第二百七十六話自分の心を裏切らない
杉原は、卓抜した語学力と豊富な外国の知識を持ち、諜報外交官として世界各国で諜報活動に携わっていました。
1939年、リトアニアの日本領事館に赴任。
ここで彼は、ナチスに迫害されたユダヤ人に日本通過のビザを発給したのです。
救われた命は、次の命を育み、現在につながっています。
今年は、杉原の生誕120年。
そして、「命のビザ」発給から80年の節目にあたります。
2月には、リトアニアの首都・ビリニュスの国会で、功績を讃える特別展が開催されました。
当時の写真50点あまりが展示され、およそ15か国の大使が集まりました。
偉業を成し遂げた彼は、こう語っています。
「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」
また、どうしてビザを出したのかと尋ねられると、「彼らはどこにも逃げ場がなかったんだよ。目の前に困ったひとがいたら、なんとかしたいと思うのは、ふつうのことだろう」と話したと言います。
杉原には、世界を少しでもよくしたい、変えたい、という思いがありました。
「そんな大それたことは簡単にできるものではない」と、したり顔で言う大人たちを尻目に、彼は思ったのです。
「何もしないで、できなかったというのは、卑怯だ」。
岐阜県加茂郡八百津町にある杉原千畝記念館には、彼の足跡を知る資料が多く展示されています。
彼が教えてくれるのは、世の中が厳しくなればなるほど、目の前の困っているひとに手を差し伸べる勇気と優しさ。
「日本のシンドラー」杉原千畝が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
ユダヤ難民およそ6000人の命を救った外交官・杉原千畝は、1900年、岐阜県武儀郡、現在の美濃市に生まれた。
父は、税務署勤務の官吏。
寺の借間に暮らしていた。
千畝は、幼い頃から成績優秀。
尋常小学校は、オール5で卒業した。
父は、息子を医者にしたいと願った。
しかし、千畝の目は早くも海外に向いていた。
「とにかく、外国語を話せるようになりたい。まずは英語だ」
父が勧めた医学の専門学校の入学試験。
彼は答案用紙を白紙で出す。
勝手に、早稲田大学高等師範部英語科を受験して、合格。
父の逆鱗に触れ、仕送りはなかった。
多くのアルバイトを掛け持ちし、なんとか学費や生活費を工面。
当時、彼はぼろぼろの紋付き羽織にノートをしのばせ、帽子にペンをはさんで、学内を闊歩していた。
「変わったやつだ」と周りから揶揄されるのも気にせず、気がついたことや考えたことがあると、その場でノートに書き記した。
一方で、授業中はいっさいノートをとらず、全て暗記した。
そんな生活もお金が底をつき、いよいよ退学に追い込まれそうになる。彼は思った。
「まあ仕方ない。やるだけやってだめなら、次にいくだけだ」。
杉原千畝は、早稲田を中退。
不況により、アルバイト先がどんどん倒産してしまったことで、学費が払えなくなった。
彼はアルバイト先で、様々な人に出会う。
牛乳配達をしながら子ども5人を育てる男、夜の街で働きながら故郷に仕送りをする女。
学校では学べない、生きることの難しさや人間のしぶとさ、したたかさ、生活の哀しさを知った。
学校を辞めることになっても後悔はしなかった。
「自分で決断したことは、たとえ結果がどうあっても精神的にはしのげるものだ」と悟る。
学校を辞める前にたまたま図書館で、新聞に載っていた募集要項を見る。
外務省 留学生試験。
留学、という言葉に胸が躍った。
図書館にこもり、猛勉強。
難関を突破。晴れて国に選ばれた留学生になった。
ロシア語講習のクラスに入る。
新しくロシア語を習得するために、ロシア語の辞書を真っ二つに破り、左右のポケットに入れて持ち歩く。
覚えていったページを破り捨てていった。
こうして初めての赴任先、中華民国のハルビンに向かう。
杉原千畝は、赴任先のハルビンで失望する。
ユダヤ人や中国人の富豪の誘拐殺害事件。
この地にやってくる日本人の驕慢と無責任、出世主義。
あらためて人間の醜さを知り、我が身を振り返る。
「私は、なんのために生まれてきたんだろう。この命を生かす生き方をどうしたらできるだろう…」
外交部を辞し、日本に戻るが、待っていたのは極貧生活だった。
再び、外交官としての道を歩むことにした杉原千畝は、フィンランドのヘルシンキに赴任したあと、リトアニア共和国の臨時の首都、カウナスにやってくる。
日本最初の領事館を建て、ヒットラーの脅威に備えた。
戦局は深刻化し、ポーランドから流れてきた多くのユダヤ難民が領事館の前に座り込む。
悲嘆にくれる難民の家族たちを二階の執務室から見た千畝は、決断した。
「ひとりでも多く、あのひとたちを救おう」
一日中、ペンを持ち、ビザにサインをした。
何本も万年筆は折れ、デスクに突っ伏しながら眠った。
次の赴任先、ベルリンに向かうクルマの中でも、ビザを書き続けた。
動き始めたクルマの窓を開けて、ビザを渡す。
発給したビザは、2139枚。
およそ6000人の命を助けた。
彼は英雄だが、英雄になりたかったわけではない。
杉原千畝は、ただ単に、自分の心を裏切りたくなかった。
【ON AIR LIST】
ドナウ川のさざ波 / ノヴァノヴィッチ(作曲)、ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団、フランツ・バウアー=トイスル(指揮)
SOMETIMES I DON'T KNOW WHAT TO FEEL / Todd Rundgren
WHY DON'T YOU DO RIGHT? / Benny Goodman
CHANGE THE WORLD / Eric Clapton
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