第百五十五話絶望を優しさに変える
『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る』
『やれ打つな 蠅(はえ)が手をする 足をする』
日常生活で触れる小動物たちへの温かいまなざしを俳句にした、俳諧の聖人、小林一茶。
今年、没後190年の一茶は、長野県の北、北国街道の宿場町、柏原に生まれました。
遥か黒姫山や戸隠山をのぞむ、のどかな山村を一茶は愛していましたが、ある理由から、仕方なくひとり江戸に出ることになるのです。
無念な心情。帰るに帰れぬ事情。
彼にとってふるさと長野は、複雑な思いに塗り固められていったのです。
松尾芭蕉、与謝蕪村と並び、江戸時代を代表する俳諧師のひとりになった一茶ですが、その俳句はいつも賛否両論の嵐の中にありました。
「題材が身近で、庶民にもわかる!」
「いいや、俗っぽくて、うすっぺらい。哲学がない!」
「難しい言葉を使っていないから、すっと情景が浮かぶ」
「無駄に数だけ多い!あんな程度なら、誰にだって書けるよ!」
そんな外野の意見に左右されることなく、一茶は、彼の世界観を貫きました。
のちに、一茶調と呼ばれる独特のリズムと言葉選び。
それはまぎれもなく、彼が血を吐くほどの苦労をした先につかんだ、彼にしか書けない17文字でした。
15の歳に、たったひとり江戸に出てから、およそ10年あまり、音信はとだえ、故郷長野に一度も帰りませんでした。
そのときの孤独と絶望は、はかりしれないものだったに違いありません。
でも、彼の作風には、優しさがあふれています。
いかにして彼はその平易で平和な調べを手に入れたのでしょうか。
俳句の神様、小林一茶が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
俳諧師・小林一茶は、1763年長野県北信濃の柏原村に生まれた。
家は自作農。大富豪ではないが、地元では有力な農家だった。
柏原村は、北国街道の宿場町。
江戸からの物資や文化も流れてきた。近くの神社では歌舞伎や相撲の興行もあった。
冬になると雪は深く、家の一階部分が隠れるほど積もる。
そんな村で生を受けた一茶は、長男として一家の期待を集めていた。
しかし、一茶が3歳になるころ、突然母が亡くなった。
祖母に溺愛されていた一茶は、それでも大事に育てられていく。
一茶が8歳のとき、父が再婚。
やってきた継母と、一茶の折り合いが悪かった。
働き者でなんでもテキパキやる継母と、どちらかというとのんびりしている一茶。
よく怒られた。
義理の弟ができると、継母の厳しさはさらに増した。
弟が大泣きすると、
「あんた、おもりをまかせたのに、どうせお尻でもつねったんだろう!意地の悪い子だね、この子は!」
理不尽に叩かれる。
痛さより、悔しさに涙が出る。
縁側でひとり泣いていると、雀が寄ってきた。
そのときの気持ちを彼はのちに、こんな俳句にした。
『我ときて 遊べや親のない雀』
小林一茶と継母の険悪な関係は、修復できるものではなかった。
祖母が間に立って一茶を守っていてくれたが、その祖母も病死。
父は仕事が忙しく、一茶にかまう時間がなかった。
ある夜、父は一茶に言った。
「江戸に、奉公にいきなさい」
一茶は、聞き返す。
「誰と行くのですか?」
「おまえ、ひとりで行くんだ。ここにいても、辛いだけだろう」
幼な心に、一茶は思った。
「お父さんは、僕がいらないんだ。僕さえいなければ、この家はうまくいくんだ」
わずかなお金と、風呂敷ひとつの衣服をもって、一茶は江戸を目指した。15歳。親に捨てられたと思った。
江戸での暮らしは過酷だった。
先の見えない肉体労働、住む場所も安定しない。
ときには路上で寝ることもあった。
江戸のひとたちは、信濃からの奉公人を『椋鳥(むくどり)』と揶揄した。
そのときのことを詠んだ一句。
『椋鳥と 人に呼ばるる 寒さかな』
道端で倒れるように寝込むとき、地をはうアリを見た。
名もなき花を見た。夜空にひっそりある三日月を見た。
一茶は、自然と語らうことで、おのれを守った。
小林一茶は、知り合いを通して、俳諧の道を知った。
ただ生きるために働き、働くために食べ、明日の労働のために眠っていた生活が一変する。
お金がないので本を借りた。片っ端から読みあさる。
わずかな労賃は、歌舞伎や相撲、あやつり芝居の見物料に使う。
言葉がほしい。自分の心を描く、言葉がほしい。
たった17文字に、さみしさ、孤独、喜び、幸せをつめこもうと必死になった。
たくさんの言葉を集めたとき、ふと思い出すのは、幼いころ、縁側で見た雀の姿だった。
「そうか…言葉を外から連れてくる必要はないんだ。僕の心には、ちゃんと言葉が宿っている」
自分に寄り添い、守ってくれたものを思い出すこと。
それを俳句にすると、不思議なことに、全てが優しさで包まれた。
【ON AIR LIST】
許してあげよう / Joao Gilberto
Sparrow / Simon & Garfunkel
Don't Let Me Be Lonely Tonight / James Taylor
Universos Paralelos / Jorge Drexler
閉じる