第三十七話寄り添う心
心地よい初夏の風が吹き抜けるこの場所の素晴らしさを世界に広めた外国人建築家がいます。
ブルーノ・タウト。
彼は53歳のとき、初めて日本を訪れました。
そのとき桂離宮の庭を眺め、こんなふうに書き記しました。
「ここに繰り広げられる美しさは、すぐれた芸術の美に他ならない。本当に偉大な芸術作品に巡り合うと、涙はおのずとあふれだす」
桂離宮は、江戸時代に皇族の別邸として建てられた建築群と庭園の総称です。
敷地面積は、およそ7万平方メートル。
建築は華美さを排した数寄屋風で、特に日本最古の回遊式庭園は有名で、建物と庭との一体感には日本の伝統的な美しさが凝縮しています。
ブルーノ・タウトは、ある意味、簡素ともいえる景色を、まるで小宇宙のように見つめ、深い精神性を感じ取りました。
「ここは、アテネのパルテノン神殿と並ぶ、世界2大建築物と言っても過言ではない!」
彼の心を揺るがしたのは、異国情緒ではありませんでした。
彼は私たち日本人も忘れてしまった、ある意味を教えてくれているのです。
それは、寄り添うという心。
自然に寄り添う。ひとに寄り添う。自分の心に寄り添う。
ブルーノ・タウトの眼に映った、明日へのyesとは?
彼が今、私たち日本人に問いかけるものとは?
20世紀を代表するドイツの建築家、ブルーノ・タウトは、1880年5月4日、ドイツの東ケーニヒスベルクに生まれた。
建築関係の学校を卒業して、設計事務所に就職。
29歳のときに独立。ベルリンで自分の事務所をかまえた。
ライプツィヒ国際建築博覧会での『鉄の記念塔』、ドイツ工作連盟ケルン展での『ガラス・パビリオン』で頭角を現した。
鉄やガラスなど、従来では考えられない素材を縦横無尽に駆使する。
アルプスの山の中に、クリスタルの建築物を建てようとしたこともあった。
ドイツ表現主義の建築家。
彼にはそんな枕詞がつくようになった。
想像は拡がり、世の中をあっと言わせるものを創りだせる自信があった。
そんな彼に転機が訪れる。
1924年、44歳のときからたずさわった集合住宅の建築。
当時、ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、多大な賠償金を支払うことになった。
都市部に集められる労働者たち。
彼らは工場の近くに強制的に住まわされた。
その住環境はひどいものだった。
まるで収容所のように狭い団地に押し込められた。
住宅供給会社の仕事をすることになったタウトは思った。
「住む環境をよくしないかぎり、労働者は健康を害して生産は落ちていくに違いない」
主任建築家ブルーノ・タウトは、働くひとのことをいちばんに考えた。
自己顕示欲を捨てて、住むひとの心に寄り添う。
ひとは、自分ではない誰かを思うことで、初めて意味のある仕事をする。
ドイツの著名な建築家、ブルーノ・タウト。
彼は労働者が住む集合住宅を新しく創造した。
棟の間隔をあけた。
日当たりがよくなり、風が通る。
松や白樺を植えて、芝生を敷き詰めた。
緑は心を癒し、空気を換えた。
8年間でおよそ1万2千件の住宅建築に関わった。
とてつもなく忙しい。でも、充実していた。
そこには、住むひとの笑顔があった。
タウトの設計した団地には、数多く石碑があった。
それは住民たちが彼に感謝の気持ちをつづったものだった。
「ありがとう、タウトさん」。
そんな声が彼の背中を押した。
「建築も、誰かにありがとうを言ってもらえる仕事なんだ」。
あたり前のことに気がついた。
自分が寄り添うから、相手も寄り添って認めてくれる。
彼の建築群は、日本の公団住宅のモデルになったと言われている。
彼が亡くなって70年後の、2008年7月。
ベルリンにあるブルーノ・タウトの4つの住宅団地が、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
もしかしたら、その栄誉より、彼は住民からの感謝を勲章と思うに違いない。
1933年、ブルーノ・タウトが初めて日本にやってきたとき、彼の心は決していい状態ではなかった。
ドイツではナチスが台頭し、目をつけられたタウトは職も地位も奪われた。
思うように仕事ができない。
構想はいくらでもある。やりたいことはたくさんある。
でも何もできない。
日本インターナショナル建築会から招待を受けた彼は、京都大丸の当主、下村正太郎の家に滞在した。
来日した翌日。桂離宮に案内された。
驚いた。
そこには彼が理想とする完璧な美があった。
涙が流れた。
自然に寄り添う日本人の心が見える。
奥深い精神性が息づいていた。
誰かを驚かし、誰かに力を誇示する建築ではない。
住むひと、そこを訪れるひとの心に寄り添い、癒し、ほっとさせる。
そんな祈りにも似た哲学が、随所に見られた。
「なんという気高い調和、つり合いだろう。全てのものは絶えず変化しながら、落ち着きを失っていない。なにより控えめだ。目を喜ばす美しさをたずさえて、さらに精神性を高みへといざなってくれる。ああ、日本は素晴らしい、日本は本当に美しい国だ…」
タウトは絵のように見える庭園の前から動けなかった。
襖を通して差し込む光までも計算した創りに、感動した。
彼は、桂離宮の素晴らしさを世界に発信した。
彼が大切にした寄り添う建築を全て具現化したもの。
それが桂離宮だった。
彼は言った。
「日本文化の特質は、簡潔、明確、清純、この3つにつきる」。
もしかしたらブルーノ・タウトは、さらにこう言いたかったのかもしれない。
「そしてこの3つこそ、ひとの心に寄り添える唯一の方法だ」
【ON AIR LIST】
枕詞 / 井上陽水
You May Be Right / Billy Joel
Thank You / Dido
Perfect Circle / R.E.M.
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