第百十六話見えない目で、見る
建物は、校倉づくり。大切な宝物を後世に残す東大寺正倉院と同じつくりです。
記念館を校倉づくりにしたことに、青森のひとたちが、いかに棟方志功の作品を大事にしているかがわかります。
棟方にとって、青森に生まれ育ったということは、とても大きな意味を持っていました。
彼に絵筆をとれと教えてくれたのは、空を舞う凧の絵と、ねぷたでした。
和紙に墨で絵をしるすねぷたの造形は、彼に壮大な夢を与えたのです。
棟方は、自らを“板画家”と名乗りましたが、その板画家のハンの字は、通常使われる版画のハン、出版社のハンではなく、板という字を使いました。
板に向き合い、板に命を吹き込んだ彼の思いの強さの表れです。
晩年、彼の右目は、まったく見えませんでした。
左目もほとんど見えず、それでも彼は板に刃を入れ続けました。
彼は、こう書き記しています。
「まことにおかしなもので、わたくしの右眼は、刃物を持つと見えてきます。筆で書いている時は、全然判別できぬような細かい字でも、米粒のような字でも、線、点でも、板刀を持つと彫れます。神様がそのように育ててくれているので、有り難い極みです」
板画には、彼がいうところの、間接性があります。
肉筆で画く絵とは違い、板画には、板の特製を知り、板の気持ちに寄り添う優しい心が必要なのです。
生涯、子どものような純粋な魂を持ち続けた板画家、棟方志功が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
世界的な板画家、棟方志功は、1903年9月5日、青森市に生まれた。
産声があまりに大きいので、近所では鬼が生まれたのではないかと言われた。
15人兄弟の三男坊。最初の記憶は、天井の黒く光る太い梁。
高い場所に神棚があり、稲荷様が鎮座していた。
祖母も両親も信心深く、それは子どもたちに引き継がれた。
志功の父・幸吉は、刃物の鍛冶職人。
その腕の良さは評判で、父が鍛えた鉈(なた)、鉞(まさかり)、鎌は、博覧会で賞をとるほどだった。
真っすぐで、嘘がつけない性格。
そのため、好きな仕事はするが、嫌いな仕事はいっさいしない。
家にお金がなくても、酒をあおり、好きな釣りに興じた。
どんなに貧乏でも、母・サダは愚痴ひとつ言わなかった。
怒りっぽい父に何を言われても耐え続けた。
幼い志功が父の逆鱗に触れ、囲炉裏にあった鉄瓶を投げつけられたとき、母は志功をとっさにかばった。
鉄瓶は母の眉間にあたり、流血。
それでも母は頭に手ぬぐいを巻き付け、文句ひとつ言わず、父を、家族を支え続けた。
母が病に倒れ、42才で生涯を閉じたとき、誰よりも大声で泣いたのは父だった。
「サダ!サダ!」。母の棺の蓋をうち付けるとき、父はこう言った。
「おめえさを打づのも、こいで最後だ。うんと泣け!うんと泣け!」
志功は、そんな父と母の姿を見て育った。
父からは職人の仕事ぶりを、母からは忍耐を学んだ。
棟方志功が初めて見た絵は、寺に飾られていた地獄絵だった。
祖母は、幼い志功にその絵を見せた。つないだ手に汗がにじむ。
泣き叫び逃げ惑うやせ細った人間。血の池、針の山。
怖かった。
でも同時に、鬼の形相に強く魅かれた。
ぎょっと開かれた目。懺悔する姿。
たった1枚の絵に、人生の深淵を感じた。
小学校では、国語と習字が得意だった。
大きな声で教科書を読むと、担任の工藤さかゑ先生に褒められた。
「よろしい、よろしい」。必ず2回、言ってくれた。
うれしくて、さらに元気いっぱいに読んだ。
漢字の書き取りも上手で、黒板に出てきて書いた。
志功は背が低かったので、先生が台座を用意してくれた。
図画は、大好きだったのに、優はもらえなかった。
他の生徒は、ただお手本を真似る。
志功はただ真似るのが嫌だった。
お手本の中の好きな部分を拡大する。
たとえば鯛が描かれていれば、その鯛の目だけを大きく描いた。
図画の先生は、ほめてはくれない。
それでも志功は、自分の流儀を変えなかった。
志功の絵の素晴らしさをわかったのは同級生のほうだった。
「シコ(志功)、絵かいてケロ」と紙を持ってくる。
絵を画いてやると、真っ白い紙を1枚くれた。
家が貧しかったので、その白い紙が有り難かった。
絵を画いていると、小さくて目が悪く運動神経もない自分が、大きくなったような気がした。
同級生同士で、「オメエ、大きくなったら、なんになる?」と話し合う。
幼い棟方志功は、こう答えた。
「セカイイチになる」
以来、彼のあだ名は、「セカイイチ」になった。
棟方志功は、18歳のとき、ゴッホの『ひまわり』を見て衝撃を受けた。
その圧倒的な存在感と生命力。
その作品は、ゴッホというひと自身だと思った。
「ああ、自分もこんな作品をつくってみたい。これこそが、オレだという作品を画いてみたい」。
「わだば(わたしは)、ゴッホになる」そう思った。
絵に没頭する。しかし、画いても画いてもコンクールに落選。
仲間は師匠の弟子になることをすすめたが、嫌がった。
ゴッホも、我流。誰にも教えをこうたことはない。
師匠についたら、師匠以上にはなれない。
自分は誰も歩いたことのない新しい道を歩く。
やがて、彼は気づいた。
尊敬するゴッホが影響を受けたものが、日本にあった。
葛飾北斎、安藤広重らの、江戸時代の木版画。
「この道より我を生かす道なし、この道をゆく」という武者小路実篤の言葉を胸に、版画の道に進むことを決めた。
決めたらもう、ただ突き進む。
板にたずね、板とともに生き、板の命を彫り出した。
彼は自らを、板を極める道と書いて、「板極道」と呼んだ。
彼は晩年、こんな言葉を残した。
「愛シテモ、アイシキレナイ。驚イテモ、オドロキキレナイ。歓ンデモ、ヨロコビキレナイ。悲シンデモ、カナシミキレナイ。ソレガ板画デス」
彼は、問う。
あなたが生涯かけてやりたいものは、なんですか?
あなたはそれに魂を込めていますか?
見えない目が見えるくらいに。
【ON AIR LIST】
名も知らぬ花のように / Yae
I'm In Love With You / Kari Jobe
ひまわり / 福山雅治
歌うたいのバラッド / 斉藤和義
閉じる