第四百五話自分に従う
小津安二郎(おづ・やすじろう)。
神奈川近代文学館では、先月まで回顧展が開かれていました。
この展覧会には、直筆の日記や台本、小津が愛用した、丸いツバ付きの白い帽子、ピケ帽も展示されていました。
1903年12月12日生まれの小津は、還暦を迎えるちょうどその日に、60年の生涯を閉じました。
彼の映画人生を映し出す、言葉があります。
「なんでもないことは、流行に従う。
重大なことは、道徳に従う。
芸術のことは、自分に従う」
実際、小津のフィルム製作へのこだわりは、並大抵のものではありませんでした。
俗に「動の黒澤、静の小津」と言われるとおり、アクションシーン、活劇にドラマティックな展開を得意とした黒澤明に対して、小津は、ささやかな日常、親子の情愛や生きることの哀しさを、ローポジション、短いセリフ、計算されたカット割りで、静かに描き切りました。
ハリウッド映画に影響を与えた黒澤と、ヨーロッパやアジア映画に影響を与えた小津。
二人の巨匠の作品を比べれば、小津安二郎が言った、「自分に従う」という意味が見えてきます。
ただ、己の芸術観を押し付けるためだけの『小津調』ではありませんでした。
当時の撮影に関わったひとの証言によれば、ローポジション、カメラの低いアングルは、観客への配慮からだったことがわかります。
まず、観客を見下して作っているわけではないということ、そして、大スクリーンの1階席。
もっとも映画に没入できるポジションが、この位置だったからだ、ということ。
小津は「わかりやすく」「親切に」を、大切にしたのです。
そうした「優しさ」は、小津映画全編にあふれ、ささいな目線ひとつで、観客はフィルムの向こうの登場人物たちに感情移入し、涙を流すのです。
頭を垂れ、より低い位置から命を見つめた、日本映画界の至宝・小津安二郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
巨匠・小津安二郎は、1903年12月12日、東京、深川に生まれた。
生家は、伊勢松阪の伊勢商人の家系。
父は無口で厳しかったが、母は優しく慈愛に満ちていた。
3歳のとき、小津が髄膜炎で3日間生死の境を行き来したとき、母は「私の命にかえても、この子を守ります!」と寝ずの看病をした。
小津は、その優しさの大半を母から譲り受け、終生、母を敬愛し続けた。
深川には、小津橋という橋が架かるほど、小津家の隆盛は際立っていた。
当時としては珍しく、幼稚園に通う。
しかし、「子どもは田舎で育てるのがいい」という父の教育方針で、小学4年生のとき、三重の松阪に引っ越す。
松阪の町は、小津少年にとって、刺激的な場所だった。
迷路のように路地が走る城下町。
通学路の途中に遊郭があったため、遠回りをして通う。
川があり、神社があり、チャンバラごっこに最適だった。
そして、小津にとって、運命的な建物が近くにそびえていた。
『神楽座』。
彼はのちに、脚本家・野田高梧(のだ・こうご)にこう語った。
「もし、この小屋がなかったら、僕は映画監督になっていなかったと思う」
松阪の神楽座は、もとは芝居小屋。
1921年に映画館として生まれ変わる。
小津安二郎は10代の多くの時間を、この神楽座で過ごした。
真っ暗な空間に入るだけで、ワクワクする。
映し出される大スクリーン。
そこに躍動する人間たち。
感情をゆさぶる音楽。
大人も子どもも、裕福も貧乏も関係ない。
暗闇の中で、みなが等しく笑い、泣いた。
「映画はすごい、映画って素晴らしい」
小津の真の学校は、神楽座だった。
学業は優秀。
体格も大きく、柔道、野球、相撲。運動も得意だった。
さらに絵の才能も抜きんでていた。
植物を描く時、先生のアドバイスには耳をかさず、ひたすら自分の画角を追い求める。
主人公の草木をどの位置に置くか、彼には揺るぎない意志があった。
宇治山田の旧制中学に入学。全寮制。
ここで、のちの人生に大きな影響を及ぼす、事件が起こる。
小津安二郎が、宇治山田の中学5年生だったとき、事件が起きた。
下級生の美しい少年にラブレターを送った同級生がいて、処罰を受けた。
それに関与したと罪をきせられる。
理不尽な停学処分。
さらに、日頃から折り合いの悪かった寮の管理人、舎監に、寮を出て行けと言われる。
ひとの悪意に直接触れたことがなかったので、ショックは大きかった。
この舎監を、小津は生涯、憎み続けることになる。
こうして小津は、長距離の電車通学を余儀なくされた。
同級生とも距離ができる。
手のひらを返したように、そっけなく接する友人たち。
世界が一変した。
学校が嫌になる。
通学せずに、映画館をはしごした。
映画だけが、心のよりどころだった。
映画は闇にありながら、小津を闇の道にいざなうことはなかった。
むしろ暗闇に、いつもひとすじの光を照らし続ける。
人間は、本来、優しい。
人間には、自分のことより誰かを思う力がそなわっている。
小津自身がもともと持っている優しさに水や養分を与え、育てていく。
学校からは外れたが、心は健全に保たれた。
高校には、落ち続ける。
浪人時代に、三重県の山間の村で代用教員をやったときも、子どもたちに純粋で真っ白な心で接した。
自分さえ守れていれば、大丈夫。
迷ったら、自分に従えばいい。
小津安二郎の場合、その指標が映画だった。
彼はのちに語った。
「しかし、世の中なんて、みんなが寄ってたかって複雑にしてるんだな。
案外、簡単になるもんさ」
【ON AIR LIST】
主人は眠る / フォスター(作曲)、ナット・シルクレットとヴィクター・オーケストラ
(小津安二郎監督の映画『東京物語』挿入歌)
花売り娘 / ラケル・メレ
(チャールズ・チャップリンの映画『街の灯』挿入歌)
恋するふたり / 大滝詠一
★今回の撮影は、江東区古石場文化センター内にあります、「小津安二郎紹介展示コーナー」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開館時間など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
江東区古石場文化センター 小津安二郎紹介展示コーナー HP
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