yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二十九話 自分を掘りだす -作家・志賀直哉-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二十九話自分を掘りだす

軽井沢が、今のような避暑地として注目されてから、今年でおよそ130年。
明治から大正、昭和と、数々の作家、芸術家がこの地に足を踏み入れ、愛しました。
古くは、森鴎外や正岡子規が、歩いて、あるいは馬車がひく鉄道で碓氷峠を越えてきました。
1893年、明治26年に電気機関車が走るようになると、さらに多くの文人がやってきました。
徳富蘆花、尾崎紅葉、田山花袋。そしてその中に、志賀直哉もいました。
彼は、最初は旅人としてこの地を訪ね、のちに、友人だった室生犀星の別荘を訪ねるようになりました。
室生犀星の旧宅は、今も記念館として軽井沢に残っています。

1951年。昭和26年の8月2日。こんな記述が残っています。
68歳の志賀直哉が、軽井沢にいる62歳の室生犀星のもとへやってきました。
2人は、およそ7年ぶりの再会です。
志賀直哉が軽井沢駅に降り立つと、
「やあ、志賀さん、こっちです、こっち」
迎えにきたのは、日本を代表する洋画家、63歳の梅原龍三郎です。
「おお、すまないねえ、わざわざ」
「いえ、お荷物、持ちましょう」
梅原は1913年にパリから戻って以来、白樺派の文人と親交をあたためてきました。
「いやあ、列車の中で偶然、評論家の長與善郎と会ってねえ、しゃべりすぎてノドがかれたよ」
志賀が話しました。
室生犀星は、志賀直哉の交遊関係の広さ、友人との快活なやりとりをうらやましく思っていたと言います。
文壇では常に賞賛と糾弾を同時に受けた、文豪、志賀直哉。
彼の心にいつもあった、人生のyesとは?

作家、志賀直哉は、1883年、宮城県石巻市に生まれた。
父は、明治の財界の重鎮。志賀が生まれたときは、銀行員で石巻支店に勤務していた。
2歳のときに東京に移るが、祖母に育てられる。
祖母は、彼にとって、最大にして最後の味方だった。
28歳のときに書いた小説『祖母の為に』は、こんなふうに始まる。

総ての友達が自分に敵意を持っている…と、こう思い込む事が私にはよくある。
それが不健全な一時的の気分からだとは知りながら、若し誰かを訪ねでもすれば屹度(きっと)脅迫されるように、私は不快なことを云ったり、したりしてしまう。
堪えられない孤独と腹立たしさを感じて別れて来る。
と、必ず、祖母を思う。
「何と云っても、もう祖母だけだ」と思う。

祖母を慕う一方で、志賀は父との齟齬(そご)を深めていく。
裕福な家に守られながら、学習院初等科から高校まで進み、東京帝国大学英文科に入学するも、中退。
定職を持たずに、小説を書き始める。
24歳のとき、家で働く女中との結婚を反対され、父との亀裂は決定的なものになった。

作家、志賀直哉は12歳の時に、母を亡くす。
母が亡くなる前のことを、彼は、こんなふうに記している。
『もう一時間で死ぬのか、そうそのとき思ったということは、なぜかその後も思い出された』。
彼は十分に甘えられなかった母を思い、と同時に、祖母に溺愛されて十分に自分を愛せなかった母への同情も、感じていた。
父は再婚し、志賀と11歳しか離れていない、新しい母ができた。存外、継母には、好感を持った。
むしろ、父を疎んじるきっかけになった。
志賀直哉は、18歳のときから内村鑑三に師事し、キリスト教を学んだ。
足尾銅山の鉱毒事件に興味を持ったが、開発に祖父が関わっていたことで、父に深入りすることを反対され、最初の不和が生じた。
この父親との対立、埋められない溝こそが、皮肉なことに志賀直哉の小説世界をより高みへと押し上げていく。
24歳で結婚を反対されてのち、志賀は、精神を病むほど追い込まれてしまう。

作家、志賀直哉が書いた『剃刀』『范の犯罪』『児を盗む話』などは、いずれも被害妄想に満ちている。
自分は誰かを殺してしまうのではないか、自分は犯罪をおかすのではないか、自分は自ら命を絶つのではないか。
そんな精神状態の危うさを、抑制のきいた文体で見事に表現した。
彼の中に、父との確執が大きく影響していた。
彼は書いている。
「今から見れば、自身も病的であった。近頃は段々、病的ということに興味が薄くなったが、病的ということは飛躍であり、正気では感ぜられないもの、また、正気では現せないものを、この飛躍で表す場合があるので、それを否定してはいない」
小説に書くことで、乗り越えた。
ひたすら言葉を置くことで、飛躍した。
志賀直哉は、心底、作家だった。
やがて彼は父との亀裂から、自我を見つめ、こんな境地に到達する。
「私は、自分を真ん中から愛するようになった。自分は自分の愛すべきところを、美しいところを、またエライところを、一生かかって掘り出さねばならぬ。人間は、少なくとも自分にあるものを、一生かかって掘り出せばいいのである」
晩年、志賀直哉は、たくさんの友人に囲まれた。
あの30代の病的なまでに自我を追いつめる行為こそが、彼を解放し、他と交わる慈しみを得た。
軽井沢で仲間と集う時間。彼に優しい風が吹き抜けた。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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