第三十二話世界を変えるためには
三島由紀夫は、名作『金閣寺』の中で、主人公にそう言わせました。
まさしくこの言葉こそ、三島由紀夫の根幹だったに違いありません。
認識するより、動く、行動するということ。
京都市北区にある鹿苑寺、通称、金閣寺は、今日も春の陽射しを跳ね返し、その輝きを留めています。
鎌倉時代の公卿(くぎょう)、西園寺公経から別荘を譲り受けた、室町幕府三代将軍・足利義満が山荘北山殿をつくったのが始まりだとされています。
1950年7月2日未明、金閣寺が火に包まれました。
舎利殿は、激しい炎に包まれ、足利義満の木像も焼けてしまいました。
犯人は、金閣寺の見習いの僧侶。まだ大学生でした。
彼は行方不明となりますが、自ら命を絶とうとしているところを発見され、一命をとりとめます。
彼はなぜ、寺に火を放ったのか。さまざまな憶測や推論が世間に飛び交いました。
当時の金閣寺はほとんど金箔が剥げ落ちた状態。
火災にあったのち、5年後に再建されたときには、創建当時の金をまとった鹿苑寺を再現することになりました。
放火事件のとき、三島由紀夫は、25歳。
彼は足しげく京都に通い、取材をして、31歳のときに作品を書きあげました。
小説『金閣寺』は、第八回読売文学賞を受賞。
若くして天才の名をほしいままにしていた三島の、あらたなる傑作となりました。
三島は、この作品に自らの人生観や世界観を注ぎ込みました。
その後の彼の人生を暗示するかのような、規範。
『金閣寺』から見えてくる、三島由紀夫が、自分にyes!という為に、人生で大切にしたものとは?
三島由紀夫、本名、平岡公威は、1925年、大正14年1月14日、東京四谷に生まれた。
彼の年譜をたどるとき、そのあまりに整然とした数字に驚かされる。
大正時代の最後、昭和の夜明けとともに生まれ、20年後の1945年、戦争の終わりを経験、1970年45歳のときに、自らの命を絶った。
まさに昭和という時代を駆け抜けた男。
そして、まるで計算し尽していたかのような、完璧な人生のシナリオ。
三島は、生まれてきたときのことさえも、覚えているという。
『仮面の告白』の一節。
「私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯を使わされた盥(たらい)のふちのところである。下したての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入っていたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合せをしているようにみえた」。
ただ、彼にもコントロールできない時期があった。
生まれてから、物心つくまでの幼少期だ。
両親から三島をうばい、自らの支配下に置いた、祖母、夏子。
彼女は礼儀作法に厳しく、遊び相手に粗野な男の子ではなく、大人しい女の子を選んだ。
時には女言葉を使わせ、歌舞伎や谷崎潤一郎、泉鏡花など、自身の好みを与えた。
こうして、平岡公威は、三島由紀夫になっていった。
三島由紀夫は、16歳のとき、『花ざかりの森』という小説を書いた。その作品の中にこんな言葉がある。
「正しいこと、あたりまえなことをやっているのを、だれにみられようが、なんといわれようがかまいはせぬ」。
それは、若くして得た、彼の人生の方針だった。
ただ、この生き方を貫くには、あまりに脆弱な自分がいた。
やせ細った病弱な体。天才と呼ばれたが、自分の才気を持て余すような日々。
変えたい、変わりたい。そんな衝動が彼の中で温度を上げていった。
1954年、29歳のとき、長編『潮騒』で、第一回新潮社文学賞を受賞。
それでもまだ、三島由紀夫には、本当の手応えを得られなかったに違いない。
1955年は、エポックな年になった。
渾身の作品『沈める滝』が思うように評価されない。
愛を信じることのできないダムの技術者と人妻の恋愛を描いた長編小説だった。
ある意味、この技術者は芸術家のメタファ。芸術と恋愛の関係に対峙した物語だった。
のちに三島は語ったという。
「これが受け入れられれば、オレの生き方は変わったかもしれない」。
この年の秋から、彼は自分の肉体改造に取り組む。
ボディービルの練習は、ストイックに激しさを増した。
三島由紀夫が肉体を鍛え上げた年、彼は京都におもむき、金閣寺放火事件を取材した。
なぜ、大学生の見習い僧侶が、敬愛する金閣寺に火を放ったのか?
三島は考えた。いや、感じた、想像した。
そうして彼が出した結論は、こうだった。
「生きるために、行動した」。
その行為は反社会性に満ちて、誉められたことではない。
ただ、若き僧侶は、吃音と不遇を抱え、変わりたかった。
金閣寺に自分を重ね合わせ、このままでいいとは思えなくなった。
三島は、実際には自らの命を絶とうとした犯人とは、真逆の選択を主人公に託した。
『金閣寺』のラストは、こう結ばれる。
「ポケットをさぐると、小刀と手巾(ハンカチ)に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫(の)んだ。一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った」。
生きるために、変わりたい。
変わるためには、行動しかない。
動くこと、他の誰に何を言われようが、動くこと。
そこにしか、光はない。
三島由紀夫にとって『金閣寺』は、決意表明だった。
もう迷わない。
オレは、行動することで、この場に留まることを拒否する。
動くことで、世界を変える。
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Lazarus / David Bowie
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Be My Last / 宇多田ヒカル
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