第三百七十八話一人だまって、仕事を積んで行く
岸田劉生(きしだ・りゅうせい)。
彼の作品では、愛する娘を描いた『麗子像』が特に有名ですが、この企画展は、水彩画、油絵、本の装丁画など、ときに奔放に、ときに先進的に、その画風を変え続けた画家の軌跡を丁寧に展示しています。
10代は、流行だった水彩画にはまり、20代にはゴッホやセザンヌという後期印象派の影響を受け、その後、北欧のルネサンス絵画に傾倒。
晩年は、中国の古典画や浮世絵に対するオマージュも垣間見られます。
38年の短い生涯で、迷い、苦悩しながら、彼が追い求めたものは何だったのでしょうか?
武者小路実篤や志賀直哉とも親交が深かった劉生は、文人としての才能も持ち合わせていました。
それを表すのが、岩波文庫に収められている『劉生日記』です。
繊細に、仔細に綴られた日常の風景。
何時に起きたか、餅を何個食べたか、誰が客として訪れ、何を話し、どう思ったか。
日記の中には、こんな一節があります。
「画家は自己の中の文学者によって、より深い美を見る機縁を造り、文学者は自己の内なる画家によって、より美しい世界とその力を見る機縁を造る」
より深い美を見る、ということは、彼にとって、物事の真実を解き明かす、ということでした。
人物を描けば、その人物の内面にいかに辿り着けるかに心を砕き、たった一本の道を描く際にも、その道に人生の深淵を見出そうとしたのです。
そのためであれば、流派や画風が一貫している必要はない。
時に昨日までの自分を否定してもかまわない。
そんな生き方が周囲に理解されるのは、難しいことでした。
でも、たったひとりで前に進む。
ひとつひとつの仕事を積む重い荷車を引きながら、彼は黙々と歩き続けたのです。
日本近代画壇に一石を投じたレジェンド・岸田劉生が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
大正から昭和初期に活躍した洋画家・岸田劉生は、1891年6月23日、東京・銀座に生まれた。
父は偉大な実業家・岸田吟香(きしだ・ぎんこう)。
新聞記者から身を起こし、薬の世界で成功、日本で最初の点眼薬を販売したと言われている。
家は、裕福。
劉生は、何不自由ない生活をおくる。
文明開化の象徴ともいえる銀座の町並みには、洋風な赤レンガの店や油絵の看板が立ち並び、劉生はそれを眺めるのが好きだった。
天真爛漫で、いたずらっ子。
「しんこ」と呼ばれる米の粉を練ったもので、血まみれの小指を作り、道の真ん中に置いた。
通りを歩くひとは、本物だと思い、大騒ぎ。
警察まで出動する事態になった。
父は、そんな我が子を叱らなかった。
それどころか、完璧な出来栄えを褒めた。
「劉生は、立派な指を作った。それでいい。
いいか、何事も中途半端はいかん。やるならとことんやりなさい。とことん突き詰めて突き詰めて、ようやく、ひとはそれを『仕事』と呼んでくださるんだ」
父は大きな手で、劉生の頭をなでてくれた。
孤高の洋画家・岸田劉生が、14歳のとき、幸福だった人生が一変する。
父と母が、相次いで他界。
家業は傾き、通っていた中学校も中退。失意のどん底に落ちた。
生前、父が「教会に通いなさい」と言っていたことを思い出し、数寄屋橋教会の扉を開けた。
高い天井にステンドグラス。
幼い頃から憧れていた欧米の匂いがした。
牧師の話が心に沁みわたる。
15歳で洗礼を受けた。
将来は、牧師になろうと決意。
教会で手伝いをしながら、独学で水彩画を学ぶ。
絵を画いていると、すっと心が鎮まる。
まるで天国に召された父と会話しているような気持ちになった。
『水彩画之栞』という本をボロボロになるまで読み、『みづゑ』という雑誌をひたすら模写した。
光の移ろいと影。
夢中になったが、物足りない。
黒田清輝(くろだ・せいき)が主宰する洋画研究所に入る。
そこで、油絵に出会い、人生が変わった。
彼自身、「第二の誕生」と呼ぶ、ある画家との出会いが待っていた。
20歳になった岸田劉生は、文芸同人誌『白樺』を愛読。
武者小路実篤と親交を結んだ。
それは、白樺派のひとり、柳宗悦(やなぎ・むねよし)の自宅を訪れたときのことだった。
柳が、後期印象派の画家たちの複製画を見せてくれた。
ひとりの画家の絵に、目を奪われる。
フィンセント・ファン・ゴッホだった。
彼が描く人物画や麦畑を見ると、両目から涙がポタポタ落ちる。
感動して泣いたのは、初めてだった。
「このひとはね、牧師になりたかったんだ」
柳がそう言ったとき、自分と重なった。
絵は、そこにあるものを忠実に再現するためのものじゃない。
そこにないものを描くから、絵画なんだ。
このひとは、神様と会話しようとしている…。
それから、岸田劉生の絵が変わる。
全てが、ゴッホ風。
絵具を分厚く重ね、タッチは荒くなっていく。
周りのひとは、「ゴッホの真似だ」と陰口をたたいた。
それでも、かまわない。言いたい奴には言わせておけばいい。
今、自分が画きたいものを、画きたいように画く。
ふと、父の言葉が浮かぶ。
「いいか、劉生、何事も中途半端はいかん。やるならとことんやりなさい。とことん突き詰めて突き詰めて、ようやく、ひとはそれを『仕事』と呼んでくださるんだ」
友人、知人を、片っ端からゴッホ風に描く。
皆が「劉生の首狩り、千人切り」と恐れるほどだった。
やがて、デューラーに感動し、写実的な作風に移っていくが、そのときも、周囲の揶揄を気にすることはなかった。
岸田劉生は、のちにこう書いた。
「より深い美、より深い美と、一人だまって、仕事を積んで行く事、これが、まあ私の『生』への肯定、『死』への諦めの唯一の道である」
【ON AIR LIST】
明日の誓い / 佐野元春 & THE COYOTE BAND
朝の歌 / エルガー(作曲)、五嶋みどり(ヴァイオリン)
PORTRAIT OF SIDNEY BECHET / Duke Ellington
I WALK ALONE / Los Lobos
★今回の撮影は、「秋田県立美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
「特別展 画家 岸田劉生の軌跡展-油彩画・装丁画・水彩画などを中心に-」の開催期間は、2023年1月22日(日)までとなります。
開催中の企画展・特別展、休館日など、詳しくは公式HPでご確認ください。
秋田県立美術館 HP
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