第百五話己を信じる
日本演劇界を支え続けてきたカリスマ的女優、杉村春子。
広島に生まれ、広島に育った彼女は、築地小劇場の入団試験を受けたとき、試験官の演出家・土方与志(ひじかた・よし)にこう言われました。
「キミは、ひどい広島訛りだねえ」。
自分では気づかぬほど、ふるさとの言葉は体に沁みついていました。
試験に落ちたと思いましたが、
「使い物になるかどうかはわからないけど、3年くらいはセリフなど言えないつもりで標準語を学ぶなら、まあ、いてみなさい」
と言われました。
広島の女学校の代用教員をしていましたが、劇団の合否を待たずに辞めてしまっていたのです。
「しかしあれだねえ、こっちに入れるかどうかわからないのに、仕事を棒に振って東京に出てきて、キミってひとは、思い切ったことをするひとだ」
そういって土方は笑いました。
「まあ、いてみなさい」
そのたったひとことが、女優・杉村春子の原点でした。
たまたまオルガンを弾きながら賛美歌を歌う役に欠員ができて、演奏できる杉村が抜擢されました。
女学校の先生をしていたことも役に立ったのです。
でもそのときは、ただ歌うだけで、セリフはありませんでした。
以来彼女は、言葉に敏感になりました。
芝居とはすなわち言葉であると、セリフの勉強に最も心を砕いたのです。
文豪・三島由紀夫は、こう評しました。
「姿の水谷八重子、セリフまわしの杉村春子」。
三島は、杉村の演技、とくにセリフまわしに惚れて、彼女は、三島戯曲になくてはならぬ存在になりました。
幾多の困難を乗り越え、演劇史に残る足跡を刻んだ女優、杉村春子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
女優・杉村春子は、1906年広島市に生まれた。
生まれて2週間後に、中野という家に、里子に出された。
杉村の母は芸者だった。芸者をやりながら子どもは育てられない。
父はおそらく軍人ということしかわからない。
杉村は生涯、一度も実の父と母に会うことはなかった。
もらわれた中野という家は、広島の西の色街にあった。
セメントやレンガを扱う建材業を営む裕福な養父。
養母は相当な美人だった。かつてはお座敷に出ていたらしい。
家の周りには、たえず芸者衆がいる。
彼女たちが長唄や三味線を習う軒先に、幼い杉村は顔を出した。
芸者衆も、そんな彼女を可愛がる。
学校に行けば、いろんな素性の同級生が机を並べている。
それが自然なことだった。
さらに家の近くに、寿座という大きな劇場があった。
養ってくれている父が、その劇場の株券を持っていたので、フリーパスで芝居を観ることができた。
物心つく前からの、芝居見物。
芝居好きの父は、大阪や東京まで親子三人で歌舞伎を観に行ったりした。
客席の大人が、泣いたり笑ったり、手を叩いたりするのを、じっと見ていた。
そして、スポットライトを浴びた舞台。
綺麗だった。
そこには、ひとびとを魅了する魔力があった。
環境はひとをつくる。大女優への道は、すでに始まっていた。
女優・杉村春子は、気がつけば大の芝居好きになっていた。
養母は、杉村を芸者にするつもりはなかったので、踊りも三味線も習わせなかったが、お琴だけは通わせた。
小学1年生のとき、学芸会でひとり歌う。
「わたしの人形はよい人形」という歌。大好評だった。
先生にも「声がいいわね、春子ちゃん」と褒められた。
声楽家になろうと思った。
小学6年生のとき、養ってくれた父を病で亡くす。
養母と二人きりになった。
勉学も優秀だった杉村は女学校に進んだ。
そこで、驚くべき事実を知る。
受験のための戸籍謄本。
母は手続きを全て自分ひとりでやったが、女学校の先生に言われた。
「あなたのお母さん、ほんとうのお母さんじゃないんですってねえ」
家に帰って母を問い詰める。
知らなかった。自分の両親が赤の他人だったなんて…。
ショックだった。母にあたった。全てが信じられなくなる。
思春期の反抗期も重なり、どこにぶつければいいのかわからない腹立ちをもてあます。
ただ、そのとき初めて養ってくれた母というひとの人生を知った。
母は貧しさゆえ、幼くして芸者に売られるという境遇だった。
たったひとり人力車に揺られ、田舎町からやってきたときの心を思う。
そういえば、母は色街に育ちながらも、迷信や噂のたぐいを信じなかった。
口癖は、「あんなこと、あてになりゃせんから」。
世の中で信じられるのは、自分だけ。
自分が見たもの、感じたもの、自分が発した言葉だけを頼りに生きていく。
杉村春子は、母の生き様を知って決断した。
「東京に行こう。私はふるさとを出ていく」
杉村春子が、役者人生の多くを捧げ、947回もの舞台をつとめた『女の一生』に、こんなセリフがある。
「人の人生というものは、思いもかけない方に働いていくとみえて、案外、そこに自然な道があるものです…」。
まさに、彼女の人生は、大女優へのレールがひかれているかのような紆余曲折に充ちていた。
広島を出て、東京の音楽学校に入ろうと思うが二度にわたり不合格。
結局、広島にいるしかない。
女学校でピアノを教える代用教員になった。
その学校に東京女子大を出た先生が来て、築地小劇場という劇団の話をしきりにしていた。
ちょうどそんなときに、築地小劇場の広島巡業があり、杉村は観に行った。
初めて観る翻訳劇。
驚いた。ほんとうに西洋人が出てきたのかと思った。
ふと、頭に浮かぶ。
「私、ここに入りたい。いえ、入る」。
どういうわけか、半年もたたないうちに、また広島公演があった。
「ここに入るしかない」。
もう迷わなかった。
女学校に辞表を出す。東京で女優になる。
母をひとり置いて出ることを決めたとき、やっと母のありがたみが心にあふれた。
我が子のように愛してくれた母。
自分の生きる道を応援してくれる母。
実の両親に会いたいとは思わない。
ただ、育ててくれた母にだけは、恥ずかしい姿を見せたくなかった。
言葉にコンプレックスがあったからこそ、言葉に向き合った。
言葉をちゃんと伝えるためには、作者の代弁者だけであってはならない。
芝居をする限りは、役が肉体化されてなくてはいけない、そのためには必死の覚悟で勉強しなければならない、そう思った。
女優・杉村春子は過去を振り返るのを嫌がった。
常に前を見つめる。
己を信じて、己が発する言葉を信じて、彼女は前に進み続けた。
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