第四十三話自分の第一義を知る
オランダの農家を思わせる、山荘でした。
彼は、軽井沢の自然をこよなく愛しました。
浅間山を愛で、山羊や羊を飼い、夏のみならず、一年を通して野山に戯れたのです。
彼が書いた『北軽井沢にて』という文章には、彼の想いがあふれています。
『一年の大部分を山で暮してゐる私は、季節の足音に耳をすます習慣がいつの間にかできました。八月にはいるともう秋の気配が感じられますが、家畜の世話や、魚釣りや、たまに机に向つての仕事やをひつくるめて、私は今、自然のふところといふものに、大きな魅力と、言ひやうのない不安とを感じてゐます。この時代に、秋の訪れを待つことは、たゞの風流ではすまされぬ気持をわかつていたゞけるでせう』
岸田は、軽井沢で風を感じ、雨を楽しみ、ささやかでひそかな季節の移ろいに、心を揺さぶられました。
彼は、言葉を紡ぐひと。
誰よりも、目の前に見えるもの、自分が感じるものを、言葉に表したいと、もがいたひとなのかもしれません。
だからこそ、彼は言葉の虚しさにぶち当たります。
彼が書いた演劇論の一節に、こんな文章があります。
『「言葉の空しさ」――これをはつきり意識するところに、私の文学ははじまつてゐるのだと思ふ。私が戯曲を書く興味は、今日まで大部分「言葉の空しさ」を捉へる努力に出発してゐるといつていい』
劇作家・岸田國士が、むなしさから出発し、その先に得た、明日へのyes!とは?
劇作家・岸田國士は、1890年、明治23年、東京・四谷に生まれた。
岸田家は、旧紀州藩士の家系。父は陸軍の軍人だった。
國士は、陸軍士官学校を卒業。
少尉になって久留米の歩兵連隊に配属された。
父のようになりたい。いや、父のようにならねばならぬ。
そんな思いは長くは続かなかった。
文学に出会い、傾倒した。
体も弱く、軍務には向かなかった。
当時、一家の主である父親に背くことは、勘当、家を出ることと同意であった。
それでも國士は、軍務を離れた。
28歳のとき、東京帝国大学のフランス文学選科に入学した。
そこで、演劇に興味を持つ。
旅費をためた。2年も経たないうちに、パリに行くことを決意した。
「ジャック・コポーに会いたい!会って彼から何かを学びたい!」
その願いを、彼は願いで終わらせない。
会いに行く。
神戸から船に乗った。
台湾、香港、ベトナムを経由して、パリについた。
パリは、衝撃だった。
街中に、文化があふれている。
演劇が日常の中にその位置を確立していた。
ソルボンヌ大学に学ぶ。
演劇研究の傍ら、いよいよジャック・コポーのビュウ・コロンビエ座を訪ねた。
そこで彼は、演劇の根っこに触れた。
すなわち、「演劇に、いや、人生に必要なのは、文学性と品位だ!」
劇作家・岸田國士にとって、パリはあまりに刺激的だった。
ここにこそ、演劇の神髄がある。
フランス演劇の開拓者、ジャック・コポーの一座に触れることで、彼の根幹が確立された。
文学性と、品位。
演劇で語られる言葉は、日常であって、日常ではない。
そこには、文学という変換があり、常に品位に守られている。
もっと学びたい。パリにいたい。
しかし、彼に届いたのは、父の訃報だった。
「タダチニ キコクサレタシ」
そんなとき、彼は初めての戯曲『古い玩具』を書いた。
同じく劇団に出入りしていたピトエフ夫妻のすすめがあったからだ。
一気に書き上げる。
しかし、肺の病が再発。
彼はピレネー山のポオという場所に転地療養をよぎなくされた。
彼のもとに、ピトエフ夫妻から戯曲への感想が届く。
「すばらしいよ、國士。今すぐにでも上演したい」
うれしかった。
東洋の一青年のセンチメンタリズムを書いたにすぎないのかもしれない。
でも、彼には、心に決めた矜持(きょうじ)があった。
『僕は少なくとも、何かを言うために戯曲を書くのではなく、戯曲を書くために何かしらを言うのだ』。
岸田國士は、わかっていた。
自分の第一義、自分が生涯を賭けても後悔しないものを、明確にすること。
それこそが、人間の本懐である。
劇作家・岸田國士は、翻訳もした。
小説も書いた。評論もやった。
でも、いつも、いかなるときも、戯曲に心血を注いだ。
戯曲に文学性が必要だと説きつつ、戯曲は文学とは違うと言い続けた。
まず彼がこだわったのは、言葉だった。
日常の会話とは違う、でも、日常を想起せずにはいられない言葉。
彼の出世作『紙風船』の夫と妻のセリフ。
夫:よしわかった。だが、おれたちは、日曜にどっかへ行くために、夫婦になったわけじゃあるまい。うちにいたって、もう少し陽気な生活ができるはずだ。
妻:あなたが話をなさらないからよ。
夫:話…どんな話がある。
妻:話は「する」ものよ。「ある」もんじゃないわ。
岸田國士は、だからといって演劇の放埓(ほうらつ)、自由を謳ったわけではない。
むしろ、演劇の言葉や手法が独り歩きし、観客を置き去りにするのを憂えた。
彼はポール・ヴァレリーの詩についての言葉を引用する。
「かつて、この世に紡ぎ出された詩を否定するのは簡単だ。でも、それらは人間の機能の単調なリズムを刻み、ともすれば、人生の行為を映し出し、生命の要素と生命の要素とを結び合せて、あたかも海の中に珊瑚がそびえ立つやうに、事物の間に生命の時を築き上げる、そんな根本的機能のメカニズムからその源を発しているのかもしれない」。
岸田國士は、思った。
「先人が築いた伝統、この世に受け継がれたものを全て否定することが、自由の獲得にはならない」。
守りつつ、壊す。それこそが革命ではないか。
壊しつつ、守る。それこそが進歩ではないか。
劇作家・岸田國士は、自らの劇団の公演『どん底』の稽古中に倒れ、帰らぬひととなった。
彼は、我々に問いかける。
「あなたの第一義を知りなさい。そしてそれがわかったら、それに命を賭けなさい。それが、明日へのyes!につながる、たったひとつの方法です」。
【ON AIR LIST】
あるてぃすと / ハナレグミ
Alabama Song(Whiskey Bar) / The Doors
Stage Fright / The Band
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