第四十五話絶望の隣にある希望
ここにはやなせたかし自身が画いたタブローや貴重な絵本原画などを通して、「アンパンマン」の世界を体感できるアンパンマンミュージアムがあります。
訪れるたくさんの家族連れ。子供たちの笑い声が、興奮する声が、館内に響いています。
やなせたかしの父方の実家は、高知県香美市に300年続く旧家でした。
幼くして父を亡くした彼は、高知県の南国市で開業医をしている伯父の世話になります。
幼少期から多感な青春時代を自然豊かな高知で過ごしたことは、彼にとって、かけがえのない財産になりました。
やなせたかしがアンパンマンの作者として有名になるのは、彼が60歳をとうに越えた頃でした。
それまで彼は、「自分は何をやっても中途半端、二流だ」と自分を責めてばかりいました。
何より漫画家として代表作がないことが、コンプレックスだったといいます。
「もうきっと売れることなんかない、そろそろ引き際だ」
そんなとき、やってきたアンパンマンのヒット。
彼が漫画を続けてくれたおかげで、どれほどのひとが勇気づけられ、明日に希望を見出すことができたか。
2011年3月11日の東日本大震災のとき、ラジオから流れるアンパンマンの歌に涙し、生きる思いを胸にしたひとがどれほどたくさんいるでしょうか。
あきらめないこと。続けること。
それこそが、夢への、希望への唯一の道であることを、生涯をかけて教えてくれたひと、漫画家、やなせたかし。
彼が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
やなせたかしは、1919年2月6日高知県香美市に生まれた。
子煩悩だった父は、幼いたかしに、蓄音機で音楽を聴かせた。
『赤い靴』『歌を忘れたカナリア』。
富士山にも、日光にも連れていってくれた。
かすかな記憶に父の笑顔があった。
新聞記者として中国に渡った父は、突然、32歳の若さで亡くなってしまう。病死だった。
たかしは、5歳。弟は3歳だった。
母は父について中国に行かなかったことを終生、悔やんだ。
葬儀の日のことを覚えている。
晴れだった。
母がひどく泣いていた。
田んぼのわきの道を、お墓まで歩いた。たかしが先頭だった。
山肌の色、若葉の輝きを覚えている。
南国市にいる伯父の世話になった。
そのころ、よく母に言われた。
「お前はねえ、真っ正直すぎるんだよ。そんなに馬鹿正直じゃ、生きていけないよ。もっとずるくならないと世間を渡っちゃいけないからね」
でも、ずるく生きるという意味がわからない。
やがて母は再婚して、たかしは伯父夫婦に預けられることになった。
父を亡くし、母を失った。
それでもぐれなかったのは、絵があったからだ。
暇さえあれば、絵を画いた。
クレヨンさえあれば、大人しくひとりでいられた。
こうして夢が育まれた。
「いつか、漫画家になりたい」
彼はのちにこう語った。
「私の夢への道は決して順風満帆ではなかった。でも、夢は達成することが大事なのではない。夢に向かう一歩一歩が尊いのだ」。
やなせたかしは、中学生のとき、自分の天賦の才を感じた。
絵も、どんなひとよりうまいと錯覚した。
社会に出て、自分以外のひとが頭角を現す。
追い抜かれる。焦った。
世間に見る目がないと恨んだ。
やがて自分の居場所を見失い、失意の中にいた。
仕事でもないのに、徹夜で詩を書く。絵を画く。
むなしい。
取り残されているような思い。
ある夜のこと。
壁の時計が3時を告げる。
妻はとっくに休んでいる。
静まり返った家の中。
何気なしに、机の傍の懐中電灯を手にとり、自分の手にあててみた。
すると、血の色が透けて見えた。
驚いた。見とれた。
こんなにも落ち込んでいる自分なのに、体はしっかり生きている。
涙ぐみそうになった。
ふと口からフレーズが出た。
「手のひらを太陽にすかしてみれば」。
こうして生まれた『手のひらを太陽に』は、NHKの「みんなのうた」で放映され、大ヒットになった。
ミミズだって、オケラだって、アメンボだって。
光の当たらない生き物に自分を重ね合わせた。
絶望が、彼にあたたかいまなざしをくれた。
すぐそばに、希望があった。
やなせたかしが、最初に絵本に画いたアンパンマンは、ボロボロのつぎはぎだらけのマントを着ていた。
正義のために戦う人は、おそらく貧しいに違いない。
新しいマントは買えないと思ったからだ。
お腹をすかせている子供に自分の顔を食べさせる。
飢え死にしそうなひとに顔を食べさせる。
一切れのパンをあげるということ。
自分の身を犠牲にしても、ひもじい思いをしているひとに食べ物をあげ続けるということ。
それこそがやなせたかしが考えるヒーローだった。
「さあ、僕の顔をかじりなさい。アンパンだから、甘くてとびきりおいしいよ。さあ、はやく!」
やなせには戦争の記憶があった。
正義という名のもとに突き進んだ戦争。
どの国も正義をかかげる。
いったい正義とはなにか?
彼は思った。
「まずは飢えているひとを助けましょう。罪もなく死んでいくひとを助けましょう。正しいとか正しくないかは、そのあとで考えればいいんです」
まずは、食べること。
戦争の体験はそのありがたさ、幸せを心に刻んだ。
顔を食べさせるシーンは大人たちから反発を浴びた。
でも、子供たちはわかってくれた。
図書館の絵本は、子供たちが何度も読むのでボロボロになった。
絵本はじわじわと人気が出て、やがてアニメになった。
「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」
やなせは、テーマソングに子供向けとは思えない歌詞を書いた。
子供向けに合わせる必要はない。
ちゃんと伝えれば子供に伝わる。
そう確信していた。
さらに彼は敵役に「ばいきんまん」を選んだ。
ばい菌は敵かもしれないけど、パンは菌で発酵する。
「大切なのは、共に生きる、共生です」。
世界は光と影でできている。
影の傍には光がある。
絶望のそばに、必ずある希望。
アンパンマンは、永遠に生き続ける。
※参考文献『絶望の隣は希望です!』やなせたかし著(小学館)
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