第百三十六話ひとつの道を突き進む
あなたは、失望や絶望の淵に立たされたとき、どうしますか?
ここに、幼くして、視力を失ったひとがいます。
彼はわずか8歳のときに、失明の宣告を受けたのです。
「世界中のどんな名医でも、キミの目を治せるひとは、いません」。
彼は、お筝(こと)の道に進みますが、それは自ら望んだというより、仕方なく、他に道がなく、と言ったほうが近いかもしれません。
それでも彼は、筝で世界的な演奏者になりました。
正月に流れる曲の定番『春の海』は、彼が作曲しました。
そのひとの名は、宮城道雄。
今日4月7日は、彼の誕生日です。
宮城の記念館が、東京・神楽坂にあります。
入り組んだ裏路地の坂道をのぼっていくと、やがて、彼が生涯の多くの時間を過ごした新宿区中町に辿り着きます。
そこにある宮城道雄記念館。
館内には、宮城の業績を知る貴重な資料や、彼が発明した筝、十七絃、八十絃、大胡弓などが展示されています。
この記念館では、演奏会や講演会が定期的に開催されていて、日本古来の箏曲(そうきょく)の伝統を今に語り継いでいるのです。
宮城は、昔からあるものをただ残しただけではありません。
西欧の音楽を学び、取り入れ、ときには非難をあびても、自分が目指す新しい音楽のために闘い抜きました。
そんな偉業を成し遂げられたのは、彼が人一倍強かったからでしょうか?
天才芸術家だったからでしょうか?
列車から落ちて非業の死を遂げた、62年間の壮絶な生涯。
箏曲家・宮城道雄が、波乱の人生でつかんだ明日へのyes!とは?
筝と尺八で演奏される『春の海』の作曲家にして筝の稀代の演奏家、宮城道雄は、1894年4月7日、兵庫県神戸市に生まれた。
生後200日で、目の病気が発覚。
一時は回復したが、6歳で再び視力は落ちた。
小学校への入学も1年遅らせる。
視力は、どんどん失われていった。
「ねえ、来年になれば、ボク、学校に行ける?」道雄は母にたずねる。
「そうねえ、きっとよくなるわ、そうに違いない」母は、答えた。
祖母に手を引かれ、道雄は小学校の門に行った。
校舎から聴こえてくる、子どもたちの笑い声、はしゃぐ声。
親戚や近所の友達は、みんなあそこにいる。
どうして自分だけ、この門の向こう側に行けないのか…。
哀しかった。悔しかった。門にしがみついて、泣いた。
「ねえ、ボクが悪い子だから?悪い子だから、学校にいけないの?」
大人は、返す言葉がなかった。
道雄は、負けん気が強い子どもだった。
石盤に目をくっつけるようにして、カタカナやひらがな、漢字を覚えた。
視力を完全に失う前、書いた文字がいきなりたちあがり、ぴょんぴょんと跳ねるのを見たという。
8歳のとき、東京から名医が来たので、最後の望みをいだいて看てもらったが、医者は言った。
「世界中のどんな名医でも、キミの目を治せるひとは、いません。将来を考えて、なにかを身につけなさい」
『春の海』の作曲で知られる筝の大家・宮城道雄は、幼くして失明した。
彼は、箏曲、いわゆる筝の道を進むことになった。
奈良時代に雅楽の楽器として日本に伝承された筝。
江戸時代、八橋検校(やつはし・けんぎょう)という盲人音楽家が確立したことで、盲人男性音楽家により守られてきた歴史があった。
8歳で二代目中島検校(なかじま・けんぎょう)に弟子入りした道雄は、祖母と暮らした。
父に他に女性ができて、母はそれに激怒し、子を残して実家に帰ってしまったからだ。
道雄は思った。
「目も見えない。親にも捨てられた。ボクは、僕自身で生きていくしかない」。
弟子の誰よりも熱心に稽古に励んだ。指にマメができ、つぶれ、血が出ても、やめなかった。
「ボクには、これしかないから」。
師匠は驚いた。
「この子は、すごい。同じ境遇の子とも、違う」。
道雄にとって、6歳まで見えていた世界が全てだった。
春の生き生きとした緑、色あざやかな花たち、川面で踊る陽の光。
お父さんの顔、お母さんの顔、おばあちゃんの笑顔。
見えていた世界を音にのせた。それがせめてもの、抵抗だった。復讐だった。
「負けるもんか、負けるもんか」
でも、音楽はもっと深いところで、自分を包んでくれた。
邪心は、音に出る。慢心は、音を乱す。
誰もうらまない。何も憎まない。ただ、ひたすらに、筝に向き合う。
そうして道雄は、芸術家になっていった。
筝の演奏家、宮城道雄は、随想にこう書いた。
「眼が見えなくなってから、私の生きる道は音の世界に限られてしまった。子供の頃は、それがどんなに悲しかったか知れない。しかし、筝を習い始めてから、だんだん心持ちが落着いてきて、眼の見えないことをそう苦にしなくなった。今では、もう悲しいどころか、むしろ幸だったと感謝している。ただ、この道を往くよりほかはない。迷ったりする余地はない。ただまっしぐらにこの道を進んで往こう。その一念が私を今日あらしめてくれたとも云えるのである」。
道雄は、毎年正月にやってくる小鳥の声を覚えている。
筝を弾く演奏者の心の揺れに気づき、「今日は、なにか心配ごとでもありますか?」と言い当て、驚かれた。
たったひとつのことしか、やっていない。
でも、たったひとつのことをやり続けたからこそ、見える風景がある。
宮城道雄は、常に進化しようとした。
西欧音楽を取り入れ、楽器まで開発し、今までにない楽曲を創造した。
諦めない心が、ひとびとの心を動かした。
宮城道雄は、言う。
「私は、筝のおかげで、目が見えるひとが知らない世界を見ることが、できた。」
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