第百四十一話学ぶべきものはいつも目の前にある
気がつけばゴールデンウィークも終わり、本格的な勝負のときがやってきます。
でも、体と心がバランスを崩し、いまひとつ、うまく波にのれない。
そんな焦りや不安を抱えているひとも多いかもしれません。
ここに、ひとりの棟梁がいました。
法隆寺や薬師寺にたずさわった、最後の宮大工、西岡常一(にしおか・つねかず)。
彼は、祖父、父のあとを受け継ぎ、昭和の大修理など大事業を成し遂げてきました。
伝えられる技は、書物でも手紙でもなく、口伝え。
いわゆる、口伝(くでん)。祖父や父から直接、口頭で教わったのです。
祖父は、常一に農業をさせました。
大工なのに、農業?常一はとまどいます。
農学校を出ると、いきなり田んぼで米づくり。
彼は一生懸命、本を読み、勉強して農作業に取り組みます。
なんとか収穫もできて、ほめてもらえると思ったら、祖父は常一を叱りました。
「おまえは本とばかり話し、肝心の稲と対話しておらん。稲づくりは、稲や土と話し合って決まるもんや。ええか、大工は木と話せなければ、仕事にはならん。目の前のものと対話でけへんやつは、一人前の仕事はできへんのや」。
西岡常一は、気づきました。
「そうか…ひとは、目の前のものから学べばええんや。本に書いてあることを頭で覚えても、体にしみついていないもんは、あっという間に消えていく」。
まず、目の前のひと、もの、事実と対話する。
そこから始めることでしか、不安はぬぐえない。
宮大工棟梁・西岡常一が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
法隆寺の宮大工・西岡常一は、今からちょうど110年前の1908年、奈良県に生まれた。
祖父も父も法隆寺の宮大工。
祖父は、婿養子の父より、孫の常一を跡取りと決めたようだった。
床の間の掛け軸にいたずら書きをしても、「そんなことしたら、いかんやないか」というくらいで、怒らない。
もらったお菓子も、イチバンに常一に分け与えた。
幼いうちから祖父に手を引かれ、法隆寺の現場に連れていかれる。
「そこで座って、見とれ!」
そう言われて動けない。
その当時、境内では子どもたちが野球をして遊んでいた。
「なんでボクは、あっちで野球できへんのやろ」
哀しかった。悔しかった。我が身を呪った。
さらに祖父は、宿題をする時間も与えなかった。
母が懇願しても、「仕事場にいること、それがイチバン大事なんや。それ以上のことはない」と取り合わなかった。
小学校を卒業するとき、進路をめぐって祖父と父が対立した。
工業学校に行かせるべきだと父が言い、いや、農学校に進むべし!と祖父が言った。
結局、祖父のこの言葉で、父は折れざるをえなかった。
「人間も木も草も、みんな土から育つんや。宮大工は、まず土のことを学んで、土をよく知らんといかん。土を知って初めて、そこから育つ木のことがわかるんや」。
最後の宮大工と言われる西岡常一は、農学校に進んだが、身が入らない。
大工になるなら、工業学校に行けばよかったと後悔した。
ところが、校長の話で目が覚める。
校長は言った。
「君たちは、農業経済学なるものを学ぶだろう。そこには、最も小さな労力で最大の結果を得ることが最も大切だと書いてある。でもなあ、我々農業を志すものは、そうであってはならないんだ。いいか、忘れるな、イチバン大事なのは、『自分ひとりの働きで、何人のひとを養えるか』と、考えることだ!」
感動した。仕事の根本を教えてもらったような気がした。
祖父は、農学校時代から、常一にノミやカンナ、ノコギリの使い方を教えた。
特に刃を研ぐことには、厳しかった。
研いでも研いでも、「まだや」という。
また研いでも、「ちがう」と、はねのける。
「どう研いだらええか、教えてください」と聞いても、「そんなん簡単や。得心いくまで、研いだらええ」
常一は、研いだ。指に血がにじんでも、腕がしびれても、研いで研いで、研ぎ続けた。
祖父は、ごまかしを最も嫌うひとだった。
1ヶ月、3ヶ月、半年。指の豆がつぶれ、固くなり、血がでなくなる。
動きにリズムが生まれ、研ぎ場の電球が小気味よく、揺れた。
「できた!」と思って祖父を見ると…笑顔だった。
優しい、笑顔だった。
法隆寺の最後の宮大工・西岡常一は、祖父に言われた。
「おまえは、米作りで、稲と話さんで本や参考書と話しとった。稲にきけばええんや。今、何が欲しい?水か?肥料か?ちゃんと聞いたら、ちゃんと答えてくれる。そういうもんや。でなあ 常一、大工も一緒なんや。ええか、木と話し合いができなんだら、本当の大工にはなれんぞ」
木と、会話する。これが、西岡常一の心の軸になった。
木は土の性(さが)によって、質が決まる。
だから、木を買うなら山で買え。
どこに生えた木なのかによって癖が出る。
峠の木か、谷の木か。木を見ただけで、どこに生えた木かわかるようにならなくてはいけない。
そう、教えられた。
それらは全て、千年先に残るものを造るため。
気温や湿度、さまざまな環境で木は変化する。
でも、どこにどんな木を置くかを間違わなければ、建物は崩れない。
今、目の前にあるものから学ぶ。
答えはいつも、いちばん近くにある。
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