第百六十四話どんな仕事にも手を抜かない
日本を代表するキングオブコメディアンが、愛知県名古屋市に生まれました。植木等。
生まれた日は、キリストの誕生日であり、その日、大正天皇が崩御されました。
まさに、伝説は始まっていたのです。
生まれた翌日が、昭和元年初日。
しかし、植木の叔父は、まかされた出生届を出すのを忘れ、結局、届が出されたのは年が明けた昭和2年の2月25日でした。
2ヶ月の遅れでしたが、特異な状況ゆえ、2年の差がついてしまったのです。
生まれながらに、波乱も規格外。
のちの運命を占うような出生でした。
「日本一の無責任男」を演じ続けた植木。
でも、彼自身は極めて実直で清廉。
酒も飲まず、地方巡業では安宿に泊まり、一膳飯屋を好みました。
22歳で植木の付き人兼運転手になった小松政夫が、彼と初めて会ったのは、病院の一室でした。
植木は働きすぎて、過労でダウンしていたのです。
この世界に入るのに抵抗はないのかと聞いたあと、こう言ったそうです。
「君はお父さんを早くに亡くしたようだね。私のことをこれから父親と思えばいいよ」
小松は、一生、植木を「親父」と呼びました。
貧しい小松が空腹だと見透かすと、自分はお腹が減っていないのに食堂に出かけ、天丼を注文。
「僕は、急にお腹の調子が悪くなったから、これ、全部食べてよ」と店を出たそうです。
彼の流儀は「ちっちゃな仕事でも、キチっとやる」。
情に厚く、仕事にもひとにも真摯に寄り添った喜劇役者・植木等が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
稀代のコメディアン・植木等は、大正最後の年に生まれた。
父、徹之助は、破天荒で規格外な男。
キリスト教の洗礼を受けたかと思うと、浄土真宗の僧侶になり、真珠の工場で真面目に働いていたかと思うと、義太夫にのめりこみ地方を回る。
社会運動にも参加して、この世のあらゆる差別や戦争を憎んだ。
三十を越えて生まれた三男につけた名前は、「等」。
平等、それがいちばんだ。ひとを見下すやつが、最も薄汚い。
等が4歳のとき、父は三重県の山奥にある寺の住職になった。
檀家が多くて安定した収入のある寺と、檀家が少なくて収入が期待できない寺、どちらがいいかと師匠に聞かれ、父はあえて檀家が少ないほうを選んだ。
そこは、崩れ落ちる寸前の寺だった。
それでも等の父は、あっという間にその村の名士になる。
檀家を訪ね歩くとき、いつも等を連れていった。
等は、出会ったひとの物まねが得意で、父を笑わせた。
「等、おまえは観察眼があるなあ。今はまだ小さくてわからんだろうが、ひとをちゃんと観察できるというのは才能なんだ」
等も、父と歩く山道が大好きだった。
森の匂いがした。川の音がした。どこまでも高い空があった。
植木等は、父によくこう言われた。
「いいか、等、世の中は、はずみだ。仕事も結婚も、はずみでするもんだ」
小学6年生のとき、学校で行った遠足。
伊勢神宮に参拝するときに拾った号外に、父の写真が出ていた。
思想犯。戦時中に戦争反対を叫んだため、捕まった。
召集令状が来た檀家の若者には
「いいか、卑怯だって言われても生きて帰ってくるんだぞ。死ぬんじゃない。死んじゃだめだ。それから、できるだけ相手も殺すな」
父のせいで、等はいじめられた。
家に帰って母に訴えると、こう言われた。
「人間はみんな平等。同じでなくちゃいけない。金持ちと貧乏人が区別されている世の中、おかしいだろ。お父さんはただ、差別のない世の中、戦争がない世界がいいって言っているだけなんだよ。間違ってないだろ?」
等は、朝早く起きて、警察にとらわれている父に弁当を届けた。
学校が終われば檀家まわりをやって、お経もあげた。
人前で大声を出す。そんな度胸がついていった。
等の兄は、天才肌で父ゆずりの無鉄砲。
博打に喧嘩、母を泣かせた。でも等は兄が大好きだった。
兄に赤紙が来た。
出征する前、等に言った。
「いいか、オレみたいになるなよ。おまえはおまえらしく、生きろ」
兄は、戦地に散った。21歳だった。
戦地から、手紙が届いた。
『内地ではお母さんに親不孝なことばかりして、心配のかけ続けでした。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。お母さん、いつまでもお元気で』
母が泣き崩れるのを、等はじっと見ていた。
父の収入がなくなり、小学6年生の植木等は、東京のある寺に預けられることになった。
三重から東京まで母がついてきてくれた。
不思議と寂しさはなかった。
息子を不憫に思ってか、母が銀座で白い帽子を買ってくれた。
でも、お堀を見ていると一陣の風が吹き、帽子を飛ばされてしまう。
母に怒られた。
寺の住職や先輩たちに挨拶する母の後ろ姿を覚えている。
「ぼーっと育ててきたものですから、気はききませんし何もできませんが、どうぞ、どうぞよろしくお願いします」
頭を下げた。何度も頭を下げた。
母が汽車に乗って手を振ったとき、号泣した。
住職は、平等を重んじる僧侶だった。
彼は弟子たちに言った。
「世の中には、たくさんの川がある。いろんな川がある。でも、海に流れ込んでしまえば、たちまち平等な海水になるんだよ」
つらい修行に、等は耐えた。
彼は父とも兄とも違う、おだやかで腹を立てない人間だった。
5年間の修業時代で培ったものは、忍耐力と、自分で自分を守る力。
どうやって自分を守るか。シンプルによりシンプルに。
たくさんのものを抱えていては、戦うときに空いている手がない。
コメディアン・植木等は、どんなに有名になっても、清貧を重んじた。
過度に持ちすぎない。
そして常に大切にしたのは、平等であること。公平であること。
どんな小さな仕事にも、手を抜かなかった。
彼の心には、父が、兄が、母が…そして幼い頃の風景が生きている。
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