第百二十三話日本人が忘れてはならないこと
日本人のささやかで優しい心を丁寧に描いた映画は、いつの時代にも古びてしまうことがなく、むしろ日本人の原点を気づかせてくれます。
小津は、映画監督になる前、1年だけ代用教員をしていました。
場所は、三重県松阪市。父は、伊勢商人「小津三家」のひとつの6代目でした。
映画監督になりたいという息子の目を覚まさせようと、実家に住まわせ、実業に興味を向かわせようとしたのです。
松阪の飯高町の宮前尋常高等小学校。
子どもたちは、「オーヅ先生!」と慕いました。
小津は、よく生徒たちを連れて、野山を歩き、好きな映画の話を聞かせたといいます。
たった1年でしたが、子どもたちの心に、その姿や教えは鮮明に残りました。
教え子やその家族が発足した「飯高オーヅ会」は、毎年、小津安二郎を偲ぶ催しを続け、昨年23回を数えました。
先生をしながら、やはり思いは映画監督に向かっていきました。
父の思惑とは反対に、伊勢で観た風景、ひとびとの暮らしぶり、子どもたちの笑顔は、小津に創作の原点を教えてくれたのです。
「そうだ、オレは日常が撮りたいんだ。ひとが生まれて死んでいくまでに厖大に繰り返す日常の中にひそむ、ドラマを切り取りたいんだ」
のちに小津は言いました。
「きりっとした簡潔な絵をつくって、洗いあげた完成美を作り出したい、それだけなのにさ、どうかすると、たまには違ったものを作ったらどうだいと言う輩がいるんだ。そんなときは、こう言ってやるのさ。オレは、豆腐屋さ、カレーだの、とんかつだのは作れない。いいかい、豆腐屋は、豆腐しか作れないんだよ」
日本人の原点を照らし出す映画監督、小津安二郎が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
小津安二郎は、1903年12月12日、東京、深川に生まれた。
10歳のとき、父の郷里、三重県松阪に移る。
小学、中学、高校と多感なときを、三重で過ごす。
そのころから、映画が好きだった。勉強には身が入らない。
早くから映画監督になるしかないと思っていたので、学校の授業が退屈で仕方なかった。
映画を見に行くことが学校で禁止になったが、禁止されると、かえって映画館に行くこと自体スリルがあってワクワクした。
映画館のドアを開けたときの、むーっとする生暖かい空気。
にごった匂いがする。さまざまな人間がごちゃごちゃといる。
暗くなったときの、スクリーンを見つめるまなざし。緊張感。
唾を飲み込む音。全てが不思議な魔力を持って迫ってきた。
でも、いざ自分が映画を撮ろうと思う時、どうも大げさな設定や事件に違和感を覚えた。
小津が気になったのは、ダイナミックなプロットではなく、ひとの心の動きだった。
父ひとり、子ひとり。
その最愛のひとり娘が嫁いでいくとき、父はどう思うだろう。
哀しさをどう表現したらいいだろう。
表情、言葉は、どうなるだろう…。
小津は知っていた。
自分の身の丈のものしか、産みだすことはできない。
もしひとと違うことをしたいのなら、ひとと違う自分を作らねばならない。
小津は、当時の映画のスターシステムに疑念を持っていた。
確かにスターがいれば、映画はあたる。
でも、そうやって乱造された作品はやがて飽きられ、消えていく。
活劇やセンセーションな事件は目を引くが、これもやればやるほど、多くを求められる。
小津は、そこで思った。同情や共感は、裏切らない。
日本人ならではの心に降りていけば、やがてみんなが思いをひとつにできる場所に辿り着く。
見どころがある新人の役者には、同情や共感が得られる役をつけた。
そうして、彼自身でスターを育てていった。
日本人ならではの心。
それは、奥ゆかしさであり、日常の生活に美を持ち込む力。わび、さび。ゆずりあう、謙譲の精神。
戦時中、小津にまつわるこんなエピソードがある。
満州で終戦の知らせを受けた小津安二郎。
さまざまな噂が飛び交い、誰もがみんな一刻も早く満州を去って、日本に帰りたいと思う。
船は潤沢にはない。やっと港に着いた船。
徹夜で待ち続けたひとたちがあふれる中、すでに有名な映画監督であった小津に声がかかる。
「小津先生、どうぞ!」
小津は、声をかけてくれたひとに、ひとこと、言った。
「オレは…あとでいいよ」
オレはあとでいいよ。この精神こそ、小津が映画で描き続けた美学だった。
映画監督、小津安二郎のサイレント映画の傑作に、『生れてはみたけれど』がある。
作品は、子どもの目線で描かれている。大人社会の批判がテーマだ。
子どもは自分の父親が一番偉いと思っていたのに、その父親が他の大人にペコペコしているところを見せつけられて幻滅。
しかし、子どもたちの社会も、実は大人と同じような序列があるという、裏テーマも映しだされている。
子どもが父親を断罪するシーンは、残酷だ。
でも、言われる父親の哀しさ、言う息子の哀しさを、小津は正面からとらえた。
スターに頼らず大ヒットする作品を生み出す魔術には、小津自身が感じる哀しさというスパイスがあった。
ひとが生きるのは、哀しい、だからこそ、譲り合い、助け合い、優しく生きていける。
そのことに気づけば、ひとはもっと生きやすくなるはずだ。
小津の映画は、そう語りかけてくる。
三重県の山間の小さな村で代用教員をしていた小津と、映画を撮ってきた小津に、ブレはない。
だからこそ今も、高齢になったかつての教え子たちは、小津の話をしていると笑顔になる。
【ON AIR LIST】
I Dream of Jeanie with the Light Brown Hair / ビング・クロスビー&スティーヴン・フォスター
遠い町で / 矢野顕子
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