第二百十八話ひとつの笑いに命を賭ける
いかりや長介。
ザ・ドリフターズのリーダーとして、生涯、コメディアンにはこだわりぬきましたが、彼には他にも二つの顔がありました。
ひとつは、ミュージシャンとしての顔。
もともとはハワイアンバンドのベーシスト。
ビートルズが来日したとき、ザ・ドリフターズとして前座をつとめ、『Long Tall Sally』を演奏しました。
そしてもうひとつが、織田裕二との名コンビが話題になった『踊る大捜査線』をはじめとする、俳優としての顔。
黒澤明監督の映画『夢』にも出演。
『踊る大捜査線 THE MOVIE』では、日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞を受賞して、名わき役の座を不動のものにしました。
彼を最も有名にしたのが、伝説のバラエティ番組『8時だョ!全員集合』です。
16年間、ほぼ休むことなく続けられた毎週の公開生放送。
最高視聴率は、50%を越えました。
いつも真剣勝負。
作家やディレクターが考えるネタにダメ出しをしました。
「ウケるかどうかわからないけど、やってみようではダメなんだよ!」
時には、声を荒げることもあったと言います。
そんないかりやのルーツには、二人の人物がいます。
ひとりは、茨城県出身の祖母。
幼くして母親を亡くした彼は祖母に育てられました。
祖母は歌舞伎が好きで、ラジオの講談や浪曲、朗読ドラマをいつも聴いていました。
気がつけば、ラジオから流れてくる物語をそらんじられるほど、いかりや少年も影響を受けました。
そしてもうひとりが、彼の父親です。
築地の魚河岸で働いていた父親は、寄席や映画が大好き。
口も悪く、喧嘩っぱやいが、人情に厚い、憎めないキャラクター。
いかりやは、終生、我が父を誇りに思っていました。
父親は、いつも言っていました。
「笑いをなめちゃいけねえ。お客さんあっての笑いなんだ」
コメディアンのレジェンド・いかりや長介が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ザ・ドリフターズのリーダーで知られる、いかりや長介は、1931年11月1日、現在の東京都墨田区に生まれた。
父親は、築地の魚河岸で軽子をやっていた。
軽子とは、競り場から仲買い、仲買いからお客の車へと手押し車で魚を運ぶ仕事。
魚は鮮度が命。
急ぐ。ひとをかき分け、進む。
もともとの性格がさらにせっかちになる。
喧嘩は絶えず、父は幼いいかりやに喧嘩の極意を教えた。
「いいか、みっともねえから、おまえ負けんじゃねえぞ。カッコいいのはな、上手に逃げることだ。適当なところで逃げるんだ。これに尽きる。相手をそこらへんにあるもんで威嚇する。でもな、相手を傷つけちゃあいけねえ。しこりが残るからなあ。何度かやりあったら、パッと逃げるんだ」
「勝たなくていいの?」
いかりやがそう尋ねると、「バカヤロ、目先の勝ちにこだわっても仕方ねえんだ。相手に恨まれるだけだ。逃げるがイチバンなんだ。要は、負けなきゃいいんだ」と答えた。
築地の仕事は午前中に終わってしまう。
父は昼から酒をちびちび飲んでいた。
いかりやが学校から帰ると、寄席に連れていってくれた。
そこで彼は、芸人と観客の不思議な絆を知ることになる。
寄席は、大切な人生の学校だった。
いかりや長介は、幼い頃、父と浅草の寄席に行った。
父は、芸人をしっかり見極める。
「あの喜劇役者は、ろくなもんじゃねえ。あんなやつはすぐダメになる」と言ったかと思うと、「あいつは、伸びるぜ」と応援した。
芸の未熟な芸人には「ひっこめ!」とばかりに無視する。
父はいかりやに言った。
「いいか、寄席っていうのは、こういうふうに見るもんなんだ。こうやって若いうちにツライ目に遭わせることで、オレたちは芸人を育てるんだよ」
子ども心に、いかりやは思った。
「笑いっていうのは、舞台と客席、両方でつくるものなんだ」。
そして、隣で手を叩いて笑う父を見るのが好きだった。
「バカだね、こいつはどうしようもねえよ」
と言いながら、父は幸せそうだった。
笑いって、すごいな。
誰かを笑わすって、すごいな。
父の笑顔は、いつまでも彼の心に残り続けた。
終戦直後、まだ幼いいかりやの弟が危篤になった。
往診に来た医者も首を振る。
泣き崩れる祖母に、父は言った。
「おい、諦めろ、もうダメなんだよ。仕方ねえよ」
でも、息をひきとる瞬間、父は涙を流しながら言った。
「あ、こいつ、いま笑いやがった…最期に…笑いやがった。オレの顔見て、笑いやがって…バカヤロ」
静かに泣き続ける姿を、いかりやはじっと見ていた。
いかりや長介が、工場を辞めてバンドをやりたいと言ったとき、父はいい顔をしなかった。
「食えりゃあいいけどよ、食えりゃあよう。堅気には堅気の生き方ってもんがあるんだよ」
いかりやは、やりたい衝動を抑えることができず、結局、家を出た。
その後、ザ・ドリフターズを結成。
まるで最初から決まっていたかのように、お笑いの道に入った。
『8時だョ!全員集合』。
番組終了後、時々、父から短い電話がきた。
「おい、見たぞ」
それだけ言って切れる。
電話がかかってきた放送のときは、父が笑ってくれたんだなと思った。
番組が終わるたびに、父の電話を待つ。
かかってこないので電話をかけてしまうと、義理の母が、「もう寝たよ」と取り次いでもらえなかった。
いかりや長介は、真剣だった。
笑いに、ひとを笑わすということに真摯に向き合った。
それは、父に教わった流儀だった。
いかりやは、こんな言葉を残している。
「遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている」
【ON AIR LIST】
Rock And Roll Music / The Beatles
ドリフのズンドコ節 / ザ・ドリフターズ
ドリフのピンポンパン / ザ・ドリフターズ
デービー・クロケットのうた / ザ・ドリフターズ
いい湯だな(ビバノン・ロック) / ザ・ドリフターズ
閉じる