第二百四十八話冒険をやめない
和田重次郎(わだ・じゅうじろう)。
『犬橇(いぬぞり)使いの神様』と謳われた男は、とにかく、やることなすことが規格外。
北極圏6千キロの探検を成し遂げ、未開の地の地図を作製、得意の犬橇で油田、金鉱、砂金を発見、さらには避難していた捕鯨船の救助にあたり、乗組員の命を救い、アラスカで行われる屋内のマラソン大会では3度の優勝を果たしました。
和田の銅像は、彼が育った松山市日の出町にあります。
松山城まで、およそ2キロ。
彼と同時代を生きた正岡子規の句碑も鎮座しています。
2016年にアラスカで、和田を主人公にしたミュージカルが上演され、それを伝える一文が彼の胸像の下に刻まれました。
松山市街から日の出町に行くには、石手川にかかる、新立橋を渡ります。
幼い日、母に手をひかれ、この橋を渡ったときのことを、和田は生涯忘れませんでした。
父を亡くし、母の実家に身を寄せるため、40キロの道のりを母に連れられて歩いた果てにたどり着いた場所。
「あの橋を渡ったら着くからねえ、重次郎、よく頑張ったねえ」
母が頭をなでてくれました。
ひとりアメリカに渡るときも、彼はこの橋から川面に反射する陽の光を眺め、思いを新たにしたのです。
和田は、どんなに遠く離れても、母に手紙とお金を送り続けました。
彼にとって母は、常に精神の真ん中であり、母と歩いた40キロの道のりは、和田にとっての最初にして最高の冒険だったに違いありません。
大きなことを成し遂げたひとこそ、その出発点はささやかで目立たないもの。
でも、栄光の萌芽は、すでに顔をのぞかせていたのです。
アラスカを駆け抜けたサムライ・和田重次郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
開拓期のアラスカを舞台にその名を轟かせた伝説の冒険家、和田重次郎は、1875年1月6日、現在の愛媛県西条市に生まれた。
明治維新から8年が過ぎていたが、まだ頭にちょんまげをのせているひとがいた時代。
重次郎の父は、下級士族の出身。
それなりに財を築いていたが、重次郎が4歳のときに他界。
母は、我が息子の手をひき、実家に身を寄せることにした。
生活は貧しく、学校にも満足に通えなかった。
母は夜、重次郎を寝かしつけるとき、いつも父の話をした。
「お父さんはねえ、それはそれはすごいひとだったんだよ。勇敢で強く、どんなときにもへこたれない。困ったひとがいたら真っ先に助けに走る。いいかい、おまえもお父さんみたいに真っすぐな人間になりなさい」
ほとんど記憶のない父の姿が、どんどん大きくなっていく。
母に褒められたい。
母に頭を撫でてもらいたい。
だから、ボクはお父さんのように立派な人間になってみせる。
愛媛県出身の伝説の冒険家、和田重次郎は、家計を助けるため、12歳で働くことになった。
親戚に紹介してもらった製紙工場。
日の出町は、紙の里として栄えていた。
この頃、アメリカのゴールドラッシュの話題が日本中を駆け巡った。
重次郎の心がザワザワと沸き立つ。
アメリカ…。金鉱を見つける…。
彼は一緒に働く同僚に、こう言った。
「ボクはアメリカに渡って、住友になる!」
当時、住友財閥が経営する愛媛の新居浜の別子銅山は、活況を呈していた。
誰もが相手にしなかった。
心で思ってはみても、実現できるとは思わなかった。
でも、重次郎は違った。
「お父さんのようになるには、まずアメリカに渡らなくちゃいけない。アメリカに渡るには…神戸だ。神戸に行こう」
16歳のとき、母に内緒で家を出た。
石手川にかかる新立橋に佇む。
小さく、胸が痛んだ。
「お母さん、ごめんなさい。きっと立派になって帰ってきます」
和田重次郎は、神戸港から船に乗った。
茶箱に隠れる。密航だった。
サンフランシスコまでの1か月余り、食堂室のボーイたちに食事のあまりをもらい、なんとかたどり着く。
サンフランシスコには、ただアメリカに行きさえすればなんとかなるという日本人密航者がうろうろしていた。
彼等の目はうつろで、行き場を無くし、目的も見えない。
サンフランシスコに留まると、心が濁ってしまうような気がした。
重次郎は、手配師に声をかけられ、捕鯨船・バラエナ号に乗り込むことにする。
3年間で80ドルの契約にサイン。
「これで、お母さんに送金できる」
北氷洋捕鯨は、命がけの仕事だった。
一面流氷のベーリング海峡。
氷に閉ざされてしまえば、船は身動きがとれなくなる。
いくつもの船が消息を絶った。
バラエナ号の船長は、言葉のわからない重次郎に興味を持つ。
物おじしない、真っすぐにこちらを見る視線。
船の操作、捕鯨のしくみ、アラスカでの過ごし方など熱心に教えた。
重次郎は、必死で言葉を覚え、船長の右腕になった。
彼は人並みはずれて強かったわけではない。
何か特技があったわけでも、才能に恵まれていたわけでもない。
ただ、母に褒められたかった。
父のように大きな人間になりたかった。
それには、冒険がいちばんだった。
アラスカの地で真夜中、船長が重次郎を呼んだ。
甲板から夜空を見上げる。
「あれは、虹ですか? 夜中に虹が出るのですか?」
そう訊くと、船長は答えた。
「あれは、オーロラだ。冒険の心を持ち続けたものにしか見えない、七色の奇跡だ」
【ON AIR LIST】
ONE IN A MILLION / John Mayall & The Bluesbreakers
OUT IN THE COUNTRY / Paul Williams
出発の歌 / 上條恒彦&六文銭
LOOKING FOR ATLANTIS / Prefab Sprout
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