第四十話寄り添う心
今、また巻き起こっている角栄の波。
黒い金にまみれたイメージのその一方で、戦後の日本政治を変えた稀代の政治家として、語り継がれてる人。
田中角栄は、軽井沢に3つの別荘を持っていました。
その額は、およそ4億7千万と言われています。
彼にとって軽井沢は、成功のシンボル。
軽井沢に別荘を持つことは、頂点の証だったのかもしれません。
別荘のひとつ、旧徳川邸は、国が登録した有形文化財になっています。
大きな門。豊かに生い茂った木々たち。
木漏れ日は時間を超え、在りし日の姿を映し出しているように思えます。
田中角栄は、ゴルフが好きでした。
軽井沢ゴルフ倶楽部でプレーしたとき、まわりの人が困ったと言います。
とにかく、速い。
アドレスは一瞬。気がついたら打っている。そして、速足で歩く。
まわりの人は大慌て。ついてまわるのが大変でした。
しかも、スコアにこだわるのです。
「ゴルフは道楽じゃなく、真剣勝負なんだ。ひたすら歩いて体を責める。汗を流す。昨日よりスコアを良くする。ミスは繰り返さない!」
一緒に回る政治家は思ったそうです。
「一国の総理大臣が、これほどゴルフに対して、無邪気に、一生懸命になれるものなのか」。
ロッキード事件で世間を騒がせていた田中角栄が軽井沢でゴルフをしたある日。
彼は、警護にあたった長野県警の警察官40名全員に、秘書を通して白い封筒を渡したといいます。
「若い警官たちを、楽にしてやってくれ」
田中角栄。彼は情の人でした。
悪と善の間で揺れ動く、日本を変えた政治家。
彼が心に持っていた、明日へのyesとは?
田中角栄は、1918年、新潟県に生まれた。
彼の演説の言葉を引用すると、
「ええ、その、貧乏な百姓のせがれとして、上野に出てきてから、まったくひたむきに走りながら、ええ、今日、ここまできた、そういうことであります」
貧しかった。
母は暗い頃に起きて、泥だらけになって働いた。
牛や馬の世話もする。それでも生活はままならない。
とにかく真面目に働くこと、それだけを信じて生きようと思った。
でも、真面目に生きていても理不尽はつきまとう。
習字の時間、ふざけた生徒に巻き込まれ、田中角栄は先生に怒られた。
言い返したくても、うまく言葉が出てこない。
彼は、持っていた硯(すずり)を床に叩きつけた。
吃音に悩んだ。
焦れば焦るほど、うまく話せない。
あるとき、大声を出してみる。
スムースに声が出た。
学芸会で勧進帳の主役、弁慶を志願する。
まわりのみんなは彼の失態を期待した。
先生までもがうまくできるわけがないと思っていた。
圧倒的な声、流麗なセリフまわしで、観客から拍手をもらった。
角栄は思った。
「結果が全てだ。前に出るか、引っ込むか、オレは、前に出る人生を選ぶ」
田中角栄は、16歳で故郷、新潟を出た。
そのとき、母は降りしきる雪の中で言った。
「人にお金を貸したら、それは忘れるんだよ。あとね、いいかい、悪いことをしないと食べていけないと思ったら、いつでも帰ってくるんだよ」
さらに、こう続けた。
「世の中には、働いてから休む人と、休んでから働く人がいるんだ。おまえはね、働いてから休む人になりなさい」
その言葉どおりに、彼は、生涯、働き続けた。
雪深い新潟。幼い時からベタ雪には苦労した。
北からやってくる寒気が上州と越後を分かつ山脈にぶつかり、大雪を降らす。
人間は自然には勝てない。角栄は肌で感じた。
「だから、この雪国のために、力になりたい!」
焦る。
人生は短い。みんな死んでいく。
だから時間を無駄にしたくない。
彼は部下に、秘書に、みんなにこう言った。
「いいか、用件は便せん一枚に、大きな字で書け!それから、はじめに結論を言え!何か理由を述べたいときは、3つまでだ。この世に、3つでまとめきれないことなどない!」
政治家 田中角栄が総理大臣になっても、新潟の年老いた母は心配して、彼に連絡をよこした。
週刊誌が彼のことをあれこれ書きたて、母は心配になるのだ。
そんなとき、彼は秘書たちに言った。
「ばあさんが、しつこく電話をかけてくるんで困ってるんだが、オレはこう言ってる。悪口書かれているうちは、オレは大丈夫だ」。
彼は常日頃から、言っていた。
「いいか、仕事をするっていうことは、文句を言われるっていうことだ。もし、おまえらが誉められたいなら、仕事なんかするな、いい仕事をしないと、誉められる。それが世の中ってやつなんだ」
過激な言動で、賛否両論を生んだ。
それでも彼を慕う人間は後を絶たない。
その理由に、彼が生活をしっかり見据えたという事実があった。
「政治とは生活である」
角栄は言った。
生活とは、生きていくということ。食べていくということ。
彼は初めて会う人でも必ず最初にこう言ったという。
「おい、メシ、食ったか?!」
一緒にご飯を食べているときに、心ここにあらずな人間には容赦なかった。
「メシ食うときには、メシを食え!しっかりメシを食わんやつをオレは信じない!」
彼の心には、彼の頭には、いつも泥だらけになって働く母の姿があったに違いない。
どんな天気のときも、どんなに体が疲れていても、土に向かう母の姿。
勤勉であることは、それだけで尊い。
でも、いつからか、世間では一生懸命が恥ずかしいものになってしまった。
田中角栄は、格好悪くても、みっともなくても、一生懸命を愛した。
日々の生活を懸命に生きる人に、深い情を注いだ。
情は、彼の武器だった。
ライバルの政治家の葬儀にも、いちばんに駆け付けた。
祝いごとには遅れてもいいが、葬式には真っ先に駆け付ける。
葬儀から一週間すると、花を新しいものに替えさせた。
遺族がいちばん悲しむのは時を経た今だから、と言った。
寄り添うこと、生きること以上に、死ぬことに向き合うこと。
雪深い大地が、寄り添う心、耐え忍ぶ力を彼に教えた。
彼は言う。
「踏まれても、踏まれても、ついていきます下駄の雪」。
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