第二百七十一話孤独から逃げない
自由律俳句という新しい世界を切り開いた、漂泊の俳人・尾崎放哉(おざき・ほうさい)。
彼は、鳥取市に生まれました。
鳥取市の生誕の地、住んだ場所や尾崎家の墓に、句碑が建立されています。
没後94年経った今も若いミュージシャンに影響を与え、多くのひとに語り継がれる放哉の俳句の魅力は、いったいどこにあるのでしょうか?
彼は、東京帝国大学法学部を卒業した、エリート中のエリート。
就職した生命保険会社でも、順調に出世街道にのりはじめ、誰もがうらやむ人生を歩くはずでした。
しかし、詩作とアルコールにひたる日々。
会社も辞めてしまいます。
結婚して生活を安定させようと努力しますが、結局、会社勤めができず、妻も彼のもとを去っていきました。
放哉は、無一文であることを自らの立脚点と決め、放浪の旅に出るのです。
酒を飲んで暴れる。すぐにお金を無心する。高学歴を鼻にかける。
決してひとに好かれる性格ではなかったと言います。
でも、放哉は、たったひとつのことを守り続けました。
それは、孤独から逃げない、ということ。
今日も一日、自分は独りであることから逃げなかった、まるでその証のように、彼は俳句を詠み続けました。
降りしきる雨の中、しんしんと降る雪の夜、海辺の流木に座り、広大な野原の真ん中で。
極貧生活をおくりつつ、肺病を抱えながらやせ衰えていっても、彼の心は自由でした。
「こんなよい月を一人で見て寝る」
季語を捨て季節に生きた伝説の俳人・尾崎放哉が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
漂泊の俳人・尾崎放哉は、1885年、鳥取県邑美郡、現在の鳥取市に生まれた。
鳥取藩士の家系。
父は地方裁判所の書記だった。
厳格な家庭に育つ。
放哉は幼い頃から、極度のひとみしり。
物心つくと、自分の周りを常に屏風で囲い、その中で、本を読んだり、絵を画いた。
友だちは、できなかった。
どう接したらいいか、わからない。
でも、好きな本さえあれば、孤独ではなかった。
中学生のとき、俳句や短歌に出会う。
短い言葉の中に情景が浮かぶ。
匂いや音が沸き起こる。
自分でも書いてみた。
初めて世界とつながったような気がした。
「きれ凧の糸かかりけり梅の枝」
「水打つて静かな家や夏やなぎ」
自分の家の庭や、ふだん見る風景が全てだった。
学校の先生が「これは、ご両親が詠んだものか?」と聞いた。
自分が書いたと即座に言えず、真っ赤になってうつむく。
俳句が好きなクラスメートがいて、友だちもできた。
みんなに「うまいねえ、すごいねえ」と褒められたことで自信がついた。
勉強にスポーツ、活発な青年に成長していった。
中学を卒業後、一生を決める出会いが待っていた。
自由律俳句の第一人者、尾崎放哉は、中学を卒業すると上京。
第一高等学校に入学する。伝統ある、一高俳句会に入った。
この俳句会の幹事を務めていたのが、放哉の1歳年上の荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)だった。
井泉水の自由律俳句の精神に、感動した。
季語がいらない、五七五でなくていい。
さらに井泉水のこんな言葉に感化される。
「芸術上の制作は、常に内部から迸らなければならない。生命ということは内的である」
自然と一体になるには、ただ単に描写しているだけでは足りない。
内から湧き上がる思い、私性が、必要不可欠であるという主張に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
「そうか、俳句を詠むというのは、自分がどう生きるかっていうことなんだ」
一高では、夏目漱石に英語を習った。
漱石の文学にも触れ、より、内面をいかにさらけ出し、描くかを考えるようになる。
「僕は、どう生きたらいいんだろう。芸術と現実、どう折り合いをつけたらいいんだろう…」
悩みつつ、彼は、最終学歴の最高峰、東京帝国大学法学部に入学する。
俳人・尾崎放哉は、大学在学中に文芸雑誌『ホトトギス』に俳句をおくり、入選。
うれしかった。
ある日、荻原井泉水の自宅に呼ばれる。
「放哉くん、君は、種田山頭火という俳人を知っているか? 彼はすごいよ、自由律俳句の担い手になる。でもね、僕は思うよ、君の才能は山頭火を越えるよ、間違いない」
しかし、そう簡単にはいかなかった。
大学卒業後、通信社、そして保険会社に勤めながら俳句を書き続けるが、いっこうに芽が出ない。
自分でも納得いくものが書けない。
内面をさらけ出せない。
飲むアルコールの量が増えていく。
あるとき、気づいた。
「僕は、いろんなものを持ちすぎなんだ。捨てよう、シンプルになろう。池の水を抜けば、水底に何があるか、おのずと見えてくるにちがいない」
エリート会社員の道を捨てる。
放浪生活は過酷だったが、よどみなく俳句が湧き上がってきた。
やがて文壇からも評価されるようになる。
神戸の寺に寝泊まりしてから、41歳で亡くなるまで、大量に俳句を詠んだ。
「つくづく淋しい我が影よ動かして見る」
「ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる」
「月夜戻りて長い手紙を書き出す」
孤独と貧しさにどっぷりつかる日々。
でも放哉は、いい俳句が書けることが喜びだった。
亡くなる数時間前まで、寝床で俳句を詠んだ。
絶句。
「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」 尾崎放哉
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