yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第三話 想いは、届く -イギリス人宣教師 アレクサンダー・クロフト・ショー-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

閉じる

第三話想いは、届く

旧軽井沢の森に、ひっそりと建つ、白い十字を掲げた教会があります。
『軽井沢ショー記念礼拝堂』。

イギリス人宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショーが建てた、軽井沢最初の教会です。
深い緑の香り。木々の下には、色鮮やかな苔が夜露を受けて、光っています。
深呼吸するだけで、癒され、浄化されたような気分になる、独特の空気感。小川のせせらぎも聴こえてきます。
足をさらにすすめると、木造二階建ての素朴な建物が姿を現します。
『ショーハウス記念館』。
軽井沢の父と言われるショーが別荘として利用した家。
さまざまな経緯をたどり、別荘第一号が建てられたこの地に、移築、復元されました。
石碑には、こう刻まれています。
「尊敬する大執事アレクサンダー・クロフト・ショー氏を記念して。
師は、夏の居住者として初めて村民と共に暮らし、彼らの永年の誠実な友人であった。軽井沢の村民がこの石碑を建てた」。
ここに暮すひとびとに愛され、受け入れられた初めての外国人。

彼がいなければ、西欧と日本が融合した今の軽井沢はなかったのかもしれません。
別荘地という位置づけも、彼が根付かせたと言っても過言ではありません。
ショーは軽井沢をこう呼びました。
『屋根のない病院』。
清廉な風が、木の葉を、ささやかに揺らしていきました。

アレクサンダー・クロフト・ショーは、1846年、カナダのトロントに生まれた。
祖国は、スコットランド。
24歳で司祭になった。三年後、宣教師として海を渡った。
横浜に着く。慶応義塾の近くに滞在し、やがて福沢諭吉に見出された。彼の子供達の家庭教師や、慶応義塾で英語を教えた。
キリスト教を伝え、祈るためにやってきたのに、先生をやっている自分。どこか、本国の仲間に後ろめたさがあった。
なんとか地道に布教をした。
何人か、日本人の洗礼にもたずさわった。
その中には、軽井沢を愛した政治家、尾崎行雄もいた。
ショーは、体が丈夫なわけではなかった。リウマチに苦しんだ。
おまけに日本の夏は、堪えた。
蒸し暑い。風の湿り気に、息をするのが苦しくなった。
40歳の頃、友人のディクソンと旅の計画を立てた。
歩いて、春の日本海を目指す。
ディクソンは大学教授で、夏目漱石は教え子だった。
まだ外国人が自由に日本を行き来できない時代。
ひっそりと、ひとめを避けて、歩く。
ひとりより、二人のほうが、心強かった。
それは、長野県と群馬県の県境、和美峠に差し掛かったときだった。
遠く望む、浅間山。その圧倒的な存在感。そして地平には、どこまでも続く、湿原が見えた。
吹き抜ける風の、心地よさ。体の細胞が息を吹き返す。
思わず深呼吸した。懐かしい。そうだ、この香りは、祖父のいたスコットランドだ。
アレクサンダー・クロフト・ショーが、初めて軽井沢に出会った瞬間だった。
風は、彼に告げた。
「yes、ようこそ。あなたのイエスは、ここにいます」

アレクサンダー・クロフト・ショー。
彼は軽井沢に、強く魅かれた。
春に出会い、夏にはもう、別荘を借りていた。
別荘族第一号。家族とともに、森に触れ、静寂の中で身を清め、祈った。
当時の軽井沢は、鉄道や新道ができて、宿場町としての役割を終えようとしていた。
このまま、かくれ里になっていくのか、そんな分岐点。
ショーは、この地の素晴らしさを知人、友人に伝えた。
この場所で、布教活動をしたいと思った。
最初は、村人も、とまどった。突然の外国人。
いきなりのキリスト教。でも、ショーは、思った。
想いは、伝わる。世界中、どこに行き、どこに暮らし、誰と出会い、誰に関わっても、想いさえあれば、きっと伝わる。
祈りは、想い。つながるということ。触れ合うということ。
『ひとは、心で動く』。
ショーは、地元のひとたちに、パンの焼き方を教えた。
水泳を、教えた。自分が知っている西洋の良さを、笑顔で教えた。
でもいちばん伝えたいことは、この地の素晴らしさだった。
そこに暮すひとが見逃している、素晴らしさだった。
くじけそうになると、いつも風が背中を押してくれた。
日本に来て初めて自分に『yes』と言ってくれた、軽井沢の風。

以来、彼は亡くなるまでの、16年間あまり、軽井沢を愛し、軽井沢を、日本中どこを探してもない、別格な街にした。
別荘地、リゾート地として、息を吹き返したこの土地は、今も西欧の文化を独自に取り入れ、伝統を守りつつ、発展し続けている。
『軽井沢ショー記念礼拝堂』の前のショーの銅像。
彼は、誇りに思っているだろう。
讃辞が刻まれた石碑が、村人から贈られたことを。
どんなに権威や名誉を持っているひとより、この場所に暮す村人に受け入れられたことが、うれしかった。
今も同じように、風が吹く。
浅間山から、湿原を抜ける、スコットランドの風が、吹く。

音声を聴く

今週のRECIPE

閉じる

カロリー
調理時間
使用したきのこ
  • recipe LIST

閉じる

ARCHIVE

閉じる

RECIPE LIST

閉じる

番組へのメッセージ

閉じる

PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

閉じる

NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

閉じる