第五十五話飛び立つスロープ
この美術館を設計したル・コルビュジエという建築家は、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエとともに、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる人です。
『国立西洋美術館』は、今から57年前の1959年に開館しました。入口に、ロダンの「地獄の門」や「考える人」を有し、館内には、モネの「睡蓮」や、ルーベンスの「豊穣」、モロー、クールベ、ミレー、ルノワールにゴーギャンなど、名立たる画家の作品が常設で展示されています。
建物の平面は、正方形。7本の円柱が荘厳な雰囲気を醸し出し、ル・コルビュジエが愛した高床式、ピロティという技法も取り入れられています。
印象的なのは、2階。中央吹き抜けのホールを囲むのは、回廊状の展示室。ル・コルビュジエは、これを「無限成長建築」と名付けました。
将来、拡張すべきときには、外側に建物を継ぎ足せる構造になっているのです。
また日本初と言われる免震構造、地盤から絶縁する本格的な免震レトロフィット工事を行っており、幾多の災厄からこの美術館を守ってきました。
1954年に巨匠への依頼が決まり、彼は翌年の1955年に来日します。このときのわずか8日間の滞在が、最初で最後の日本旅行になります。
1956年に届いた基本設計案をもとに、ル・コルビュジエの弟子たちが、のちに世界文化遺産になる美術館を建てたのです。
彼の設計は、日本の建築家に大いなる影響を与えました。
丹下健三、磯崎新。もしル・コルビュジエというひとがいなかったら、東京の風景は変わったものになっていたことでしょう。
今もなお、その存在感を放ち続ける、そんなル・コルビュジエが人生でつかんだyesとは?
20世紀建築の巨匠、ル・コルビュジエは、1887年スイスに生まれた。父は時計の文字盤職人。母はピアノ教師だった。
彼が生まれたラ・ショート・ド・フォンという街は、フランスとの国境近くの山に囲まれた場所。中世の宗教戦争に負けたひとたちが、難を逃れ、自分たちの食いぶちを得るために、時計産業を興した。
その静かな不屈精神は、代々受け継がれ、精密な機械を操る文化が、根付いた。
コルビュジエの父もそんな職人だった。
父は、息子に家業を継ぐことを願った。
息子コルビュジエは、父と同じように地元の美術学校に入り、蓋つきの装飾時計の職人になるべく、彫金とデザインを学んだ。
このままいけば、一生、ふるさとから出ることのない時計職人になる。でも、ル・コルビュジエは、優秀過ぎた。
若き校長のレプラトゥーニ先生は、いちはやく、彼の卓越したデザイン力に着目する。
「この子は、他の子にはない力がある。森に入れば、自然の造形が幾何学的な美しさを持っていることも理解している。木々がなぜ強い風にも強靭なのかもわかっている。この子には、何か、ある!」
この先生には信念があった。それは、「建築は全ての芸術の母である」ということ。
こうして、コルビュジエは、校長先生の推薦により、地元の建築家の見習いになる。
人には必ず転機がある。往々にしてそのきっかけは、他者からやってくる。
近代建築の巨匠、ル・コルビュジエは、1955年11月、カラチ経由で日本にやってきた。
国立西洋美術館建設予定地の視察のためだった。
たった8日間の日本滞在。彼の心を最もうったのは、京都の桂離宮だった。庭園、杉苔の素晴らしさ。茶屋たちが卍型に配置された美しさ。
日本の建築には、彼の琴線に触れるものがたくさんあった。
それらは、全て、国立西洋美術館の設計図案に生かされた。
ル・コルビュジエには、建築を志してからの信念があった。
それは「住宅は、住むための機械である」。
いかにも、スイスの時計職人の家に生まれた経験が推察できる。
機能的であり、装飾を嫌い、幾何学的で美しい。
住宅に限らず、彼の建築には過度な装いがなかった。
それはおそらく、彼がそこに住む人のことを考えたから。
その美術館に訪れる人のことを思ったから。
中途半端な自己顕示欲はあらゆる仕事を汚してしまう。
大切なのは、自分の仕事が誰のためであるかということだ。
建築家、ル・コルビュジエは、自らの設計に5つの要素を重視した。「スロープ」「屋上庭園」「水平連続窓」「自由な平面」そして高床を支柱で支える「ピロティ」。
特に「スロープ」には並々ならぬ思い入れがあった。
拡がり、開放。それはきっと、時計の文字盤の世界にないものだった。
父が生涯やりとげた時計職人。でも彼は野心を抱き、世界に飛び出し、建築家になった。
真っ白な設計図に何を書いてもいい。何をしようとかまわない。
でも、彼は知っていた。人間は、自分が観てきたもの、自分の体験したものから始めるしかない。
彼の頭には常に、正確な時を刻む時計の音が鳴り響いていたのかもしれない。
1965年8月27日午前11時。
フランスのカップ・マルタンの海岸にコルビュジエの姿があった。77歳の彼は、夏の陽射しに目を細め、海風に身をあずけ、波音を感じながら、海に入り、やがてそのまま帰らぬひとになった。
亡くなる前に、こんな言葉を残している。
「我が人生は、めまいを起こすほどの速さで過ぎ去った。終わりがすぐ近くにあることさえ気づかぬこの人生で、私に起こったことは、全て頭の中で起こり、形を整え、だんだん形を変えていく」。
彼は越えようとしていた。死ぬ寸前まで、自分という時計の文字にスロープをつくり、飛び出そうとしていた。
そしてその思いこそが、世界文化遺産にたどり着いた。
【ON AIR LIST】
Dancing on the Graves of Le Corbusier's Dreams / Karl Hyde
#9 Dream / John Lennon
Both Sides Now / Joni Mitchell
進水式 / KIRINJI
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