第二百四十四話絶望を笑う
市民や観光客に、少しでも俳句に親しんでもらおうと街中に設置された『俳句ポスト』。
毎年8月に開催される、高校生対象の『俳句甲子園』など、俳句にまつわるイベントも盛んです。
松山市が俳句の街であるわけ、それは、この地が偉大な俳人を生んだ場所だからです。
その俳人とは、「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句の作者、正岡子規(まさおか・しき)。
彼は明治時代に、「俳句は季題を持ち、五七五音より成る定型詩」という現代俳句の原型を確立しました。
その教えを日本中に広めたのが、同じ松山市出身の高浜虚子(たかはま・きょし)です。
道後にある「子規記念博物館」では、子規の人物像や作品の数々を資料展示や映像などで紹介。
また、親交の深かった夏目漱石にも触れ、子規を通して松山市の歴史や文学ついても学ぶことができます。
正岡子規はまた、大の野球好きでした。
「バッター」を打者、「ランナー」を走者、「フォアボール」を四球と訳し、一説には、ベースボールを雅号にするため、「野球」と表記した最初のひと、と言われています。
正岡子規のわずか34年の生涯は、ほとんど病との闘いでした。
晩年は、結核に脊椎カリエスを併発し、寝たきり。
それでも、亡くなる二日前まで、自身の病状や日常を、今でいうTwitterやブログのように、新聞に連載し続けました。
『病牀六尺(びょうしょう・ろくしゃく)』と題された随筆は、絶望の淵にあっても、決して暗くならず、時にはユーモアを交え、生きるとは何かを教えてくれます。
なぜ彼は、自分をそんなふうに客観視することができたのでしょうか?
俳句の神様・正岡子規が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本の近代文学に多大な影響を与えた俳人、正岡子規は、1867年10月14日、伊予国温泉郡藤原新町、現在の愛媛県松山市花園町に生まれた。
生まれたのは、明治維新、大政奉還の年。
代々、武士だった子規の家は、一気に生活が変わる。
俸禄(ほうろく)も、もらえない。
子規が2歳のとき、家は火事に遭い、全焼。
しかも、4歳のときに父が亡くなる。
母は、針仕事をしてなんとか生計を保つが、貧しかった。
子規は言葉を覚えるのが遅く、母は心底心配した。
ようやく口にした言葉も、発音がおかしく、聴き取れない。
「この子。大丈夫かしら…」
小学校に入ると、いじめられた。
弱味噌、泣き味噌と、はやしたてられる。
絶望の学校からの帰り道。
ぬかるみに足をとられ、泥だらけになってしまう。
情けない、どうしようもない…
でも、どこかでそんな自分を笑っていた。
「ダメだな、ボク、ボク、サイアクだな…」
口に出すと、いっそう笑えてきた。
正岡子規は、アメリカから入ってきたベースボールというスポーツに夢中になる。
守りと攻撃が入れ替わる。
そんなスポーツは見たことがなかった。
「これなら、いつも受け身のボクも攻めることができる」
実に公平な競技に思えた。
しかも、作戦を立てる。
体だけ鍛えても、頭がよくないと勝てない。
面白い。
ベースボールをやることで、どんどんたくましくなっていった。
一方で、漢詩にはまり、詩歌にのめり込む。
いま、自分が見ている世界を、詩や歌にすることで、自分が救われていくような気がした。
弱い自分、醜い自分を、鳥や虫に託して書き記せば、ふっと楽になる瞬間があった。
おのれの絶望も、書くことで客観視できる。
それは、大いなる発見だった。
学業に励む。
成績は常にトップクラス。
旧藩主の給費制度を使い、東大予備門、現在の東京大学教養学部に入った。
同期に、夏目漱石、南方熊楠がいた。
漱石に「正岡くんはすごいね、たくましいよ。それに比べて、僕なんか全然ダメだ」と言われ、初めて、自分より弱いものがこの世にいることを知った。
正岡子規は、文芸活動を優先するため、大学を中退。
結核を患い、自らの死期を悟っていた。
「おそらく、ボクには時間がない…」
近衛師団の従軍記者として半島に渡るも、喀血。
重態に陥り、神戸の病院に緊急入院した。
療養したのち、故郷、松山に帰る。
すでに俳句を詠んでいた彼は、俳号を、ホトトギスの漢字表記『子規』にした。
ホトトギスは口の中が赤く、まるで血を吐いているようだったから。
当時、結核は不治の病。
必然的に、命の最期を覚悟する。
「いま、自分にやれることは、なにか」
毎日、そのことだけを考えた。
28歳で、脊椎カリエスを併発。
歩くことができなくなる。
寝たきりの絶望の最中でも、書くことはやめなかった。
むしろ、書くことで己を律した。
彼は書いた。
「痛みの激しいときに、黙ってこらえるのはやめました。痛い! 痛い! 耐えられない! そう叫ぶことで、絶望は少しだけ遠のいていくのです。痛いときに痛い、辛いときに辛いと言うのは、大切なことです」
正岡子規は、絶望のプロだった。
だからこそ、彼の言葉に嘘はない。
「笑え、笑え、健康なるひとは笑え。病気を知らぬひとは笑え。幸福なるひとは笑え、そして、絶望の淵にあるひとも笑え」
【ON AIR LIST】
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