第百八十六話自分を見つめることをやめない
中島敦。
彼の代表作のひとつは、国語の教科書にも採用された『山月記』。
中国の古典を題材にしたこの小説は、ある男が山奥で虎に変わってしまった友人に出会う変身譚です。
日々、心を虎に侵食されつつある友人が、最後に残った人間の心で語った自らの心情はこうです。
「己(おれ)は、詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて誌友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である」
臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。
それこそ、33歳の若さで亡くなった小説家、中島敦を常に苦しめた、内なる悪魔でした。
幼くして神童の名をほしいままにした天才は、いくら名声をつかんでも足りない渇きを抱えていました。
産みの母を知らず、二人の継母に育てられた幼少期。埼玉県久喜市で過ごした2歳から6歳までが、彼の人生を決定づけたと言っても過言ではないかもしれません。
大人を軽蔑しながらも、絶対的な愛に飢える少年。
もっと自分を大切にしてくれ!という叫びと、自分なんかどうなってもいい、ほっといてくれ!という投げやりな気持ちが混在して、彼を追い立てます。
「おまえがここにいてもいいかどうか、おまえが証明しろ!」
そうして中島が出した答えは、小説を書くことでした。
自分と向き合い、書いて書いて書きまくる。
それは、心の血を流す荒行です。
でも、彼は逃げませんでした。
孤高の小説家・中島敦が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『山月記』を書いた小説家・中島敦は、1909年5月5日、東京四谷に生まれた。
同じ年に、太宰治が生まれている。
中島の父は、文部省教員検定試験に受かった漢学者。
千葉県銚子中学校で漢文の教師をしていた。
母もまた、元小学校の教員だった。
母は教員というより、芸術家気質。
敦が生まれても、詩作に励み、同人誌に参加。
家事をいっさいしない。
気が強く、我が道をいく。
呆れた姑が耐え切れず注意しても、言うことをきかない。
結局、敦が2歳のときに、離婚することになった。
母の記憶がほとんどないまま、埼玉県久喜市の祖父母の家にひきとられる。
祖父はすぐに亡くなり、祖母と伯母に育てられた。
利発で感受性の鋭い敦は、幼な心に思った。
「自分は、この世に生まれてきてよかったんだろうか」
どこかよそよそしい食卓の雰囲気は、全部自分のせいだと感じた。
父が再婚することになり、再び呼び戻される。
父の赴任地、奈良に行く。
方言に圧倒され、ついていけない。
彼はますます内省的になり、心の中でやがて虎になる自我を太らせていった。
33歳で夭折した小説家・中島敦は、小学生時代、まわりが驚くほど頭脳明晰だった。
さほど努力をしているように見えないが、試験では常にトップ。先生も一目置いた。
小柄で無口。誰にも心を許さなかった。
家では、継母に折檻された。
継母は、いきなりヒステリーになり、敦を庭の木にしばりつける。
夜、帰宅した父が縄をほどいた。
敦は急に怒り出す継母を冷静に見ていた。
「人間は恐いな。急に違う生き物に変わってしまう」
敦は体が弱く、体操の時間はいつも教室にいた。
西日が射す教室でひとり本を読んでいるときが、いちばん心安らかだった。
先生からの信頼は絶大で、ずっと級長をつとめた。
やがて、浜松に転校。
そこである教師が話したこんな話に恐怖を抱いた。
「いいか、みんな、地球はどんどん冷却し、やがて人類はなあ、絶滅するんだ。我々の存在なんてもんは、そんなもんは、全く意味がないんだ」
意味がないと言われて恐怖を抱く自分がいる。
そこで彼は気づいた。
「そうか、僕は生きたいんだ。生きている意味を見出したいんだ」
作家・中島敦は、浜松の次に海を越え、朝鮮の学校に転校した。12歳になっていた。
そこでも秀才ぶりを発揮。日本にいたときより、むしろ伸び伸びできた。
校庭を駆け回る。クラスのみんなと騒いだり、ふざけたりした。
そんな中、継母が急死する。
父は再び、結婚。
二番目の継母は、どこか下品で敦は距離を置いた。
でもそんな継母にだらしなくベタベタと接する父を見て、心底軽蔑した。
家族と話すのをやめる。父は敦の優等生ぶりが自慢だったので、わざと成績を落として父を落胆させた。
その頃から、創作に目覚める。
想像の世界であれば、自分と真正面から向き合うことができた。
いつも、誰かに褒めてほしい自分がいる。
いつも、おまえはそこにいていいんだよと言ってもらいたい自分がいる。
現実には得られない思いを、小説にした。
東京の一高に入り、初めて親元を離れ、ホッとした。
「やっと、24時間、自分でいられる」。
創作に打ち込みながら、彼は自分と向き合うことから逃げなかった。
「僕が僕であるために、自分から逃げない。自尊心と羞恥心のかたまりである自分を、ちゃんと見つめる」
ひとは、自分を見つめることで、ほんとうの仕事を成し遂げる。
【ON AIR LIST】
WAR OF MY LIFE / John Mayer
DIDN'T I (BLOW YOUR MIND THIS TIME) / The Delfonics
GET UP! / The Delirians
RESPECT YOURSELF / The Staple Singers
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