第五十四話太陽を追いかける
この映画を撮った監督は、巨匠、市川崑。
彼がこの映画で試みた手法、挑戦は、のちの映画人や芸術家たちに多大な影響を与えました。
たとえば北野武は、『東京オリンピック』に強い影響を受けたと語り、「フィルムを光にかざして、フィルムを焦がすのがかっこよかった」と話しています。
1964年に東京で開催された世紀の祭典。
その記録映画をまかされた市川崑は、従来のドキュメンタリー映画とは一線を画した作品を創りました。
作品冒頭から観るひとを圧倒します。
「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」という文字が浮かび、次に大きく映る太陽。
オリンピックの施設をつくるために崩れ去るビル群がスローモーションで映し出される中、オリンピックの歴史が淡々と語られます。
選手たちの息遣いが聴こえてきそうな静寂と闘い。
観客席にいる人々の表情がドラマを暗示します。
勝利と敗北。歓喜と絶望。
それらを、クローズアップを多用して浮き彫りにしていきます。
「なんだこれは!オレにはこの映画はさっぱりわからん!こんなのは、記録映画じゃない!」
当時のオリンピック大臣は、批判しました。
記録映画か、芸術作品か。その論争は日本中をかけめぐりました。
でも市川崑は、そんな外野の論戦とは別の場所にいました。
全ての撮影を終えたあと、彼はインタビューにこう答えています。
「このフィルムはただのフィルムではありません。世界の平和を象徴するオリンピックの記録フィルムであり、それは永遠不滅のものです」
そんな映画監督、市川崑が、生涯、心に秘めた人生のyesとは?
映画監督・市川崑は、1915年、三重県伊勢市に生まれた。
父を幼少で亡くし、その後、大阪、長野、広島と、家を転々とした。
脊椎カリエスの持病があった。
親に甘えられないさみしさと、体の弱さが彼の心に影を落とした。
画家になりたかった。
ただ当時は財産がなければ、諦めざるをえない。
17歳のときに観た映画、伊丹万作監督の『国士無双』に感動する。
その白黒のサイレント映画には、彼の心をワクワクさせる光と影の芸術があった。
伝手を頼って映画界に入る。
京都の撮影所。
最初はアニメーターの助手だった。
一コマ一コマに魂を入れる作業を厭わずやった。
4年後、脚本、作画、撮影、編集を全てひとりでこなした6分間のアニメ映画を作った。
タイトルは『新説カチカチ山』。
やればやるほど、欲が出る。つくればつくるほど、後悔がつのる。
もっとこうすればよかった。もっとねばればよかった。
録り直しはできない。やりなおしはきかない。
いつまでも100点をとれない悔しさが、彼を次の作品に駆り立てた。
彼は思った。
「映画作りは、人生に似ている。やりなおすことができない。不完全なまま、手放さねばならないことがある。不満はどんどんたまる。でも、やり直しがきかないから、映画は面白い。やり直しがきかないから、人生は楽しい」
1964年の東京オリンピックの記録映画。
その総監督に市川崑がオファーされたとき、多くの報道陣がこんな質問をした。
「ドキュメンタリー映画を撮ったことはありますか?」
「スポーツを何かなさっていましたか?」
市川は、思った。
「記録映画を撮ったこともないし、スポーツに打ち込んだこともない。でも、だからといって、オリンピック映画が撮れないということはないだろう。むしろスポーツをよく知らないからこそ、何かにとらわれることなく、スポーツの感動を描けるはずだ」
『ビルマの竪琴』、『野火』、『鍵』、『おとうと』など、これまでの作品で世界的な映画賞を数多く受賞してきた彼には、映画に関するある信念があった。
「映画は所詮、光と影だと思います。光と影がドラマなのです。その光と影は、尽き果てることのない永遠のものだと思います」。
勝つ選手、負ける選手、喜ぶ観客、悔しがる観客。
強くあたる光は、濃い影をつくる。
映画にジャンルなどない。
実写でもアニメでも記録映画でも、そこに光と影を見出すことができれば、自分の映画は完成する。
彼は光を見つけては影を拾い、影を見つけては光を探した。
こうして出来上がった映画にあえてジャンルをつけるならこうなる。
ただひとこと、これは市川崑の映画である。
映画監督・市川崑は、撮影のとき、細部にこだわった。
ライティングや構図を間違うと、ただの説明カットになってしまう。
火鉢の上で土瓶が湯気を吐いている、そんなカットに何時間もかけた。
画面の切り取り方、レンズの焦点。
そしてなにより、光と影。
女優さんの顔を直接光で照らすのを嫌った。
間接光で陰影を出す。
くっきり映る皺、目の下のくぼみ。表情が豊かになる。目が生きる。
東京オリンピックの記録映画でも、選手たちの表情をいくつものカメラを駆使してとらえた。
ゴールしたあとの表情を、いつまでも追った。
悔しさがプライドに、勝利が漠とした哀しみに変わる瞬間を逃さなかった。
撮りだめたフィルム、実に70時間。
それを編集して、170分にまとめた。
「編集は、苦しくて、最も楽しい作業です」
市川崑は知っていたに違いない。
やり直しがきかない人生には、必ず光と影がある。
その二つをまるごと認め、愛すること。
それが映画であり、それが人生だ。
記録映画か芸術映画か。そんな議論に意味はない。
彼はただ人間の光と影を映し出した。
映画冒頭の大きな太陽が、大きな意味を持って我々に迫る。
あなたは強い太陽を受け止めることができるか?
あなたは濃い影に耐えることができるか?
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