第百五十九話自分の目で見たものしか信じない
かつての「蝦夷地」ではなく、北海道と名付けたのは、今年生誕200年、没後130年を迎えた探検家・松浦武四郎(まつうら・たけしろう)です。
彼は幕末、6回にわたり蝦夷地を訪れ、10年の歳月をかけて、北海道全土の情報をまとめあげました。
その『蝦夷大概之図』は、わが国最初の北海道全図です。
彼の功績のひとつに、アイヌ民族との親交、交流、文化の継承があります。
北海道という名前にも、実は彼のアイヌへの愛情が隠されているのです。
明治新政府に新しい名前として提案した、北海道という名前。
その文字は、北に加えるに伊豆半島の伊、そして道と書きました。
カイという言葉は、アイヌのひとの言葉で「この地に生まれ、ここに暮らすもの」という意味があると、松浦は教えられました。
新しい名前に、アイヌの英知、アイヌの精神を入れたい、そう願った松浦は当て字にしてカイという言葉をどうしても入れたかったのです。
北海道の地名も、アイヌのひとたちが使っていた名前をそのまま使い、漢字をあてました。
アイヌのひとたちがつけた地名には、土地の特徴や危険を知らせる警告など、さまざまな情報が詰め込まれているからです。
水かさが増すと氾濫する川に「ベツ」とつけ、川岸の土壌が安定していて氾濫の危険性が少ない川を「ナイ」と呼びました。
女満別(めまんべつ)、稚内(わっかない)、北海道全土にはアイヌの英知が生きているのです。
松浦武四郎は、とにかく自分の足で大地を踏みしめ、現地のひとに会い、自分の目で見たものだけを信じ、記録し続けました。
他の冒険家と一線を画するのは、その著作物の多さ。
彼は後世に伝えるために、克明にノートに記しました。
だからこそ、150年経った今も彼の功績や思いは継承されていくのです。
稀代の探検家・松浦武四郎が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
幕末の探検家・松浦武四郎は、1818年、三重県松阪市に生まれた。
父は、この地で紀州和歌山藩の地士を務める名士。
祖父は、長崎県平戸で水軍として活躍した「松浦党」に属していたと言われている。
家は、伊勢参りの旅人が往来する伊勢街道に面していた。
武四郎は、行きかうひとを見て育つ。
「この道の先には何があるんだろう…」そう考えると、ワクワクした。
やんちゃな子どもだった。
四男坊だったので親の監視の目もゆるい。
近くにある真覚寺の屋根にのぼり、よく和尚に怒られた。
その和尚は、諸国を歩き修行を積んだ高僧で、落ち着きのない武四郎に読み書きを教えた。
しかもときに病も治してしまう不思議な力を携えていた。
武四郎は、和尚にあこがれ、将来はお坊さんになりたいと両親に語った。
特に、和尚がしてくれる旅の話が好きだった。
「この世には、僕が知らない世界がたくさんあるんだ。いつかそれをこの目で見てみたい。確かめてみたい…」
伊勢街道をゆく旅人の背中を見ながら、少年の心に冒険の魂が宿った。
北海道の名づけ親、探検家の松浦武四郎は、16歳のとき、家出した。
一説には、親に黙って古物を買い求め、その借金を返せなくなったからだとも言われている。
ただ、書物や地図を眺めるだけでは我慢ができなくなっていたのも事実だった。
「父上様、母上様 これから私 武四郎は、江戸、京都、大阪、長崎、そののちは、唐、天竺に参るつもりでございます」。
国内だけではなく異国の地にまで足を延ばすつもりだったが、江戸で金が尽きる。
奉公人として働こうと思っても、後ろ盾がない。
結局、伊勢に連れ戻された。
たいそう叱られたが、父の怒号も耳には入ってこない。
武四郎の心には、この目で見てきた世界が生き生きと刻まれていて、それらを反芻するだけで幸せな心持になった。
17歳で、再び諸国漫遊の旅に出る。
今度は学問所で知り合った学者たちを訪ねるなど、計画を立て、石に字を彫る篆刻(てんこく)で金を稼ぎながら、旅を続けた。
伊勢の国からやってきた男のハンコは、よく売れた。
四国遍路を経て、ついに長崎の地にたどり着き、ここで仏門に入ろうかと思う。
しかし、平戸で出会った和尚に不穏な情報を聞いた。
「蝦夷地にロシアが攻めてくるそうじゃあ。幕府は何も手をうってない。それどころか、蝦夷地の地形すら把握しておらんのじゃ」
武四郎の目が光る。
蝦夷地…この目で見てみたいと、心が騒いだ。
幕末の探検家・松浦武四郎は、28歳のとき、初めて蝦夷地に入った。
松前藩がアイヌのひとたちを見下している意味がよくわからなかった。
幼い頃教わった和尚はいつも言っていた。
「ひとを見下せば、そのひとより自分が下に落ちる」
知床半島をひたすら歩く。
案内してくれたアイヌのガイドは二人。
言葉は通じなかったが、彼が指さし教えてくれる名称をひたすらメモした。
アイヌのひとも緊張しているのか、あるいは内地からくる人間にもともと敵意があるのか、打ち解けることはない。
ふと、彼らの発音を真似てみると、ひげだらけの顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。嬉しかった。どこかで通じているように感じた。
海岸に座り、日の出を待つ。
瓢箪(ひょうたん)に入った酒を差し出すと、手ですくって飲もうとする。
「口をつけて飲んだほうがうまい!」というと、おそるおそる飲んだ。
急に彼らがいなくなる。
戻ってくると、ずぶ濡れの彼らは、手にあわびを持っていた。
無言で差し出す。
「これ、食べてください」
そう言ってくれたような気がして、涙がこみあげてきた。
誰かが言った噂では、アイヌは怖い、アイヌとは仲良くなれない、だった。
火を起こし、熊の毛皮にくるまれて眠り、同じ風景を見ていれば、言葉が通じなくても伝わる思いがある。
松浦武四郎は、自分の目で見たものしか信じない、そう心に誓った。
北海道の朝陽には、混じりけがなかった。
圧倒的な陽の光が、世界を包んだ。
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