第百四十三話情緒に敏感であれ
先ごろ、テレビドラマにもなったその波乱の人生は、全て数学に捧げられました。
現代数学の歴史を一変させてしまうほどの命題を解いた岡は、文化勲章の授賞式で、「数学を研究することは、人類にとってどんな意味があるんですか?」という記者の質問に、こう答えたといいます。
「野に咲くスミレは、ただスミレとして咲いていればいいのであって、そのことが春の野原にどのような影響があろうと、スミレのあずかり知らないところであります」。
岡は数学者でありながら、日本人にとってイチバン大切なのは、情緒だと言い続けました。
情緒が個性をつくり、個性が共感を生む。
彼はある日、奈良の美術館で絵画を見たあと、庭園を散歩します。
そこにはたくさんの松の木が生えていました。
岡は、松の枝ぶりを見て感動するのです。
「この枝ぶりには、ノイローゼ的な絵に感じる、怒りや不満、ましてや有名になりたいという欲などなにもない。ただそこに立ってシンプルに太陽の光を受けている。そいでそいで、いろんなものをそぎおとして生まれる美しさが、そこにある。こういう自然のままのものを見て、美しいと思える心、それが情緒だ。日本人は、それを忘れちゃいかん。そして…学問を極めるためにも、情緒は必要なんだ」。
岡は、日本文化発祥の地と言われる奈良を愛しました。
文化遺産と言われるものだけではなく、なんでもない風景こそ、次の世代に残すべきだと考えたのです。
晩年は、日本の行く末、特に日本の若者を憂いました。
何かを極端にやってみること、とことん極めてみること、そうすれば必ず好きになる。好きになれば、情緒が敏感になる。
恋をしたひとが、落ち葉に心を痛めるように。
孤高の数学者・岡潔が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
数学者・岡潔は、1901年、大阪市に生まれた。
天満橋の近くで、淀川を行きかう船の船着き場があった。路地に、菊の花が植えられていたのを覚えている。
日露戦争が起ころうとしている頃で、父は軍隊に召集されてしまう。
岡は母とともに、祖父母が暮らす和歌山県との県境の山奥に引き揚げた。
祖父は、庄屋、村長、県会議員などを務めた村の重鎮で、私財をなげうち、公共事業にも積極的だった。
幼い岡は、そんな祖父の教えを一身に浴びた。
「いいか、潔、これだけは忘れるな。ひとを先にし、自分を後にせよ。いいな」
この言葉は生涯、岡潔の心に刻まれた。
ある夏、小学校から帰った岡のために、祖母がところてんをつくってくれた。
「どう?美味しい?」と聞かれ、岡は「そんなに美味しくない」と正直に答えた。
祖父は叱った。
「おばあちゃんは、お前に喜んでもらおうと手間をかけてところてんを作ったんだ。だから美味しい、美味しくないというのはお前のことで、まず、おばあちゃんの心を汲んで、ありがたいと思うのが先だ」
夏の蝉たちの合唱が、さらに反省を迫った。
こうして、祖父の教えは岡潔に沁み込んでいった。
数学者・岡潔にとって、父が教えてくれた心情の美は、生涯の宝物になった。
病のため戦地から戻ってきた父は、幼い潔に物語を語るように歴史上の人物の話をした。
織田信長の桶狭間の戦い、川中島、上杉謙信の強さや弱さ。
「潔、日本人がなんでみんな桜が好きか、わかるか?それはなあ、散り際が潔いからだ。潔い、そうだ、おまえの名前とおんなじだ」
父の話が好きだった。ワクワクした。
学校で学ぶ歴史より、ずっと頭に入った。
父は史実よりも、心の動きを語る。せつない、哀しい、申し訳ない…
武士や殿さまたちの心情の美は、潔の心をうった。
父は、潔を学者にしたいと願っていた。
学者は儲かる仕事ではない。きっとお金に苦労する。
だから潔にお金を持たせなかった。何かを買い与えることもしない。
おかげで潔は物欲のない子どもになった。
岡潔は晩年、こう語った。
「物欲は、本能なんかじゃありません。ただの癖です」。
小学校に入る前、夏休みで帰省してきた父違いの兄が、夜寝るまえに「開立の九九」というのを暗唱した。
隣で寝ていた潔は、あっという間に覚えてしまう。
小学校に入って「九九」の授業を初めて受けたとき、先生が驚いた。
何も教えないのに、サラサラと九九を言う岡少年。
「すごいな、岡は」
褒められて、うれしかった。でも、決して天狗になることはない。
常に、自分は後。ほかのひとが先だから。
数学者・岡潔は、小学生時代に二つの大きな情緒的体験をする。
ひとつは、低学年の頃。5、6年生のリーダー格の上級生に、いじめられた。
「おまえんとこは、お金いっぱいあるだろう。五銭、いや、十銭、持って来い!」と脅された。
家の誰にも言えない。どうしていいかわからず、仏壇の下に入れてあるお金をごっそり持ち出そうとした。
祖父に、みつかる。祖父は、潔から事情を聞くと、何も言わず学校に向かった。あとから潔も追う。
先生たちは、恐縮した。祖父は村の名士、怒らしたらまずいことになる。
いじめた子どもの親が、あやまりにきた。
以来、いじめはなくなったが、後味の悪さだけ残った。
自分で解決できないことを誰かに任せてしまうと、回り回って、結局嫌な思いを抱くことになる。
もうひとつは、5年生のとき。
潔を可愛がる、唱歌を担当する先生がいた。まだ若い女の先生。
潔の歌を褒めてくれた。
生意気な生徒がいて、その先生をいじめた。
はやしたてる。みんながはやしたてるものだから、つい、潔も輪に加わった。先生は、ついに泣いてしまう。
はやしたてる中に潔がいることを知った先生がポツリとこう言った。
「潔くん、あなたもなんですね」
その、涙がいっぱいたまった目は、岡潔の胸に突き刺さった。
ひとは弱いと必ず誰かを傷つける。
してはいけないことがある。加わってはいけないサークルがある。
自分の弱さを言い当てられて、潔は誓った。
「もうこんな思いをするのは、嫌だ」。
岡潔は、道を極めたいと思った。
数学にのめりこみ、どんな苦境もいとわず、研究を続けた。
続けられたのは、幼い頃、情緒を学んだから。
情緒は一見、無味乾燥に見える数字にも宿る。
数学には、無駄なものがまるでない、いい枝ぶりの松のような潔さがあった。
ひとの痛みに敏感でないものは、いい仕事はできない。
【ON AIR LIST】
Changing / John Mayer
レスター / 森山直太朗
経験の唄 / 佐野元春
Carry On / Fun.
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