yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第百十四話 一秒の退屈もいらない! -【青森篇】劇作家 寺山修司-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第百十四話一秒の退屈もいらない!

先月公開された映画『あゝ、荒野』は、前編と後編を合わせると5時間にも及ぶ大作でした。
映画の舞台は、東京オリンピックが終わったあとの、2021年の新宿。
少年院あがりの主人公と、吃音(きつおん)で対人恐怖症の男が、共にボクシングの世界にのめり込んでいく話には、現代の日本が抱える闇が赤裸々に描かれていました。
この原作を書いたのは、寺山修司。
寺山が、1966年に書いた唯一の長編小説です。
50年以上の時を経て、自らの小説が映画化されたと知ったら、空の上の彼はどう思ったでしょうか?
昭和の石川啄木、言葉の錬金術師など、数々の異名をとった、時代の風雲児。
歌人にして、劇作家、カルメン・マキの『時には母のない子のように』という名曲の作詞も手掛け、演劇実験室「天井桟敷」を主宰した、稀代の芸術家、寺山修司。
今年、開館20周年を迎える彼の記念館は、青森県三沢市にあります。
館内には、寺山の足跡を知る、手紙や台本、舞台のセット、残したフィルムなどが展示されていますが、建物自体がまるで彼の作品のようです。
彼は、弘前で生まれましたが、三沢での幼児体験が強烈だったと振り返っています。
「もしかしたら私は、憎むほど、故郷を愛していたのかもしれない」
そう語ったように、寺山にとって青森という土地は、強く彼の精神性を育みました。
父を早くに亡くし、母とも離れて暮らさなくてはならなかった幼年時代。
見える風景は、荒野にも似ていたのかもしれません。
一秒の退屈も許さず、休むことなく駆け抜けた47年の生涯。
寺山修司が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?

歌人にして劇作家の寺山修司は、1935年、青森県弘前市に生まれた。
本籍は、三沢市。生まれた日は12月10日なのに、戸籍上は1月10日になっている。
自らの出生について母に問いただすと、母はこう答えた。
「おまえは、走っている汽車の中で生まれたから、出生地があいまいなんだ」
寺山の父は、青森の警察官。転勤が多い。
寺山が生まれたときも、異動のさなかであったという。
青森の冬は厳しく、暖房のない蒸気機関車。汽車で生まれたはずはない。
でも、彼は「僕はね、走っている汽車で生まれたんだ」というフレーズを気に入った。
留まることを知らない旺盛な創作欲は、確かに、走っている汽車のようだった。
寺山の父方の祖父は、薩摩藩出身。でも、会津藩と組んで新政府と闘った。
その反体制は、寺山の父に受け継がれる。
父は公安の刑事になるが、共産主義者を助けた。
のちに、助けてもらった活動家が、寺山のもとにやってきて、涙ながらにお礼を述べたという。
「あなたのお父さんに、命を救ってもらったんです」。
寺山の母方の祖父は、無声映画を持って全国を回る映画興行師だった。
体制におもねることを良しとしない、そして、芸術を生業とする。
寺山のそんな二つの傾向は、二人の祖父から受け継いだものかもしれない。
幼い時から才気煥発、利発な子どもだった。
6歳のとき、父が戦争に召集。青森空襲で焼け出され、三沢市の叔父のもとに母と逃げた。
そこで、父の戦死の知らせを受ける。
寺山は、父の愛を知ることができず、失った。
三沢の荒涼とした冬の海。彼はのちに、こう綴った。
「なみだは、にんげんの作る いちばん小さな海です」

寺山修司の母は、躾(しつけ)に厳しかった。
いつも正座。木刀の素振りを毎日やらせた。
整理整頓ができていないと、体罰もじさない。
折檻は激しく、寺山の叫び声が周囲に聴こえることもあったという。
母は、三沢の進駐軍ベースキャンプの中の図書館で働くことにした。
米軍将校の口ききで、米軍没収の家を安く譲り受けた。
小学校の同級生は、そんな母のことを揶揄し、侮辱した。
「おまえの母ちゃんは、アメリカのこれか!」
寺山は、その旧友を無言で殴った。
先生はひどく怒り、母に事の顛末を伝えた。
母は我が息子を叱るどころか、抱きしめて、こう言った。
「修ちゃん、ありがとう」。
それでなくても、転校生だった寺山はいじめられた。
鬼ごっこでは、鬼しかやらせてもらえない。
ただ、誰よりも勉強ができたことで、一目置かれるようになっていく。
やがて、彼は不遜な態度をとるようになる。
担任の教師は通信簿に書いた。
「各教科、成績優秀なれど、外的活動を好まず、自尊心高く、授業態度も悪し」。
周りに虚勢を張っても、寺山の心は、さみしさの渦に巻き込まれるだけだった。
中学に入ると、母は九州の米軍キャンプに住み込むことになり、彼は青森市内の親戚に預けられることになった。
こうして父ばかりか、母までも失ってしまう。
そんな寺山を支えたもの、それは、言葉だった。
言葉を紡ぐことで、自分をどうにか保つことができた。

寺山修司の人生は、言葉と格闘する人生だったと言っても過言ではないだろう。
俳句や短歌を詠み、ラジオドラマのシナリオや戯曲を書き、作詞やノンフィクションでも世に認められた。
ジャンルを問わない活躍。でも、そのどれもが「言葉」だった。
母が自分のもとを去ってから、彼は詩作に励んだ。
文芸部に入り、詩や童話を書いた。
特に俳句にのめりこんだ。当時、彼はこんな言葉を口にした。
「いっちょう、言葉を地獄にかけてやるか!」
やがて、早稲田大学文学部に入学。
短歌で賞をとり、文壇に認められかけた矢先、彼は病気になる。
混合性腎臓炎からネフローゼを起こし、長期入院を余儀なくされた。
母ひとりで息子を大学にやるのは容易ではなかったはずだ。
寺山は大学を辞める覚悟をしたが、母は身を粉にして働き、学費を払い続けた。
この入院が、彼を変えた。
不遜な心は影をひそめ、ベッドから天井を眺めつつ、生きたい、生きたいと願った。
古今東西の本を読み、学んだ。
時間はいくらでもあったが、一秒たりとも無駄にできない。
ひとは死を身近に感じたとき初めて、生きる時間の短さに愕然とする。
ひととの出会いや語らいも、より愛おしいと感じるようになった。
見舞ってくれた谷川俊太郎とは、生涯の友となった。
大学の同級生、山田太一とは手紙のやりとりが続いた。
さよならだけが人生だと、悟った少年時代。
でも、だからこそ、一秒も退屈があってはならないと、走り続けた。
亡くなる寸前まで、映画を撮っていた。
ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。のちにタイトルは『さらば箱舟』になった。
寝椅子を持ち込んで、撮影した。
大切にしたのは、言葉、言葉、言葉。
人生には、言葉にでもしないと耐えられないことがある。
片時も休まなかった人生が生み出した数々の言葉は、今も、ひとびとの胸に届いている。

【ON AIR LIST】
この街 / 元ちとせ
Mad World / Gary Jules
メロディー / 玉置浩二
風に吹かれて / ボブ・ディラン

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけの柳川風

今回は、寺山修司記念館がある青森県三沢市の特産物、ごぼうを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけの柳川風
カロリー
252kcal (1人分)
調理時間
15分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • ごぼう
  • 30g
  • 豚バラ肉
  • 50g
  • 2個
  • 【合わせ調味料】
  • 160cc
  • しょう油
  • 20cc
  • みりん
  • 20cc
  • 20cc
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは小房にほぐし、豚肉は一口大に切る。
  • 2.
  • 中火のフライパンにささがきにしたごぼう、豚肉、霜降りひらたけの順に入れて【合わせ調味料】を回しかけ5~10分煮る。
  • 3.
  • ごぼうが柔らかくなったら溶いた卵を流し入れて火を止め、蓋をして5分程蒸らす。
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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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