第二百三十七話ひとに辛い顔を見せない
ケーシー高峰。
彼が作り出したジャンルは、医学漫談。
白衣姿に、黒板やホワイトボードで解説しながら繰り出す話芸は、唯一無二のものでした。
彼の母方は、山形県新庄市で江戸時代から続く医者の家系。
ケーシー自身も一度は医学部に入りますが、親に黙って芸術学部に転部。
母親から勘当されてしまいます。
音信が途絶えた母親に、いつか認めてもらいたい、その強い思いの末に医学漫談があったのです。
本名は、門脇貞男(かどわき・さだお)。
芸名は、医者が主人公のアメリカのテレビドラマ『ベン・ケーシー』と、少年時代に憧れた女優、高峰秀子からとりました。
白衣に黒ぶちメガネ、首から聴診器を下げて舞台に現れると、何も言わずに1分間、会場の観客の顔を見るのが常でした。
今日はどんなお客さんが来ているのか、瞬時に見極め、ときにため息をつくだけで、笑いをとりました。
ビートたけしは、浅草の演芸場で常に観客を笑いの渦に巻き込むケーシーを見て、かなわないと思ったと言います。
立川談志もまた、ケーシーの話術の巧みさ、何より間の取り方のうまさに、賛辞を惜しみませんでした。
ケーシー高峰の凄さは、その才能を惜しげもなく、ふだんから披露していたところにあります。
家に遊びに来る客人はもとより、街で声をかけるファンにも、必ずひと笑いしてもらう。
舌に癌ができて大手術をしたすぐあと、マスクをしたまま、筆談だけでも笑わせる。
彼は、偉そうにすることを嫌いました。
彼は、辛い顔を見せるのを嫌がりました。
「みんな毎日辛いことがあるから、ボクに会いに来てくれるんだ。ボクが辛い顔したら、そりゃあダメでしょ」
生涯を笑いに捧げたコメディアンのレジェンド・ケーシー高峰が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ケーシー高峰は、1934年2月25日、山形県最上町に生まれた。
父は商社マン。東京外国語大学を出て三井物産に入ったエリート。
母は、東京女子医専を出て、最上町に開業した医師だった。
専門は内科・小児科だったが、他に医療機関がない村。
母はあらゆる患者を診てまわる。
小さな体で朝から晩まで山間の集落を訪ね歩く。
下駄はあっという間にすり減り、1か月ももたなかった。
体が雪にすっぽりと覆われるときも、雪まみれになって患者のもとに駆け付けた。
医療行政の向上にも貢献、特に当時、村では励行されていなかった計画出産の認知、推進を目指した。
ケーシーは、幼心に、母の診察カバンの重さに驚く。
「お母さんは、どうしてこんな夜中にも出ていくの? こんなに重たいカバンを持って」
そう彼が尋ねると、母は言った。
「医者は、誠を尽くすのが務めだからだよ」
父は海外赴任が多く、ほとんど家にいなかったが、妻の医療への献身ぶりに感動して会社を辞め、山形で家族一緒に住む道を選んだ。
父は、趣味人。ラテンやジャズのレコードをたくさん持っていた。
ラジオが大好きで、徳川夢声の番組をよく聴いた。
ケーシーは、父と一緒にラジオを聴き、徳川夢声の話芸にはまっていく。
「いつか…自分もこんなふうにしゃべりたい」
夢の種が、小さな芽を出した。
ケーシー高峰の母方の家系は、全員医者。
ケーシーの兄弟も、医師や歯科医師を目指した。
当然のように、彼も日大医学部に進む。
でも、教授との相性が悪い。
あるとき、同級生がケーシーの風貌をからかうのを聞いて、全てが嫌になる。
親に黙って、医学部から芸術学部に転部した。
学費の請求書が実家に送られ、バレてしまう。
母が、激怒した。
「おまえの顔なんて見たくない! 二度と帰ってくるな!」
勘当を言い渡される。
実家のクレゾールの匂いを思い出す。
小さい頃は嫌だったが、家に帰れないとなると、妙に恋しかった。
学費はストップ。アルバイトを掛け持ちする。
先輩に紹介してもらい、日劇ミュージックホールで舞台照明や裏方の仕事を手伝う。
袖から眺めていると、勉強になった。
前座でウケる漫才とそうでない漫才の違いは何か?
舞台に出ただけでお客さんの心をつかむ芸人の話術とはどんなものか。
E・H・エリックには司会の技も学ばせてもらった。
漫才に弟子入り。
やがて、ひとりでやるほうが性に合うことがわかる。
医学の知識を生かした漫談を思いつく。
白衣を着たのには、わけがあった。
「いつか、お母さんに認めてほしい」
ケーシー高峰の医学漫談は、あっという間にお茶の間に拡がった。誰もやっていないお笑いは、人気を博す。
忙しい毎日。基本、仕事は断らなかった。
寝る間もなく辛いときは、母を思った。
薄暗い早朝に、患者さんのためにそっと出て行く、母の背中を思い出した。
そして、母が言った、「誠」という言葉が蘇る。
実は、母は、ケーシーの舞台をこっそり見に来ていた。
会場がウケると安心して、山形に帰っていった。
そのことを兄に聞いたケーシーは、泣いた。
山形には帰りづらかったが、東北にはこだわり、50を過ぎると、福島県いわき市に移り住んだ。
震災のときは、自ら炊き出しをした。
避難所を回り、みんなを笑顔にする。
サインも握手も拒んだことは一度もなかった。
周りを気遣い、周りを笑わせ、疲れた顔は見せなかった。
舌に癌ができて大手術をしたときも、舞台を休まず、マスクをしたまま、筆談で笑わせた。
最後の漫談は、車椅子だった。
鼻に酸素吸入器を突っ込んでいる。
出番は15分のはずだった。
30分を過ぎる。酸素吸入器の警報が鳴った。
「ピーピー鳴るんで、これで終わります」
最後まで、笑いをとった。
気づけばケーシー高峰は、母のように生涯現役を貫き、周りのひとを幸せにするために、誠を尽くした。
【ON AIR LIST】
そりゃあないぜセニョリータ / ケーシー高峰
フレネシ / ティト・プエンテ
キエン・セラ / アイ・ジョージと坂本スミ子
ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ / ヘレン・メリル ウィズ クリフォード・ブラウン
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