第二百五十二話心の炎を絶やさない
三好十郎(みよし・じゅうろう)。
作家としての出発は、左翼芸術同盟を結成するなど、プロレタリアの旗手として小説や詩、戯曲を発表しましたが、政治主義や社会派という名のプロパガンダに不満を抱き、転向。
いわく、「演劇は、思想の宣伝に使われてはならない」。
その後はとことん、私というリアリズムにこだわることで、庶民の苦悩や貧困、人間が抱える根源的な生死に向き合いました。
自らの幼い頃の哀しい体験に根差した人間洞察に共感したのは、今月、この番組でご紹介した稀代の俳優、丸山定夫です。
「他の劇作家のセリフは、ひとつやふたつ、どこか心にしっくりこないものがあるが、三好の芝居は違う。すとんと、すべて腑に落ちる」と言わしめました。
同じく、今月ご紹介した劇作家、秋元松代は、三好が主宰した戯曲研究会で才能を羽ばたかせたひとり。
彼女は三好に言われた、こんなひとことを生涯、大切に心に留めていました。
「作家になろう、なろう、と思いつめないで、まともな人間になろうと努力して見給え。そういう人を僕は立派な人だと思う」。
名作『浮標(ぶい)』では、肺を病む妻を看病した彼自身の体験を、まるで自らの体を切り刻むように、セリフに昇華しました。
生死を前にして、芸術の必要性とは何か。
死ぬとは、どういうことなのか。
観客動員数が10万人を超えた『炎の人』は、フィンセント・ファン・ゴッホを描いた傑作ですが、たとえゴッホを題材にしても、三好は自らの「切実さ」から目を離さず、1950年代の日本の貧困にフォーカスしました。
「私」から逃げず、どんなときも心の炎を絶やさず歩き続けた演劇人・三好十郎が、私たちに伝える明日へのyes!とは?
戦後を代表する劇作家として、いまもなお、現代の演劇人に影響を与え続ける三好十郎は、1902年佐賀県に生まれた。
実の父は、三好が生まれてすぐに台湾に出稼ぎに出かけ、二度と戻らなかった。
実の母も、三好が3歳になると、父を追って台湾へ。
三好は兄とともに取り残され、父や母の愛を知らぬまま、養子になった。
母方の祖母が、両親の代わりに育ててくれた。
祖母は激しくもあり、優しくもあり、豊かな性格で三好を愛した。
彼は、父母のいない環境をごくごくフツウに受け入れた。
台湾からの仕送りで暮らす日々。
家は貧しく、教科書もそろえることができない。
服装もみすぼらしい。
同級生から、はやしたてられる。
そのとき、三好は思った。
「今後、金輪際、ボクは、金持ちというものを信じるのはやめよう。彼等には、どんなことがあっても頭を下げることはしない」
祖母は毎晩、三好を懐に抱いて寝た。
三好は安心して、ぐっすり眠ることができた。
一方で、スパルタ式教育も忘れない。
泳げない三好を縄でしばり、川に突き落とした。
もがくうちに、泳げるようになる。
祖母は、満面の笑みで褒めてくれた。
「えらいねえ、十郎は、ほんとにえらいねえ」
その祖母との別れは、意外に早くやってくる。
劇作家・三好十郎の祖母は、三好の兄の看病疲れもあって、衰弱していく。
幼い三好は、不安で仕方がない。
学校から帰って、祖母が寝床から起きていると、それだけでうれしかった。
ある日、祖母にうどんを食べさせてあげたくて、内職をした。
家に出前持ちを下げて帰ると、祖母は激怒。
「男たるもんが、内職などして! 私は、そんなふうにおまえを育ててない!」
畳を叩いて怒った。
夜中、冷えたうどんをすする音が聴こえた。
すすり泣きとともに…。
三好が12歳のとき、祖母が他界。
あとでわかった。
祖母は、近所中で三好の自慢をしていた。
「十郎はねえ、偉くなるよ、ほんとにあの子はねえ、違うのよ、きっと偉いひとになるのよ」
泣いた。
そこまで愛してくれた祖母に、もっと優しくすればよかったと後悔した。
祖母はよく言っていた。
「十郎、まわりのひとをよく見なさい。それから、自分の心に嘘をつくのはやめなさい。自分に嘘さえつかなければ、心の炎は消えないから」
12歳の三好十郎は、祖母亡きあと、親戚を転々とする。
どこも大家族。
食べるのがやっとで、預かった子にまで気配りはできない。
いじめられ、余計者扱いされ、家を出て放浪する。
川に飛び込んで死のうとした。
でも、祖母の顔が浮かんで、できない。
泣いてもわめいても、誰も助けてくれない。
むしろそのことが、清々しく思えてきた。
ぐう、とお腹がなる。
まずは、飢えだ。空腹をなんとかしよう。
三好は、川をあとにして、歩き始めた。
働く。
重労働のほうが、生きている実感がわいて、よかった。
重い木材やセメントを肩にかついで運ぶ。
稼いだ金で、空腹を満たす。
幸せだった。
どこかで手に入れた本を読んで、昼休みを過ごす。
そんな三好を見た組頭が、声をかけた。
「おい、坊主、おまえ、学校に通いたいか?」
そこから、三好の心の炎を灯し続ける旅が始まった。
1952年に三好十郎が発表した『歩くこと』という随筆には、今を生きる私たちへの、そして演劇という炎を絶やさぬための、メッセージがある。
「そうなんです。歩く人は歩く人自身、歩くことによって貴重なものをうるのと同時に、歩いていく土地々々の人びとを横につなげていくことになるのです。
そして、そのことが、さらに貴重なことがらだと私は思う。
ことにいま、日本がこのように混乱し衰弱しているさなかでは、まず日本人全体が横につながることほど大事なことはないと思います。
愛国のことを言うことは、言いたい人にまかせておいて、私はただなるべく歩いてみるようにしたいと思っています。
私などがいくら歩いても、たいしたことが起きないことは知っているが、しかし私でさえも歩かないよりも歩くほうがマシなことを私は知っている。
君はどうですか?」
【ON AIR LIST】
ファランドール(「アルルの女」第2組曲より) / ビゼー(作曲)、フランス国立管弦楽団、小澤征爾(指揮)
HERE,THERE and EVERYWHERE / JOSE FELICIANO
INTO THE FIRE / Sarah McLachlan
WALK ON / U2
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