんがあの世で泣いちゃうからな、さあ、歌え!」
末っ子の三波が、いちばん大きな声で歌った。
「いいぞ、それでいいんだ。笑おう、笑顔になろう。お母さんもそのほうが安心するからなあ」
仏壇の母の写真も心なしか、微笑んで見えた。
三波春夫が、9歳のとき、父が再婚。
継母は、優しいひとだった。
三波は、この義理の母になついた。
夜なべをする母に、本を読んで聞かせた。
「おまえは、声がいいねえ。お母さん、おまえの話を聞くのが大好きだよ」
そう言われて、うれしくなる。
学校でも、朗読を褒められた。
いちばん好きだった話が『俵星玄蕃と杉野十平次』。
晩年、三波春夫の真骨頂として大絶賛された長編歌謡浪曲の原体験は、このときにあった。
少年時代得意だったのは、スキーと相撲。
小柄ながら、がっしりとしていたので、相撲は強かった。
小技を繰り出し、大きな体の相手を負かす。
県の対抗試合に代表で出るほどの実力だった。
家に帰れば、すぐにラジオをひねる。
浪曲を聴くのが好きだった。
継母には言えなかったが、浪曲を聴くと、実の母を思い出す。
仏壇の前で歌っていた頃のせつなさと、あったかい気持ちがやってくる。
いつしか、何曲も暗唱できるようになった。
田んぼのあぜ道を歌いながら歩いていると、田植えの老人たちが笑顔になってくれた。うれしかった。
学校の帰りは、ラジオ代わりにあぜ道で歌った。
三波の声は、山間を抜け、真っ青な空に舞い上がった。
三波春夫の父は、ひとが良すぎて、売掛金を取り立てることができなかった。
苦しい家計。つい、株に手を出す。
大損した。
家業は倒産。
まわりのひとは、冷たかった。
夜逃げ同然で、東京に向かう。
夜汽車でふるさとを離れるしかない。
硬い三等車。
一家は無口だった。
「これ、食べなさい」
母が子どもたちに、お菓子をすすめた。
自分もお腹がすいているのに。
車窓から、暗い中、ポツンと灯りがついている家が見えた。
あったかいオレンジの灯り。
それを見て、三波の目から涙がこぼれた。
父が突然、浪曲を歌い始めた。
三波も続く。
家族みんなが笑顔になった。
「歌はいいなあ」父が言った。
三波は、思った。
一生、歌って生きていきたい。
歌でみんなを笑顔にしたい。
自分にできることは、それしかない。
東京に着くと、すぐに米屋に奉公に出される。
夜通しの米の選別は、13歳の子どもにはきつかった。
米の配達も重労働。
でも、配達途中、レコード店の前を通るのが好きだった。
流れてくる、広沢虎造の『次郎長伝』。
わくわくした。頑張れた。笑みがこぼれた。
芸能の世界に身を置きたいと、心から思った。
三波春夫は、いちばん哀しいときこそ、笑顔になることを覚えた。
心がついてこなくてもいい。
まずは笑ってみる。
そうすれば、やがて心も笑顔になる。
【ON AIR LIST】
東京五輪音頭 / 三波春夫
俵屋玄蕃 / 三波春夫
赤とんぼ / 三波春夫+コーネリアス
世界の国からこんにちは / 三波春夫
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