第三百八十五話我が道を貫く
佐久間象山(さくま・しょうざん)。
1864年8月12日、象山は京都で、尊王攘夷派の河上彦斎(かわかみ・げんさい)らによって暗殺されてしまいます。享年54歳。
勝海舟や吉田松陰、坂本龍馬を育てた教育者であり、哲学者だった彼は、生涯を通して「東洋の道徳、西洋の芸術」と唱え続けました。
ここでいう道徳とは、人間の規範、儒学に基づいた思想。
ひとの道に反してはいけないという教えです。
本来、儒学の世界では、道徳と政治は切っても切れない関係。
政治家に求められるのは、道徳を心身で具現化できる素養なのです。
この道徳という東洋ならではの美徳こそ、手放してはいけないと、象山は説きました。
そしてもうひとつ、近代化に向けて日本が学ぶべきは、西洋の芸術だと訴えました。
ここでいう芸術とは、絵画や音楽のことではなく、科学技術。
文明発展のために必要なテクノロジーのことです。
実際に象山自身、大砲の鋳造方法を考案し、大砲をつくり、使う、砲術家として、その名をとどろかせました。
長野県松代町の真田宝物館にある、象山記念館には、彼が自作した電気治療器が展示されています。
この機械で、妻のコレラを治療したと言われています。
発明家としての才能もあり、弁も立つ、幕末のカリスマ。
そんな象山は、ふてぶてしいまでに自信過剰な一面を持ち、勝海舟から諭されることもあったといいます。
しかし、彼はどこ吹く風。
40歳のとき、満を持して、群衆や藩主の目の前で大砲の演習を実演。
しかし砲身が爆発し、全てが粉々に壊れてしまいました。
人々は、大笑い。藩主もカンカンに怒ります。
でも、当の象山は高笑い。
「失敗があるから、成功があるんです! 西洋式大砲を作れるのは僕しかいないわけだから、もっと僕に実演の機会を与えてください!」と言い放ったのです。
誰かの顔色を気にせず、我が道を進んだ賢人・佐久間象山が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
幕末の思想家・佐久間象山は、1811年、松代城に生まれた。
佐久間家は、松代藩真田家の家臣。
なぜか跡取りが生まれず、一族は衰退の危機にあった。
ようやく生まれた男の子。それが、象山だった。
この出生のめぐりあわせは、象山の生涯を左右した。
象山は、子どもができぬと家が滅びるという恐怖を叩きこまれ、また一方で、家族親類一同から、これ以上ないほどの寵愛を受ける。
一生は自分一代の闘いではないという刷り込みと、絶対的な自己肯定感を得た。
自分は、この世になくてはならぬ人間であり、次世代につなぐ何かを残さなくてはならない。
そんな人生の命題を、幼くして与えられた。
父は剣術にも長けていたが、学問にも造詣が深く、象山は『論語』『老子』、四書五経の勉強にいそしんだ。
物覚えが速く、運動神経も優れた我が息子に、父はさらなる期待をかけた。
象山が、ときにまわりに対して不遜(ふそん)な態度をとるのを、父は見過ごしていた。
象山はまだ、傲慢が周囲の反感を買うことを知らなかった。
佐久間象山の自信過剰ぶりは、のちにまで伝えられた。
素晴らしい業績を残しながら、正当な評価を得られていないのは、彼の不遜な言動に起因するのかもしれない。
とにかく、敵が多い人生だった。
そんな象山も、己がかなわないと思う相手には、進んで首を垂れた。
16歳のときに出会った、鎌原桐山(かんばら・とうざん)は、人生最初の師匠になる。
桐山は、すごかった。
武技、剣術、小笠原流礼法から、茶道、中国の古典や哲学、漢学まで、全知全能の神のようだった。
象山はおよそ8年間、桐山に、儒学、朱子学を徹底的に叩き込まれる。
ここで、道徳が政治とイコールでなくてはならないという思想にたどりつく。
ただ、何かが足りない。
誰かが説いた思想を丸暗記するのが学問なのか?
自分なりの答えを見つけたい。
一生を賭け、次世代にまでつなげる何かをつかみたい。
佐久間象山は、23歳にして、江戸を目指す。
江戸では、象山書院という塾を開いた。
江戸時代は、200年を超え、閉塞感に満ちていく。
飢饉、天災が続き、全国に一揆が勃発。
もはや、国内だけで経済をまわすのは困難と思われた。
象山の主君・真田幸貫(さなだ・ゆきつら)は、目をかけていた象山に、命を告げた。
「西洋を学びなさい。西洋の文化、技術こそ、明日への扉です」
佐久間象山、32歳の冬だった。
佐久間象山は、藩主・真田幸貫(さなだ・ゆきつら)の命を受け、西洋学の研究に励んだ。
20代の頃、あまりに傲慢な態度で松代藩の重鎮を怒らせたことがあり、一時は幽閉されたが、幸貫は、辛抱強く、見捨てずに重用してくれた。
その恩に報いるためには、西洋学の第一人者になることだと思った。
特に、海を守る、海防、反射炉の建設や大砲を作る砲学は、どの藩より先んじる必要があった。
砲学の権威、江川英龍(えがわ・ひでたつ)は、象山を嫌った。
象山は確かにどの門下生より優秀だったが、不遜な態度に失礼な物言い。許せなかった。
一方の象山は、「そんなまだるっこい教え方では、明ける夜も明けぬ。こっちは勝手にやらせてもらう!」と強気の姿勢で、独学という茨の道を歩む。
孤独な闘い。
まわりからは、バカにされ、陰口をたたかれる。
でも、一歩もひかない。
「傲慢であることの責任は、自分でとる。
オレはオレのやり方でしか生きられないんだ。
言いたいやつは、勝手に言えばいい。
だが、死ぬ間際にきっと思い知るだろう。
ひとの悪口を言っている間に、人生なんて終わってしまうんだ」
【ON AIR LIST】
OWNER OF A LONELY HEART / YES
TOO MUCH PRIDE / Don Henley
BLUES MARCH / Benny Green Trio
へでもねーよ(LASA EDIT) / 藤井風
★今回の撮影は、「象山記念館」様、「象山神社」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
アクセスなど、詳しくは下記のリンクよりご確認ください。
・象山記念館
・象山神社
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