第三十八話真似る、捨てる、遊ぶ
21世紀から始まった若冲人気はとどまるところを知らず、さまざまな場所で展覧会が開かれ、連日多くのひとが訪れています。
彼は京都の中心地、錦小路の青物問屋に生まれました。
京のひとが「錦」と呼ぶ錦市場には、今もたくさんのお店が連なっています。
彼の生まれた家は、青物問屋でした。
青物問屋とは、各地の生産者から野菜や果物を買い取り、それを仲買人に売るという商いです。
錦市場ではかなり大きな店でした。
錦小路の先の錦天満宮。石畳の商店街は、不思議な静けさが漂っています。
かつて若冲も、この通りを歩き、この静寂の中にいたのかと想像すると、まるでタイムスリップしたような気分になります。
京都の路地には、そんな特別な空気が流れているのです。
美術史家、辻惟雄は若冲を、奇妙、奇抜の奇に、想像力の想と書いて『奇想の画家』と呼びました。
ひたすら絵を画くことに一生をささげた若冲は、その画法において、先鋭的でした。
中国絵画を真似る。そこに彼独自の手法や視点を入れ込み、やがて今までの対象を捨て去る。
そうしてたどり着いた、遊びにも似たユーモアあふれる境地。
なぜ彼の絵画が時代を超え、こんなにも愛されるのか?
そこには彼が悟った明日へのyesがありました。
「真似て、捨てて、遊んだ」彼の生き方と絵画への思いとは?
今年、生誕300年を迎える画家、伊藤若冲は、1716年3月1日、京の街、青物問屋「枡屋」に生まれた。
小さいころから暇さえあれば絵を画いた。
23歳のとき、一家を支えていた父が亡くなり、いきなり家業を継いだ。
しかし、若冲は絵を画くこと以外に興味を持たなかった。
商売はもちろん、芸事にも関心はなく、酒も飲まず、生涯妻をめとることもなかった。
仕事をせずに、2年間、丹波の山奥にひきこもって絵を画いたという、実しやかな逸話まである。
40歳のとき、弟に家督をゆずった。
家は裕福だったので、アトリエを2軒かまえた。
いわゆる隠居生活が始まる。
彼は誰はばかることなく絵画に没頭した。
当時の絵画の画法の主流は、模倣、模写だった。
原画を模写した本をもとに、それをまた模写する。
若冲は、それに飽き足らなかった。
まずは原画が観たい。
あちこちの寺をめぐり、本物の色、筆遣いを感じた。
「真似る」ことにも命を注いだ。
44歳の若さにして大きな仕事を受ける。
鹿苑寺、いわゆる金閣寺の大書院の襖絵を画いた。
若冲の水墨画の代表作になった。
やがて彼は真似ながら、捨てていく。
ひとの模倣をしても、自分の模倣はしなかった。
彼は自らの絵で、見るものに伝える。
「成長を止めるのは簡単だ。昨日と同じことをすればいい」。
江戸時代の画家、伊藤若冲。
彼には、画僧、絵を画く僧侶という側面もあった。
頭を剃り、肉は食べない。絵を画く前に、水をかぶり、体を清めた。
幼い頃から学問もせず、字も満足に書けない。
旦那衆と遊ぶこともなければ、酒も飲まず、女性とつきあうこともなかった。
ただ、絵と向き合うことだけに真剣だった。
「今の絵は、教本を真似ているだけで、まったく物が画けてないんだと思う」。
そんな言葉が残っている。
若冲にとって物を画くとは、どういうことだったのか?
そこに仏教の思想があった。
彼が画く、色とりどりの動物や植物たち。
それは「この世に存在するものは全て仏の姿である」という思いに裏打ちされている。
さらに彼の絵の根底に漂うのが「諸行無常」とでもいうべき、教え。
命の躍動感、生き生きとした色彩と、水墨画に映し出されるもの、
「この世の全ての形あるものは、やがて、失われる」。
極彩色と、白黒の世界。
その対比こそ、彼の精神性であり、彼が見つめた人生だった。
「私は仏さまに向かって画くんです。だから目が濁っていてはいけない。いや、目だけではありません。心が濁っていては、画けないのです」
経済的には、ほとんど困らなかった伊藤若冲に転機が訪れたのは、彼が73歳のときだった。
天明の大火。
京都の町、およそ8割が焼けた大火事だった。
錦市場の実家も焼け、アトリエも失った。
若冲は、京都伏見の寺、石峰寺に身を寄せた。
60歳を過ぎた頃から、この寺と縁があり、自ら下絵を描いた五百羅漢像を寄進していた。
石段の先にある赤い門。
生い茂った竹やぶの中には、今もさまざまな表情の石仏が顔をのぞかせている。
彼は亡くなるまでの時間をここで過ごした。
通常で考えれば完全な隠遁生活。
それなりに名も売れ、数えきれない数の絵を画いてきた。
ここで余生を…。いや、若冲にかぎってそれはなかった。
彼はまるで水を得た魚のように、旺盛な創作欲で以前よりも挑戦を続けた。
長さ11メートルの絵巻に昆虫や両生類を画いた。
燃え盛る鶏のとさか、その頭の上にカマキリを画いた。
まるでコミックのような大胆な構図、動き。
遠目には模様に見えるが、そこに描かれる顔。
80歳を超えて画いたとされる、象とクジラが描かれた屏風の絵。
陸にいる象は、鼻をかかげ、海のクジラは真上に潮を吹く。
ユーモラスであり、スケールが大きい。
彼は進化を続けた。
絵の中で遊ぶように、画き続けた。
真似る、そしてあるとき捨てる。
全て、捨て去る。
そうして得られるもの。
それは本当に遊べる自由。
若冲は、万物の移ろいの中の尊さがわかっていた。
やがて消えていくものだからこそ、とことん愛しぬく。
とことん関わり、澄んだ目で見つめる。
彼の絵からこんな声が聴こえる。
「なにを小さなことでこだわっているんだよ。みんな消えちまうんだ。くよくよしなさんな。ただね、オレの絵が300年経った今も残っている理由が何かと尋ねられればこういうよ。オレは、真剣に真似た。真剣に捨てた。真剣に…遊んだ」
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