第二百六話命がけでやる
作詞家、訳詞家として一世を風靡した岩谷時子にとって、兵庫県西宮市で幼少期を過ごしたことは、彼女の人生に多大な影響を与えました。
彼女自身、こんなふうに語っています。
「今までの私の人生の中で、一番思い出の多い幼少期と少女期を西宮で過ごした私は、西宮という字を見るだけで、砲台のあった夏の海や十日戎のお祭りや近所に住んでいた誰彼の顔が、蛍火のように瞼(まぶた)に浮かんでくる。まだ、夙川を蛍が飛び交い、川の流れにめだかが泳いでいた、美しい叙情的な西宮の風物が、幼かった私のこころに根をおろし、後年、作詞家となる運命にみちびいたのではなかろうかと今でも思うことがある」
岩谷時子にとって、もうひとつ、西宮で過ごした大切な意味があります。
それは、宝塚が近かったことです。
岩谷時子には、大きく二つの顔があります。
ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』や、加山雄三の『君といつまでも』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』、郷ひろみ『男の子女の子』などの流行歌の作詞家、そしてミュージカル『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』などの訳詞家という顔。
そしてもうひとつの顔が、およそ30年の長きにわたり、越路吹雪のマネージャーだったということです。
越路が歌う『愛の讃歌』や『ろくでなし』、『サン・トワ・マミー』などのシャンソンは全て岩谷が翻訳しました。
もし、岩谷が宝塚の近くに住み、宝塚歌劇団に通わなければ、越路との出会いはなかったかもしれません。
岩谷を知る人はみな、その品性と物腰の柔らかさに感動します。
その一方で、彼女の強い言葉にはっとさせられたといいます。
「仕事は、命がけでやるものです」
作詞家・訳詞家、岩谷時子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作詞家・訳詞家、岩谷時子は、1916年、現在の韓国・ソウルで生まれた。
当時は、日本統治下。
父は、商社マンとして、朝鮮総督府で土地の測量の仕事をしていた。
そこで役人だった檜垣氏の娘とお見合い結婚。時子が生まれた。
父の故郷は、島根県大田市。
母方は出雲大社の宮司の流れを汲み、遠縁には、歌人や詩人など芸術家がいた。
父が商社での経験をもとに、独立して貿易商を始めることになり、一家で日本に戻る。
時子が5歳の時、兵庫県西宮市に移った。
西宮に住んで早々に、母は、時子の手をひいて、宝塚歌劇の劇場に行った。
日本舞踊と浄瑠璃に、西洋音楽が重なる。
このときはまだレビューはなく、『宝塚情緒』と呼ばれる壮麗な絵巻物。
時子は目を奪われ、しばらく口がきけないほど感動した。
「お母さん、お願いします。明日も連れてきてください」
内向的で体の弱かった時子が、あまりに強く願ったので、母は驚く。
「私、もっともっと見たい、このお芝居を見たい!」
岩谷時子は幼くして、宝塚歌劇団にのめりこんだ。
当時、歌劇学校の生徒の芸名は、百人一首からとられていた。
時子は、必死に百人一首を覚え、芸名を覚えた。
特に好きだったのが、有明月子(ありあけ・つきこ)。
月組で主演。男役も素敵だった。
芸名は、こんな和歌に基づいていた。
「今来むと、言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」。
時子は、ファンレターを送った。何通も何通も送った。
彼女は母に尋ねる。
「ねえ、お母さん、舞台のうえのひとたちは、どうしてあんなに綺麗なの?」
母は、答えた。
「そうね、宝塚の温泉に毎日入っているからじゃないかな」
時子も芝居を観るたびに、温泉に入る。
あるとき、温泉場で、あこがれの有明月子に偶然会った。
見惚れて、立ちすくむ。
この世のものと思えないほど、綺麗だった。
宝塚には、時子の夢の世界があった。
気弱な自分でも生きていいと言ってくれる、優しい空間があった。
岩谷時子の父は、貿易商をしていたが、第一次世界大戦の戦後のあおりを受け、事業は傾いた。
さらに、ひとに騙され、借金を背負う。
ただ、父は、娘に生活の不安を感じさせまいと、必死に隠した。
英語の歌を聴かせる。外国の物語を読んで聞かせた。
でも、勘の鋭かった時子は、気づいていた。
「あまり、お金で無理を言ってはいけない」
異国情緒にあふれた神戸女学院に行きたかったけれど、自分から言い出せなかった。
あるとき、父は言った。
「時子、あのね、人生は一回きりなんだよ。後悔しないように生きなきゃ、せっかく生を受けた意味がないんだ。やりたいことを一生懸命やりなさい。やりたいことをみつけたら、命がけでやりなさい。お父さんはね、残念ながらおまえに財産は残してやれない。でもね、教育だけは与えてあげたい。行きたいんだろう? 神戸女学院。行きなさい。なんとしても行かせてあげるよ」
親戚に頭を下げ、父は教育費を用立てた。
時子は神戸女学院に受かり、やがて、小説を書くことに没頭する。
父は結核を患い、寝たきりになってしまう。
父の咳を階下に聴きながら、二階の自分の部屋で時子は書いた。
「お父さん、まだ稼げなくてごめんなさい。でも、私、いつかきっと筆一本で稼げるようになるから。そうしたら、お父さんをいいお医者さんに見せるから。それまで待って、それまで元気でいて」
作詞家・訳詞家の岩谷時子は、それ以来、手を抜かない。
『レ・ミゼラブル』の訳詞のときは、三日三晩徹夜して、詞を書き直した。
「作者がほんとうに言おうとしていることに近づくためには、私が命がけじゃないとダメなの」
仕事とは、つまるところ、どこまで自分を賭けることができるか。
たった一回の人生を、岩谷時子は命がけで生き抜いた。
【ON AIR LIST】
サン・トワ・マミー / 越路吹雪
恋のバカンス / ザ・ピーナッツ
恋の季節 / ピンキーとキラーズ
彼を帰して / 福井晶一
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