第ニ話ブレない男であるために
名門『軽井沢ゴルフ倶楽部』に、「PLAY FAST」と書いたシャツを着て現れる、伝説の男がいました。
終戦直後、連合国軍占領下、吉田茂の側近として、堂々と海外と渡り合った官僚にして、実業家、白洲次郎。
彼は「日本のプリンシパル」と呼ばれました。
彼こそが「プリンシパル」すなわち、原則を常に心に刻んでいた痛快人でした。
どんなときも、「PLAY FAST」。
行動することで世を見極め、ふるまいで想いを示した、ブレない男。
彼が残したこんな言葉があります。
「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事はできない」
そんな白洲次郎のプライベートを支えた場所があります。
別荘があった、軽井沢。
彼が、そこで見つけた、自分へのyes!とは・・・。
彼、白洲次郎が26歳のとき、父親が経営する白洲商店が、倒産した。
ケンブリッジ大学に留学していた彼は、急きょ、帰国を余儀なくされた。
野蛮で品がよかった。
これだと決めると、すぐ行動した。
英語を活かし、英字新聞の記者になった。
伯爵・樺山愛輔の娘、正子と出会い、瞬く間に結婚。
海外に赴任することが多く、そこでイギリス特命全権大使だった吉田茂に出会う。
戦時中は、一線から退き、町田市で農業にあけくれた。
いつも世の中を俯瞰して観た。先を読む。人に流されない。
終戦後、彼は、再び表舞台に姿を現した。
「マッカーサーを怒鳴りつけた男」として、数々の伝説を生んだ。
官僚、実業家としてキャリアを積む一方、彼は無類の趣味人として、のちの世に、影響を与えた。
白洲次郎は、軽井沢を愛し、軽井沢の上質な空気の中に自分を置くことで、自らの、プリンシパル、自分へのyes!を保ったのかもしれない。
彼が大好きだったイギリスと同じ風が吹き抜ける、軽井沢の小道。
イギリスには、アフタヌーンティーと、ハイティーという、二つのお茶の習慣がある。
ハイティーは、アフタヌーンティーより、遅めの時間に行われる。
白洲次郎は、軽井沢で、「ハイティーあそび」をした。
彼が愛した娘、桂子との至福のひととき。
庭に大きなテーブルを出し、ホワイトアスパラのサンドウィッチとマフィンをふるまう。
夕暮れどき、「BAR is OPEN」と札を掲げ、シャンパンを飲む。
軽井沢の乾いた風が、彼の髪を揺らす。
ふわっと森の香りがやってくる。
シャンパンを飲み残しても大丈夫。
それを果物にかける『フルーツ・マセドアン』が、ハイテーブルを飾った。
シャンパンの無数の泡に、娘の笑顔が映る。
どんなに厳しい現実に対峙しても、この時間があれば、自分の人生に、yesと言える。
自らのプリンシパルに、忠実でいられる。
白洲次郎が、唯一、家族を感じた場所。それが軽井沢だったのかもしれない。
夏過ごす、別荘での日常は、家族と向き合える時間だった。
彼は、早起きで、ひとりで朝食を終える。
みんなが起きてくるのが待ち遠しく、部屋の前をうろうろする。
耐え切れず、シーツを剥ぐ。
起きるのが遅い、妻、正子の部屋の前で、芝刈りをする。
激しく響く、モーター音。
「やめて!」という正子の声は届かない。
仕方なく、正子は、次郎に、スリッパを投げた。
夕暮れ時のテラスが、好きだった。
深い緑の匂い、鳥の声、藍色に浸食されていく、赤い空。
ドライ・マティーニ、ジントニック、自分でつくって飲んでみる。
忙しい毎日に、唯一訪れる、プレミアムな時間。
やがて、あたりが暗くなってもなお、彼はテラスで酒をあおった。
自分の中に、yesを取り戻すまで。
白洲次郎は、心から軽井沢を愛していた。
終戦直後、連合国軍占領下、吉田茂の側近として、堂々と海外と渡り合った官僚にして、実業家、白洲次郎。
彼は「日本のプリンシパル」と呼ばれました。
彼こそが「プリンシパル」すなわち、原則を常に心に刻んでいた痛快人でした。
どんなときも、「PLAY FAST」。
行動することで世を見極め、ふるまいで想いを示した、ブレない男。
彼が残したこんな言葉があります。
「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事はできない」
そんな白洲次郎のプライベートを支えた場所があります。
別荘があった、軽井沢。
彼が、そこで見つけた、自分へのyes!とは・・・。
彼、白洲次郎が26歳のとき、父親が経営する白洲商店が、倒産した。
ケンブリッジ大学に留学していた彼は、急きょ、帰国を余儀なくされた。
野蛮で品がよかった。
これだと決めると、すぐ行動した。
英語を活かし、英字新聞の記者になった。
伯爵・樺山愛輔の娘、正子と出会い、瞬く間に結婚。
海外に赴任することが多く、そこでイギリス特命全権大使だった吉田茂に出会う。
戦時中は、一線から退き、町田市で農業にあけくれた。
いつも世の中を俯瞰して観た。先を読む。人に流されない。
終戦後、彼は、再び表舞台に姿を現した。
「マッカーサーを怒鳴りつけた男」として、数々の伝説を生んだ。
官僚、実業家としてキャリアを積む一方、彼は無類の趣味人として、のちの世に、影響を与えた。
白洲次郎は、軽井沢を愛し、軽井沢の上質な空気の中に自分を置くことで、自らの、プリンシパル、自分へのyes!を保ったのかもしれない。
彼が大好きだったイギリスと同じ風が吹き抜ける、軽井沢の小道。
イギリスには、アフタヌーンティーと、ハイティーという、二つのお茶の習慣がある。
ハイティーは、アフタヌーンティーより、遅めの時間に行われる。
白洲次郎は、軽井沢で、「ハイティーあそび」をした。
彼が愛した娘、桂子との至福のひととき。
庭に大きなテーブルを出し、ホワイトアスパラのサンドウィッチとマフィンをふるまう。
夕暮れどき、「BAR is OPEN」と札を掲げ、シャンパンを飲む。
軽井沢の乾いた風が、彼の髪を揺らす。
ふわっと森の香りがやってくる。
シャンパンを飲み残しても大丈夫。
それを果物にかける『フルーツ・マセドアン』が、ハイテーブルを飾った。
シャンパンの無数の泡に、娘の笑顔が映る。
どんなに厳しい現実に対峙しても、この時間があれば、自分の人生に、yesと言える。
自らのプリンシパルに、忠実でいられる。
白洲次郎が、唯一、家族を感じた場所。それが軽井沢だったのかもしれない。
夏過ごす、別荘での日常は、家族と向き合える時間だった。
彼は、早起きで、ひとりで朝食を終える。
みんなが起きてくるのが待ち遠しく、部屋の前をうろうろする。
耐え切れず、シーツを剥ぐ。
起きるのが遅い、妻、正子の部屋の前で、芝刈りをする。
激しく響く、モーター音。
「やめて!」という正子の声は届かない。
仕方なく、正子は、次郎に、スリッパを投げた。
夕暮れ時のテラスが、好きだった。
深い緑の匂い、鳥の声、藍色に浸食されていく、赤い空。
ドライ・マティーニ、ジントニック、自分でつくって飲んでみる。
忙しい毎日に、唯一訪れる、プレミアムな時間。
やがて、あたりが暗くなってもなお、彼はテラスで酒をあおった。
自分の中に、yesを取り戻すまで。
白洲次郎は、心から軽井沢を愛していた。
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