第三百五十七話信じることをやめない
金城哲夫(きんじょう・てつお)。
1963年に設立された円谷プロに入った金城は、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』などの脚本を担当しただけではなく、企画文芸室のリーダーとして、企画立案や脚本家へのプロットの発注、プロデューサーとしての予算管理など、その仕事は多岐にわたり、黎明期の特撮番組の発展に寄与しました。
出身地、沖縄県南風原にある彼の実家は、料亭を営んでいますが、離れの二階にある金城の書斎は「金城哲夫資料館」として、そのまま残っており、今もファンの聖地として訪れるひとが絶えません。
また、「金城哲夫ウェブ資料館」も立ち上がり、金城ゆかりの関係者のインタビューを見ることができます。
特に、彼と苦楽を共にした同郷の脚本家・上原正三(うえはら・しょうぞう)のインタビューは、必見です。
「ウルトラシリーズ」を牽引した脚本家に、二人の沖縄出身者がいたことは、作品の深みや重みに大きく影響を及ぼしていると言えるかもしれません。
金城が東京の大学に進学し、円谷プロで働いた頃、沖縄はまだ日本に返還されていませんでした。
アメリカ軍の基地が島の2割を浸食している我がふるさと。
ウチナーンチュとヤマトンチュの間で揺れる思いは、地球人ではない宇宙人・ウルトラマンが、地球人のために必死で戦う姿に投影されていきます。
自分のアイデンティティは、何か、どこにあるのか。
金城は、その問いにいつも立ち戻り、それが創作の原点になっていったのです。
勧善懲悪ではない世界。
地球にやってきた怪獣たちにも、ふるさとがあり、地球を攻撃する意味がある。
子ども向けの特撮ドラマが哀しみにあふれるとき、思うように視聴率は伸びませんでしたが、今もなお、多くのひとの心を動かします。
人間と人間が心の底から信じあう世界を求め、描き続けた孤高の脚本家・金城哲夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
「ウルトラシリーズ」の生みの親、脚本家・金城哲夫は、1938年7月5日、東京で生まれた。
獣医だった父が、東京の大学で学んだ2年間に彼が誕生した。
金城が産まれてほどなくして、家族はふるさと、沖縄に戻った。
南風原での暮らし。
照りつける太陽と、色濃い緑。金城は、たくましく育つ。
6歳のとき、天真爛漫だった彼の心に影を落とす出来事が起こる。
アメリカ軍が、沖縄本土上陸。
島は、戦火に包まれた。
繰り返される爆撃の中、家族で逃げる。
民家は瓦礫と化し、炎があがり、子どもの泣き叫ぶ声が響き渡る。
母は、機銃掃射で左足を撃ち抜かれ、生涯、義足で暮らした。
金城の心に、この体験が鮮明に刻まれた。
しかも、アメリカの統治下にあった沖縄での悲劇は、分断された日本本土には、ほとんど伝えられなかった。
小学校、中学校と、金城の人望は厚く、勉強も運動も存在感を示した。
休み時間になると、思いついた物語をクラスメートに聴かせた。
彼の周りには、いつも笑顔の友だちがいた。
このまま、沖縄で暮らしていくのだろう…。
そう思っていたが、ある挫折から、彼は東京の高校に入学することになる。
彼が行く道は、「ウルトラマン」に向かって、まっすぐ延びていた。
「ウルトラシリーズ」の脚本家・金城哲夫は、希望する那覇の高校に落ちた。
母は、東京の玉川学園をすすめる。
以前、玉川学園の創立者の講演を聞いたことがあり、感銘を受けた。
船と列車を乗り継ぎ、4日かけて受験に向かう。
晴れて、合格。
玉川学園の校風や、そこで出会った友人や先生が、金城を脚本家にいざなっていく。
金城は、SF好きな親友と二人で、「日金友好協会」というサークルをつくる。
「いつか日本上空に、金星から来た宇宙船がやってくるかもしれない。そんなとき、どう対応すればいいかを考えることが大事だと思う」
大真面目に語る金城。
「金星人は、握手するとき、目から緑色の涙をこぼすんだ。握手したひとは、その緑色の涙の粒の中にスルリと入ってしまう。そしてその涙の玉が宇宙船になって、ふわふわ浮かぶのさ」
ある生徒が、はやしたてた。
「金星人は、日本を侵略しにきたのかもしれないぜ」
金城は、目を真っ赤にして怒った。
「違うよ、ゼッタイそんなわけない。たとえそうだとしても、信じれば…お互い信じあえれば、戦争にはならない!」
あまりの勢いに、同級生は口をつぐんだ。
金城哲夫は、東京の高校に入り、本土のひとがあまりに沖縄を知らないことに愕然とした。
彼は沖縄語の中に古い日本語の姿があることを発表し、文学、民俗学をひもとき、沖縄が決して違う文化の異境ではないことを説いた。
さらに、今の沖縄を見てもらおうと、復帰前の沖縄見学ツアーを企画した。
生涯にわたる師匠・上原輝男(うえはら・てるお)は、金城を、夕暮れ迫る職員室に呼び出した。
「君の熱意はわかる。でもね、ちゃんとテーマを設けなさい。相手を信じ、自分を信じてもらうには、ちゃんとお互いを知ることが最初に必要なんだ。知ってもらうために何をすればいいか、それがテーマになるはずだ」
上原自身、戦時中、広島駅で被爆していた。
男子生徒9名、女子生徒8名、教諭2名で結成された、玉川学園沖縄慰問隊のテーマは、郷土研究。
琉球政府や沖縄タイムズへの取材も行い、実り多い旅になった。
のちに上原輝男は、金城の才能を見抜き、円谷プロに彼を推薦した。
『ウルトラマン』の中に、こんなセリフがある。
「おまえは地球人なのか、宇宙人なのか」と怪獣に問われたウルトラマンは、こう答える。
「両方だ」
『ウルトラセブン』では、自分がウルトラセブンだと告白したモロボシ・ダンに、アンヌ隊員は、こう返す。
「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃないの」
金城哲夫は、心から願っていた。
ひととひとが分かり合い、信じあえる未来を。
【ON AIR LIST】
ウルトラマンのうた / みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ
ウルトラセブンのうた / みすず児童合唱団、ジ・エコーズ
しなやかな腕の祈り / Cocco
小さな恋のうた / MONGOL800
★今回の撮影は、「金城哲夫資料館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
金城哲夫資料館の見学は、事前予約制となっています。
詳しくは、公式HPよりご確認・お問い合わせをお願いいたします。
金城哲夫資料館 HP
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