第二百七十七話絶えず、変わり続ける
そのミュージシャンとは、2016年にノーベル文学賞を受賞したアメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディラン。
映画の仮のタイトルは、『Going Electric』。
フォークシンガーの旗手として全米にその名をとどろかせた若きディランが、アコースティックギターからエレキギターに持ち替えるところにフォーカスしたストーリー。
ロックシンガーに転向したことで周囲からの揶揄やバッシングを受けるが、それをはねのけ、ロックとは何かを確立していく姿が描かれる予定でした。
しかし、全世界を襲った新型ウィルスの影響で、撮影は無期延期になってしまいました。
これまでボブ・ディランは、存命にも関わらず、ドキュメンタリーを含め、いくつかの伝記映画が作られてきました。
最も有名な作品は、ディランが初めて公認し、2007年に公開された『アイム・ノット・ゼア』。
この映画の脚本は、破格でした。
6人の俳優がそれぞれ、ボブ・ディランを演じたのです。
6人の中には、ケイト・ブランシェットや、リチャード・ギアもいました。
さまざまな時代のディランの苦悩や成功や恋愛が描かれます。
そこから見えてくるのは、世間の風潮や流行に惑わされない、唯一無二のアーティストの姿です。
『アイム・ノット・ゼア』。
私は、そこにいない。
アルチュール・ランボーの「私はひとりの他者である」という一節を想起させるタイトルが、全てを物語っています。
絶えず変わり続けることによって、成長する。
昨日の自分を壊すことでしか、前に進めないときがあることを、彼は教えてくれます。
来年80歳を迎える音楽界のレジェンド、ボブ・ディランが人生でつかんだ明日へのyes!とは?
「アメリカ音楽の伝統に、新たな詩的表現を創造した」という受賞理由で、2016年、ノーベル文学賞を受賞した、ボブ・ディラン。
毎年ノーベル文学賞の候補になる村上春樹は、自身の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、彼の歌声をこう書いた。
「まるで小さな女の子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」。
ボブ・ディランは、1941年5月24日、アメリカ合衆国ミネソタ州デュルースに生まれた。
デュルースという街は、ミネソタ州の北に位置し、スペリオル湖に面した崖の上にあった。
鉄鉱石を運搬する港として栄え、ひとびとの雇用と安定が守られていた。
ボブ・ディランの父は、スタンダード・オイル社のサラリーマン。
出世頭だった。
何不自由ない少年時代。
ボブは、一年中 水が冷たい湖や、カモメの鳴き声、船の汽笛、真夏の深い霧を愛した。
5歳のときに、親戚が集まったリビングで歌を披露する。
ラジオで聴いていたアメリカン・ポップス。
大人は驚いた。よく通る声。バツグンのリズム感。
拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
ボブは、言った。
「みんなが静かにして聴いてくれるなら、いつだってボクは歌うよ」
親戚の誰かが、ボブにお金を渡した。
すると彼は、「ママ、このお金は返したほうがいいと思うんだ。ボクはまだ、プロじゃないからね」
と言って、みんなを笑わせた。
しかし、そんな幸せな少年時代は、長くは続かなかった。
ボブ・ディランが6歳になるかならないかの頃、父が病気になった。手足が麻痺するポリオ。
玄関のわずかな階段も、這うようによじ登る父の姿を、ボブは見た。
父は、入院を終えたが、麻痺が残り、会社も解雇されてしまう。
重い後遺症。
一生、痛みと共に過ごすことになった。
家計は一気に苦しくなり、親戚を頼り、引っ越す。
ボブは、デュルースの風景が好きだった。
湖の水面に映る空を眺めるだけで、心が躍った。
生まれた場所を去るのは、哀しい。
家族は、肩を落とし、背中を丸め、ふるさとを後にした。
新しい街で、母はデパートに勤め、ピアノを買った。
母はかつてピアノを弾いていた。
子どもたちの教育に、音楽は欠かせないと思った。
父は気難しく、無口だったが、母は快活で街の人気者になる。
ボブは、母に絶大な信頼を寄せた。
独学でピアノを弾き、やがてギターも買ってもらった。
ボブは、ひとりを好んだ。
ひとりで街を歩き、空を眺め、森の木々に話しかける。
冒険小説を読みふけり、絵を画き、ピアノやギターを弾いた。
誰かに合わせて生きるのは、好きではない。
自分のリズム、自分のスケジュールを守りたかった。
やがて彼は、詩を書き、曲をつくることを覚える。
「ほんとうに聴きたい音楽がないなら、自分でつくるしかない」
寝食を忘れて詩を書いているボブ・ディランに、母は言った。
「まさか、詩人になんかなろうと思っているんじゃないでしょうね。食べていけないわよ。いいから、大学に行きなさい」
親の庇護のもと暮らしている身としては、逆らえない。
仕方なく、ミネソタ大学に入る。
「詩を書くことはやめて、学位をとりなさい、学位を!」
それでも母に隠れて詩を書いた。
やがてバンドを結成し音楽にのめり込み、大学は中退。
単身、ニューヨークに出た。
グリニッジ・ヴィレッジのカフェやクラブで弾き語りをする。
ニューヨークは、刺激的だった。
絵画や文学に傾倒。
ランボーやヴェルレーヌの詩に影響を受けた。
クラブで歌っていると、決まって同じ歌をリクエストされた。
それが嫌でわざと違う曲をやる。
ブーイング。
それでもやめなかった。ボブ・ディランは思う。
「ブーイングは素敵だ。逆に優しさがひとを殺すときがある」
自分の中に「定番」を作らないように決めた。
故郷デュルースの湖を思い出す。
水面に映る風景は、数秒ごとに装いを変えた。
変わり続けることでしか、人生を生き延びることはできない。
マンネリでいちばん損なうのは、自分の心。
ボブ・ディランは今も、歩みをとめない。
【ON AIR LIST】
BLOWIN'IN THE WIND / Bob Dylan
SKYLARK / Bob Dylan
ALL I REALLY WANT TO DO / Bob Dylan
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