第二百九話自分を極める
マイケル・ジャクソン。
彼は、1987年9月、兵庫県西宮市にやってきました。
バッド・ワールド・ツアーの、日本での公演のひとつ。
西宮球場には5万人を越えるファンが集まり、マイケルはダンスや歌で観客を魅了します。
ムーンウォークを披露したとき、会場の歓声はうねりのように大地を震わせたと言います。
西宮でのコンサートの直前、群馬で痛ましい事件がありました。
5歳の男の子が誘拐され、亡くなったのです。
マイケルは、この事件についてお悔やみを述べ、『I Just Can't Stop Loving You』を捧げました。
マイケルにとって、子どもは特別な存在でした。
無垢で傷つきやすく、誰かが守ってあげないと後の人生に多大な影響を及ぼしてしまう、ナイーブな時期。
その背景には、自身の幼少期の思いがあります。
大好きだった父は、ときに厳しくマイケルを叩き、罵倒しました。
「おまえなんかクズだ! 生きている価値なんてない、どうしようもない存在だ!」
その経験から、彼は自己肯定感の希薄な子どもになりました。
「ボクは、ダメな人間、醜い人間、生きている価値がない人間なんだ。だから、パパはボクを殴るんだ」
父が唯一、ほめてくれたこと。
それが、歌でした。ダンスでした。
彼は、プライベートとパフォーマンスをするときと、人格を分けていました。
シャイで恥ずかしがりやの自分、ひとたび懐に入れば、誰にも平等、公平に接する、気さくな人柄。
一方で、ステージに関しては完璧主義を貫き、いっさいの妥協を排除した機械人間でした。
何度も繰り返すリハーサル。
「どうしてみんな、自分の最高を出さないの? ボクが欲しいのは、みんなの最高なんだよ」
まるで自分を痛めつけるように50歳で散った孤高の天才、マイケル・ジャクソンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
マイケル・ジャクソンは、1958年8月29日、アメリカ合衆国インディアナ州に生まれた。
9人兄弟の7番目。両親はアフリカ系のアメリカ人。
家は、貧しかった。
父は製鉄工場で厳しい肉体労働をしていた。
マイケル曰く「心まで麻痺してしまうくらい、辛い仕事」だった。
母も家計を助けるため、パートタイムで働いた。
いつも苦虫を噛み潰したような父が、唯一笑顔になるのが、音楽を聴いているときだった。
マイケルは、父がレコードに針を置く瞬間が好きだった。
家族に当たり散らす父が、さっと消えていくから。
音楽は、魔法。
音楽は、世界を変えてくれる奇跡の存在だった。
あるとき、レコードに合わせて歌うと、父と母が驚いた。
「マイケル、おまえ、歌うまいじゃないか!」
初めて父に褒められた。まだ5歳だった。
褒められてうれしくなる。
マイケルは、密かに歌を練習した。また褒めてもらいたくて。
父は自らバンドをやっていたこともあり、子どもたちに音楽を教えた。
こうして、マイケルも含めた、ジャクソン5が出来上がった。
マイケルは思った。
「ボクがいることでパパが笑顔になるなら、もっと歌がうまくなるように練習しよう」
ジャクソン5は、売れた。
幼いマイケル・ジャクソンは、嬉々としてこの活動に加わった。
歌うのは、楽しい。
何より、そのことで父が喜んでくれるのがうれしかった。
ただ、父は厳しかった。
うまく歌えないと、ベルトで叩かれた。
真っ赤な痣(あざ)ができる。
痛かった。涙がこぼれた。
それでも、父は容赦ない。
「なんでできないんだ、おまえなんか役立たずだ!」
罵倒されるたびに、落ち込む。
「ボクは、ダメ人間だ。生きている価値なんてないんだ」
母だけが、慰めてくれた。
「マイケル、おまえには才能がある。ママにはわかるよ。もっともっと練習して、うまくなりなさい」
仕事に明け暮れる毎日。
近所の子どもがフツウに学校に通うのを見ると、胸が痛んだ。
「ボクはどうして他の子と違うんだろう。フツウがいいな。あんなふうに友達と学校に通えたら、どんなに楽しいだろう…」
世の中に不公平があることを、初めて知った。
「才能なんかいらない、フツウがいい。友達と遊びたい…」
マイケル・ジャクソンは、父に怯えた。
確かに父は凄かった。
才能をどう磨けばいいかを知っていた。
子どもたちへの特訓は、容赦なかった。
それは才能を持ちながら音楽を諦めた、自分へのリベンジのようだった。
ジャクソン5が売れると、父は仕事を辞め、つきっきりでコーチをした。
うまくいかないと、殴られる。
マイケルが歯向かうと、余計に殴られた。
音楽だけだった。
父を見返すには、音楽しかなかった。
だから、マイケルは、力を出し惜しみするひとを嫌った。
「極めようよ、自分をもっと極めようよ。まだまだやれる余地を残して、どうして止めてしまうの? みんなが思ってるほど、人生は長くはないんだよ。たった一回の人生、悔いなく生きるには妥協したらダメなんだ。これが自分の仕事ってものを見つけたら、極めないとダメなんだ」
彼のステージでは、そこに関わる全てのひとが、自らの立ち位置を問われた。
「おまえは、なぜ、今ここにいる?」
「おまえができることは、なんだ? もしあるなら、全力を尽くせ!」
マイケル・ジャクソンは、父にもらえなかった自己肯定を永遠に求め続けた。
こんな思いを自らに問いながら…。
「ねえ、ボクは、いいんだろうか、この世に生きていていいんだろうか」
【ON AIR LIST】
I JUST CAN'T STOP LOVING YOU / Michael Jackson
I WANT YOU BACK / The Jackson 5
BEN / The Jackson 5
BAD / Michael Jackson
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