yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第九十四話 今、自分がここにいるということ -【横浜篇】俳優 松田優作-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第九十四話今、自分がここにいるということ

今から28年前に、40歳でこの世を去った俳優、松田優作。
彼には、横浜という街が似合っていました。
横浜が舞台の連続ドラマ『俺たちの勲章』。
黒い皮ジャン、黒い皮パンに身を包み、サングラスをかけて埠頭を歩く姿は、今も鮮烈に印象に残っています。
セリフがなくとも、そこに立っているだけで圧倒的な存在感を醸し出していました。
主演した映画、その名も『ヨコハマBJブルース』。
松田優作扮するBJは、横浜の場末のバーで歌うブルースシンガー、そして私立探偵でした。
黒のロングコートにグレーのマフラーを巻いたファッションも、多くのファンに真似されました。
この映画の原案は、松田優作本人。
横浜に思い入れがあったのでしょうか。
彼が生まれ育った街もまた、港町でした。
山口県下関市。
しかし、18歳で街を出てから、松田優作は二度と下関に暮らすことはありませんでした。
彼にとって、あまりいい思い出がなかった街でしたが、一軒だけ、日活の映画館がありました。
時は、日活アクション映画の全盛期。
石原裕次郎、小林旭、宍戸錠。
幼い優作にとって、スクリーンの世界に我が身をゆだねる時間だけが、生き生きと輝くひとときだったのかもしれません。
彼が幼少期を過ごしたころは、下関にまだ遊郭がありました。
下関の港にやってくる漁船の漁師を相手に、街に娼婦が立っていました。
彼は幼心にいつも、こう思っていたと言います。
「ここは、俺のいる場所ではない」。
父親の顔を知らないということ、国籍が日本ではないということ、そうした環境も、彼を孤独に追い詰めていきました。
自分の居場所を探す旅は、終生、続いたのでしょう。
でも彼は、ただ探すだけではなく、自分の存在を強く光らせることに、文字通り、命を賭けました。
壮絶な人生を歩んだ俳優、松田優作が、格闘の末につかんだ明日へのyes!とは?

俳優、松田優作は、1949年9月21日、山口県下関市に生まれた。
父は、他に妻子があった。
優作の母が妊娠を告げると、姿を消した。
話によれば、身長180cmほどの背の高い男だったらしい。
母は、周囲の反対を押し切って、優作を生んだ。
優作には兄がいたが、その兄たちと父親が違うこと、そして自分の国籍が日本でないことを、彼は10歳になるまで知らなかった。
母は自宅を娼婦に貸して生計の足しにしていた。
そのせいで、優作は幼くして、大人の世界をいやおうなしに知る事になった。
ただ女性たちには可愛がられ、芝居小屋に連れていってもらったこともあった。
女性どうしの客の奪い合い、喧嘩、自殺騒ぎ。
そうして目に焼き付いた出来事全てが、彼の人格を築いていった。
学校では、孤独だった。いじめもあった。
でも、母は優作に学校を休ませなかった。
「学校にはちゃんと行きなさい。勉強をしっかりしなさい。ウチは貧乏だけど、必ずおまえを大学までやってみせる」。
大雪の日。
学校も休みになるのではないかと思ったが、母は自分の長靴をはかせて、優作を送り出した。
「こんな日に行けば、きっと先生、褒めてくれるよ」。
母の長靴は指先に穴が開いていた。足は冷え、しもやけができた。
母は言った。
「いつも、胸を張って堂々としていなさい」。
優作は、思った。
「強くなりたい。僕は誰より、強くなりたい」。

松田優作は、幼い時から思っていた。
「俺は、長生きできないかもな」。
小学1年生のとき、兄の自転車の後部座席に乗っていて、坂道で横転した。胸と腹を強打する。
でも医者は、顔や腕の擦り傷ばかりを治療。
結局、腎臓を損傷していることに気づかなかった。
翌日から血尿が出たが、薬を飲んで治ったのでそのまま放置。
やがて結核を機に、腎臓を片方失った。
中耳炎を患ったが、これも放っておいた。
やがて右耳が聴こえないほど悪化した。
痛みに耐える癖がついていた。
自分を律する心。
それこそが魂を強くする、自分の存在感を増してくれる。
そう思ったのかもしれない。

高校に入ると、空手を習った。
大好きだった映画や芝居の影響で、役者になりたいと思うようになる。
見る側ではなく、見せる側に行きたい。
その思いは日増しに強くなっていった。
東京に出たい。
彼は、下関を出る覚悟をする。
母は賛成した。
東京に出た松田優作は、劇団に入った。芝居の稽古にあけくれる。
そんな中、母から仕送りがきた。少ないながらも、欠かさず届く。
彼は、母からの手紙を決して友人に見せなかった。
そのわけが、ある日わかる。
同居していた友人が優作の母から手紙をもらったのだ。
全文、カタカナだった。
韓国籍の母は、うまく日本語が書けなかった。
そこには、こうカタカナで綴られていた。
「ドウカ、ユウサクノコト ヨロシクオネガイシマス」。

松田優作は文学座に入り、やがてチャンスをつかむ。
『太陽にほえろ!』の新米刑事、ジーパン。
長い手足、走る姿の美しさ。ときどき見せる哀しい横顔。
そして茶目っ気のある笑顔。ファンがついた。人気が出た。
でも、彼はその波にのまれることはなかった。
「違う、俺がやりたいことはまだまだ先にある」。
浮かれるどころか、ますますストイックになっていった。
31歳のときに主演した、映画『野獣死すべし』。
主人公の伊達邦彦になりきるために、彼はわずか1か月で10kg以上減量し、奥歯を4本抜いた。
伊達の想定の身長に合わせたくて、「できるなら、両足を5cm切断したい」とまで言い放った。
その鬼気迫る演技は、映画史に残る傑作をつくった。
松田優作は、自分にも厳しかったが、まわりにも妥協を許さなかった。
ある撮影現場での打ち合わせのとき、撮影監督があくびをした。
無理もない。徹夜続きだった。
でも、優作はこう言った。
「あくびするなら、俺はやらない。あんたがカメラをのぞいているから、信頼して俺は演技ができる。その信頼を裏切るようなことがあったら、俺は帰る」。
実際、優作は現場から出ていってしまった。

集中するということ。
自分を極限まで追い詰めて、最高のパフォーマンスをするということ。
仕事とは、本来そういうものだ。
だからこそ、ひとに感動を与えられる。
誰かの魂を揺さぶることができる。
そう、松田優作は、信じていた。
遺作になったハリウッド映画『ブラック・レイン』。
優作は行きつけの下北沢のバーのマスターにこう訊いた。
「俺、体がやばいんだけど、手術したほうがいいかな、それより映画に出たほうがいいかな」。
マスターは答えた。
「優作さん、あんた自分で結論出ちゃってるんじゃないの」。
優作は、ふわっと笑った。
彼に立ち止まるという選択はなかった。
常に自分を追い込み、妥協しない姿勢を保つ。
そのことのみによって、彼は彼であり続け、自分の存在を証明した。

【ON AIR LIST】
ブラザーズ・ソング / 松田優作
Everything Must Change / Nina Simone
手紙 / Ann Sally
YOKOHAMA HONKY TONK BLUES / 松田優作

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけのごちそうブリ大根

今回は、俳優 松田優作が生まれ育った、山口県下関市の特産である、ブリを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけのごちそうブリ大根
カロリー
250kcal (1人分)
調理時間
25分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【4人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1と1/2パック
  • ブリ
  • 4切
  • 大根
  • 300g
  • だし
  • 2カップ
  • 大さじ2
  • みりん
  • 大さじ3弱
  • しょうゆ
  • 大さじ3
  • 砂糖
  • 大さじ2
  • ゆずの皮
  • 適量
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは食べやすくほぐす。大根は皮をむき、乱切りにする。
  • 2.
  • ブリは一口大に切り、熱湯にくぐらせ、水に取って洗い、水気を切る。
  • 3.
  • 鍋に水と調味料をすべて入れて火にかけ、煮立ったら大根、霜降りひらたけを入れて10分程煮る。
  • 4.
  • ブリを入れて、落し蓋をし、更に10分程煮こむ。
  • 5.
  • 皿に盛り、千切りにしたゆず皮を飾る。
  • recipe LIST

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番組へのメッセージ

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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