第百八十話偽らない思いが、ひとの心を動かす
32歳の若さで亡くなったカレン・カーペンターの歌声は、今も色あせることはありません。
昨年12月には、17年ぶりの新作アルバムが完成。
カレンの兄、リチャード・カーペンターが、プロモーションのため、来日しました。
リチャードは、妹の歌声を今も愛し、二人で作った作品を大切にしています。
『イエスタデイ・ワンス・モア』『青春の輝き』『遙かなる影』『雨の日と月曜日は』…。
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とのコラボレーションにより、誰もが知る名曲たちが新たに生まれ変わりました。
カレンの歌はなぜ、半世紀の時を超え、私たちの心をつかんで離さないのでしょうか。
歌手のオリビア・ニュートン・ジョンは、カレンの葬儀のときのインタビューでこんなふうに答えています。
「彼女の声には、ある種の寂しさ…哀しさが感じられました。もちろん、温かさ、優しさはあるんですが、同時にその中に、それらがひそんでいるんです。それは…なんていうか、私にとっては憧れでした」
近くにいたひと誰もが、カレンのことを、いつも目をキラキラさせているちょっとおてんばで魅力的な女性、あるいは、優雅だけど飾らない素朴なひと、という印象を語ります。
最も近しい友人は、こう話しました。
「カレンが望んだものは、富でも名声でもなかったんです、きっと。彼女がいちばん、ほしかったもの。それは、心から愛されて、そのひとの子どもを持ち、家庭をつくること、だったと思います。クッキーを焼く彼女の笑顔が忘れられません」
自らの体型を気にすることから始まった神経性食欲不振症、いわゆる摂食障害。その果ての心不全で命を落としたカレン。
彼女の歌が人々の心に届くのは、おそらく、彼女が抱えていた心の闇と無縁ではありません。
最後まで歌をつくり、歌を歌い続けた彼女の生きざまは、想像以上に壮絶な自分との戦いでした。
伝説の歌姫 カレン・カーペンターが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
今年デビュー50周年を迎えたカーペンターズのヴォーカル、カレン・カーペンターは、1950年3月2日、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブンに生まれた。
兄、リチャードは、3つ年上。
両親は、とにかく音楽が大好きだった。
父はメロディックなポピュラー・ミュージックやビッグ・バンド、クラシック音楽を好んだ。
ビング・クロスビーやペリー・コモの歌声を愛し、78回転のレコードを買い集め、朝から寝るまでずっとラジオをかけ続けた。
母は家事をしながら、歌う。
幼い頃、ピアノを断念したことを悔んでいた。
リチャードとカレン。
兄妹は、浴びるように音楽を聴いた。
時代はまだ不景気が続き、家計はきつかった。
父は会社の仕事以外に、クルマを洗うアルバイトもした。
それでも、レコードを買うのをやめなかった。
さまざまな音楽を聴いたリチャードは、やがて音楽の才能を見せ始める。
試しにならったピアノで早くも天才の片鱗をのぞかせる。
わずか4歳半で、一度聴いた曲をあっという間にコピーすることができた。
母は、自分の夢をリチャードに託すようになる。
気がつけば一日中、部屋にこもり、音楽を聴くかピアノに向かう兄。
対照的に、妹のカレンは通りや公園でソフトボールや野球をするのが好きだった。
よく怪我をして帰ってくる。
そんなときは、いつも兄にベッタリな母が、優しく介抱してくれた。
音楽は、兄のもの。
そして、母も兄のもの、カレンはそう思っていた。
カレン・カーペンターは、兄のリチャードのことが子どもの頃から大好きだった。
兄と地下室でレコードを一緒に聴いているとき、幸せな気持ちになった。
兄が近所の子どもにいじめられそうになったときは、率先して立ち向かっていった。
7歳になったリチャードが地下室でレコードに合わせて歌い、アレンジについて細かく分析を始めると、4歳のカレンはすぐさまそれを真似した。
兄は、驚いた。
すでにカレンは、一音一音、全くはずさず歌う能力を持っていた。
しかし、カレンは兄とは違う道を進もうとする。
まるで比較されるのを拒むように。
大好きな兄と張り合うことを避けるように。
カレンは、相変わらずスポーツやサイクリングに興じ、せっかく始めたフルートも飽きてやめてしまう。
兄が13歳にして音楽での成功を予感させた頃、10歳のカレンは同級生に「太っちょ」と言われてショックを受けた。
それまで自分の容姿を気にしたことはなかった。
「私って…太ってるの?」
ひとの目が気になる。
街を歩くと、みんな自分を笑っているように感じる。
食べるのが恐い。
太るのが、怖い。
でも、そのことを家族の誰にも言わなかった。
自分はいつでも家族の太陽でいたかった。
おどけて、笑わせる。
父と母と兄だけの食卓はどこか暗いけれど、自分がいれば笑顔にできた。
私は泣いてはダメ。
家族の前では、泣いてはダメ。
カレン・カーペンターは、13歳のとき、こんな作文を書いた。
「両親は、ずっとずっと女の子が欲しかったそうだ。そしてついに私が生まれた。
ウチは5人家族、父は印刷工で、母は専業主婦。いとこのジョーンは生まれたときから我が家にいて、兄のリチャードは、才能あるピアニストだ。
私は8ヶ月のとき、初めて歩いた。そのとき、私の人生が始まった。
最初の言葉は、バイバイとイヤ。
私はたくさんの友達と素敵な先生と楽しい学園生活をおくった。
私は絵を画いたり、レコードを聴いたり、ダンスを踊るのが好きだ。
いちばん哀しかったことは、飼っているスヌーピーという名前の犬が自動車にぶつかってしまったこと。私ひとりで病院に連れて行った。
私の大切なスヌーピー。回復の見込みは低かったけど、彼は生きた。自宅に帰ることができた。うれしかった」
カレンは幼い頃、家族の前で、子どもの自分を封印したのかもしれない。
そして兄との距離の保ち方に悩むようになる。
両親の期待を一身に受ける兄。
妹から見ても、才能にあふれている。
そんな兄と比較されるのを嫌がるように、さまざまなものにトライするが、なぜかいつも音楽に戻ってくる。
ドラムをやると、あっという間に会得。
まわりが驚くほど上達する。
ドラムを叩きながら歌うと、褒められた。
作曲やアレンジがやりたい兄に、誘われる。
「カレン、一緒にやらないか?おまえが必要なんだ」
うれしさと、戸惑いがあった。
兄と一緒にやることは、家族の中の役割を演じ続けるということ。
でも、頼りにされるのは幸せだった。
やるならば、精一杯やろう。
魂を込めて、歌う。
歌うことでは、見栄も役割も嘘も捨てよう。
ありのままのカレンでいよう。そう思った。
何年もの間、鳴りを潜めていた摂食障害が再発。
でも、カレン・カーペンターは、歌うことで自分を越えようと思った。
彼女の声は、傷ついたひとにこそ届く。
彼女の歌は、優しくて、哀しい。
【ON AIR LIST】
YESTERDAY ONCE MORE / Carpenters
(THEY LONG TO BE) CLOSE TO YOU / Carpenters
THIS MASQUERADE / Carpenters
NOW / Carpenters
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