第七十二話自分の値打ちを把握する感性を持つ
神戸港は、日本の近代化を牽引し、さまざまな文化が交わる中心地でした。
しかし、この神戸にも受難のときが何度もありました。
記憶に新しいのは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災。
このとき、神戸復興のために立ち上がり、復興の唄を作詞した、日本を代表する作詞家がいました。
阿久悠。
兵庫県淡路島に生まれた彼は、瀬戸内を愛し、神戸を愛しました。
都はるみの『北の宿から』、沢田研二の『勝手にしやがれ』、ピンク・レディーの『UFO』。
そのヒット作は、枚挙にいとまがありません。
日本レコード大賞の受賞は史上最多の5回。
シングルレコードの売り上げは6,800万枚を越え、小説『瀬戸内少年野球団』は、直木賞候補にもなりました。
ただ彼の詞は、従来の歌謡曲の底辺に流れていた、いわゆる日本的な故郷を想う湿った感性とは無縁でした。
津軽海峡を唄っても、北の宿に心を寄せても、そこには常に、旅人の視線があるのです。
「この場所は、やがて去るときがくる」。
そんな諦念とも思える哀しさと潔さ。
淡路島で巡査をしていた父親は、島のあちこちの駐在所を移りました。父は言いました。
「友達とは仲良くしろ。しかし、別れるときに辛くない程度に仲良くしろ」。
作詞家、阿久悠は、ひとつの故郷を持たないかわりに、たくさんの故郷を内に育てたのかもしれません。
彼は感性を大切にしました。
エッセイで彼はこんなふうに書いています。
「人間が守らなければならないのは、うまく生きる術ではなく、自分の値打ちを正確に評価する感性だ」。
今も、我々の心をつかんで離さない詞を書き続けた、作詞家で作家の阿久悠が、人生で見つけた明日へのyes!とは?
日本を代表する作詞家、阿久悠は、1937年2月7日、兵庫県淡路島に生まれた。
父は兵庫県警の巡査。駐在所勤務で、島の中を転々とした。
生まれた年には日中戦争、物心ついたときには太平洋戦争。
幼いときの記憶にはいつも戦争があった。
暗い世相は当たり前だった。
戦後になってみんなが流行歌を歌うようになって初めて、自分の幼少期が闇の中だったことを知る。
終戦の1か月前、兄が19歳で戦死した。
兄が残したたった一枚のレコードは、高峰三枝子の『湖畔の宿』だった。
17歳のとき、兄は突然神戸に行き、そのレコードを買ってきた。
何度も何度も蓄音機で聴く兄の後ろ姿。
あるとき、聴くのをやめ、阿久悠に振り返り、こう言った。
「これ、おまえにやる」。
以来、そのレコードは阿久悠の宝物になった。
戦後の貧しさの中、彼の心をとらえて離さなかったものがある。
「ラジオ」だった。
茶の間の茶箪笥の上に鎮座したラジオ。
それは世界を知る唯一の魔法の箱だった。
家族で聴いた。別にラジオを見なくてもいいのに、みんなでラジオを見つめながら、聴いた。
そうでもしないと、正しく体の中に入らないような気がしたからだ。
阿久悠の想像力や感性は、こうして育まれていった。
作詞家、阿久悠は、中学2年の春、結核になった。
当時結核は不治の病ではなくなっていたが、栄養とストレプトマイシンはお金がかかり、家に負担をかけた。
発病してからの4か月は地獄だった。
絶対安静。梅雨時で足の裏にカビが生えた。
こっそりお風呂に入る。毎日、天井を見て暮らした。
医者からは、決してはしゃぐな、興奮するな、激してはいけないと言われた。
阿久悠は考えた。
「胸を破らないように、それでも激しい感情を持ちつつ生きる方法はないか」。
もはや知性と体力のバランスは崩れた。
ならば、感性を磨こう。
自分ではできないスポーツも予測不可能な芸術と見れば、自らの中に激情を育てることはできる。
「文章を書くか、絵を描くかしかないかもしれない」。
阿久悠青年は、そう思った。
作詞家、阿久悠は、結核を乗り越え、高校を卒業した。
もともと淡路島にずっといる気持ちはなかった。
東京に出る。そう決めていた。
明治大学文学部に入る。死ぬほど映画を観た。
貸本で本を読みあさった。言葉を求め、言葉を留めた。
のちに阿久悠は、課外授業で小学生たちに向き合うとき、こんな詩を贈った。
「たくさんの言葉を持っていると、自分の思うことを充分に伝えられます。たくさんの言葉を持っていると、相手の考えることを正確に理解できます」。
大学を出ると、広告会社に就職した。
コピーを書いても、企画書を書いても、CMの絵コンテを画いても、優秀だった。
でも、どうにも自信につながらない。
彼はそのときの気持ちをこう言っている。
「泳いでいる分には達者だが、飛び立つには力も度胸も足りない水鳥の焦り」。
そんなとき、「ラジオの台本を書きませんか?」という依頼が来る。
サラリーマンをしながらの副業。
体はきつく、胸が壊れ、血を吐くかと思うほどのハードな毎日を過ごす。
でも、その先に、自分がやっと自信を持てる光が待っていた。
作詞家。
「白い蝶のサンバ」、「笑って許して」、「ざんげの値打ちもない」など、ヒットを連発。
今までの作詞界の常識を覆す作品に世間は飛びついた。
やっと自信が生まれてくる。
自分の値打ちが、少しずつわかってきた。
歌謡曲らしくない。それが誉め言葉に思えた。
阿久悠は、気づいた。いくらお金があっても、幸せにはなれない。
大切なのは、自分の値打ちに気づくこと。
それをつかむ感性を磨くこと。
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